Phase-2-6 『箱庭の慟哭』
Phase2-6 22/10/3 投稿
師匠の遺体を封石に変え、武器の準備を整えた俺たちは二人してタクシーでハイウィールドの森……ガーデンへと向かっていた。
「本当に私たちだけ先行して大丈夫なの」
タクシーで走り始めてもう数時間、心配そうな表情でティスが尋ねて来る。
「問題ない、ヴェルは一人ならタクシーより何倍も速いからな」
「……どういうことなの」
え、と驚いた表情のティス。
「言った通りの意味だけど。
そんなことより今はお互いの装備品のチェックを済ませておこう。
ヴェルが来るまでは偵察で済ませるつもり……とはいえ、いきなり戦闘になっても対応できるようにはしておきたい」
ティスが戸惑いながら頷く。
本来、一人でガーデンに向かう予定だったのだが、ティスが『さすがにここまで首を突っ込んだのだから顛末は見させてもらう権利はあるわよね』と言った為、仕方なく同行させることにした。
なんでも、この同行もさっき師匠を封石に移し替えてくれたのもその指示に含まれるらしい。
いったいどれだけの貸しを作っていたのだろうか、ヴェルは。
「俺はさっき魔力を込めてもらった封石と、儀式用の短剣、片手用の銀のレイピア。
あとは役に立つかわからないけど牽制用の癇癪球が五つ、ノート二冊」
ほぼすべて師匠のおかげで準備出来たものだと思うと少々情けなくなる。
ちなみに何故ノートが二冊あるのかというと同じものを書店で見つけたので購入したためだ。
「私はコルトを一丁と、持ち前の魔術だけね」
非常に軽装。なのに全く勝てそうにないのはなんなのだろうか。
いや、それよりも何か恐ろしい名称を口にしていなかったか。
「……コルトって、もしかして銃か」
俺が尋ねるとすっと銃を取り出して見せるティス。
正式名称『コルトM1911』
銃に詳しくないが……それでも名前くらい聞いたことがある名銃である。
「もしかしなくても銃ね。狙いの補正は魔術で出来るようにしてるから適当な魔術よりだいぶ役に立つわよ」
「…………」
非常に恐ろしい少女だ。前回の戦闘でもしこれを使われていたら勝負が一瞬でついていたに違いない。
「どうしたの、渋い顔をして」
ティスが首を傾げている。どうやら気付かないうちに眉を顰めてしまっていたらしい。
「ティスとの実力差を鑑みてやっぱ手加減されてたんだなって再確認してたんだよ」
「そ。それはいいことだわ」
俺の言葉に気を良くしたのか、ティスがふふん、と鼻で笑った。
「そろそろか……」
ガーデンの入り口が近付いてきたため、タクシーを降りて徒歩で向かう。なお、支払いは師匠の衣装ケースにあったものを使わせてもらった。ヴェルに返せばいいとは思うが……結構いい金額なので時間がかかりそうだ。
「ここからどのくらいかしら」
日も落ちて真っ暗になった森を睨むティス。
「ざっと三十分、というところだ。
今日も入れるかはわからないが……」
「どちらにしろ行くしかない、ってところかしら」
ティスがやれやれ、と肩を竦める。
「そういうことだな」
昨日ヴェルと歩いた道を進んでいく。今日はティスが灯り担当だ。
先に進むにつれ少しずつ魔力の残滓が感じ取れるようになってきた。
「あっ」
ティスの灯りが唐突に消える。
「大丈夫、これも昨日の通りだ」
ジッポを灯すと、一気に視界が開けた。
先ほどまでいた森とは明らかに違う場所……ガーデン。
何が移動のトリガーになっているのかいまだにわからないが、とりあえず月光の少ない日に同じことをやれば入れそうだ。
「半信半疑だったけど、本当にたどり着けるものなのね」
ティスが周囲を見回して警戒し始める。
「昨日より明らかに魔力が濃い。
この先にもうひとつ結界があるからぶつからないように気を付けてくれ」
言ってレイピアを構える。
「わかった」
ティスは手の甲を指先で撫でるように魔法陣を描いた。おそらく武器をすぐに喚べるように準備したのだろう。
二人してゆっくりと大樹のある方へ歩いていく。
「この辺りのはずなんだけど……」
レイピアを前にかざしながら歩く。確かもうそろそろ俺が阻まれた結界があるはずなのだが。
「どんな結界なの」
ティスが周りを警戒しながら尋ねて来る。
「無色透明の見えないタイプの結界だよ、俺だけ阻まれてヴェルは素通りできた」
「そうなの。
でもその感じだと結界は消えているのかしら、もしくはセイが通れるようになったとか」
ティスの言葉に考えを巡らせる。後者であれば俺を通れなくする理由がなくなった。前者ならば……結界が必要なくなった場合だ。そう、例えば、術者が結界の外に出てきた、とか。
「─────」
考えている途中で異質な魔力の気配を感じてユグドラシルを睨みつける。
「なに、これ」
ゆらゆらと蜃気楼のようなものが見える。
「まさか、これ魔力……か」
思わず目を疑ってしまう。
「うそでしょ。
普通魔力は空気と同じで目に映るものではないのよ。
それが、こんな形で視覚化されるってことは……」
みなまで言わずともわかる。この先は濃度の高い魔力で満ちている、ということだ。
本来であれば絶対に踏み込みたくない状況の一つ。
これだけの濃度の魔力なら人はその量に酔い、魔術の加減が利かなくなる。
……簡単に言うのなら酸素濃度の高い空気だ。ちょっと火加減を間違えるだけで簡単に暴発する。
────その、はるか向こうから、ゆっくりと歩いてくる影が一つ。
「……ッ」
全身の毛穴が開くような感覚。見開いた目に映るのは干からびた銀髪銀眼の、老人の姿の──────。
「……ぇ、ぁ……」
かちかちかち、と、ティスが歯を鳴らしている。俺より優れた魔術師だからだろう、相手の魔力量が見えて恐ろしいようだ。
しかし、俺にはそんな恐怖を感じる余裕がなかった。
思考の中はただただ疑問と、怒りで埋め尽くされている。
「お前が、殺したのか……」
だんだんと視界にはっきりと映ってくるその姿を睨んでレイピアを構える。
「なんでッ、師匠を殺した……ッ」
気付けば、駆け出していた。
「……待ちなさい、セイッ」
後ろから制止するティスの声が一瞬で遠くなる。全身に魔力が満ちる感覚、コイツだけは俺が止めなくてはいけないと、理性ではなく本能に突き動かされるまま、俺はレイピアを振り下ろした────。
――――――――――†――――――――――
another prespective by Vellstar…
「ただいま帰りましたよっと」
ロンドン中の魔力残滓を調べ尽くし、犯人に予想を付けたヴェルがもぬけの殻になった工房に帰ってきていた。
帰るなりすぐさま玄関から食堂の方へ、途中で人の気配がないことに気付く。
「ティスも居ないし、何か思いついて行動に移してるのかな……っと、おや」
テーブルの上に置手紙と何やら見慣れない儀式用の短剣が一つ。
『ヴェルスターへ
師匠の殺害した犯人について、ガーデンの老人に行きあたったので今からタクシーで向かいます。
ティスも同行しているけど悪しからず。
理由は会ったときに話すので、これを読んだら追ってきてください。
追伸 短剣は師匠の道具箱に入っていました。
セイより』
読み終えて一度頷くと、手紙を綺麗に畳み、ズボンの後ろポケットへ丁寧に仕舞い込む。
続けて短剣を拾い上げて、置いていこうかと数秒悩んだのち、魔力で自分の中に格納することにした。
魔術師の裡への格納……魔術師には自分の精神の中に一定のスペースを持っている。
この中はその容量が許す限りの物質を仕舞うことが出来る、一種の結界。
感覚を掴んでしまえば魔力の消費も無く仕舞える、魔術師の特権の一つだ。
もちろん保有している魔力量に左右されるため魔力が少なくなってくれば一時的に出さなくてはいけない。ティスの杖などもここに格納されている。
ちなみにサイズはどのくらいかというとセイは通学カバン程度、ヴェルは一平方メートル、というところ。
「さてと、追いますか」
簡単に装備品のチェックを済ませたヴェルは玄関から一歩外に出て右手を目線の高さまで上げた。
「私は理、原則、その在り方を阻害する。
遮るものは避け、縛るものは解け、翼無くとも空を駆ける。
その目に映ることは無く、」
ヴェルは自身に魔力を掛け、空気抵抗を、重力を、慣性を、そして視覚、魔力感知から阻害していく。
「さてと、一時間もあれば着くかな」
そのままぐっと、しゃがみ込むと、強化の魔術を足に掛け、思い切りハイウィールド方面へ跳躍した。
一息で跳んだ高さはおおよそ四十メートルほど。建物で例えるならだいたい十五階建てのものに乗れる程度の高さまで飛び上がり、そのまま数百メートルの距離を滑空する。
時速にして百キロ、人の出せる速度限界を優に超えてなお、ヴェルの表情は涼しげだ。
「さて、着く前に対策を考えないとな」
セイの置手紙の内容を思い出す。どうやら自分と同じ犯人……あの老人に行き当たったようだ。
初見では不意を突かれ遅れを取ったが、どう見ても本人の戦闘能力が高いようには見えなかった。
抵抗が全くなかったところを見るにおそらく師匠もあの精神干渉を使われたに違いない。
わかってしまえばそちらの対処は出来る。問題があるとすればあの周りにあった武器だ。
磨かれたように美しかった武具たち。……よく確認していないが、ああいった古い武具には魔術的に高い性能を発揮するものが有る、警戒しておくに越したことはない。
「よし」
戦闘方針を決め、ひときわ高く跳び上がる。
森に近付くにつれ視界いっぱいに広がっていた綺麗な夜景がどんどん少なくなっていく。
「ん……あれ、は」
闇に静まり返る森の中心、不自然に蒼く淡い明かりが灯っている。
あのあたりは確か……と、ヴェルは目を凝らす。
蜃気楼のように揺らいだ空間の向こう、うっすらと見覚えのある森が。
「……ガーデンか」
ヴェルは一瞬だけ考えると、まっすぐその揺らぎに飛び込んだ。
通過する瞬間、何かが体に張り付くような感覚に襲われた。
「今回はすぐに戻れない気がするな……」
呟きながら華麗に着地する。
準備などを全くせずにすぐさま飛び込んだため、今回は外界とのつながりを保つ糸は無い。
少し先には覚えがある魔力の残滓が三種類。
セイと、ティスと……あの老人だ。
「リリース……」
槍を自分の裡から喚び出し、ぐっとしゃがみ込む。
移動時の阻害魔術はまだ切っていない。ヴェルはふっと一度息を吐くと思い切り跳躍した。
街から飛んできた速度の三割増し、全力で一気に距離を詰める。
「……見えた」
五百メートルほど先、セイと老人が戦闘している。様子を見る限り、やはり戦闘能力自体は高く無いようだ。
ならば、と、やや高めに跳び上がり、詠唱を始める。
「冷酷なる色彩、輝きを失った心が旅を終える。
重ならないもの、重ねられないもの、惹き合う奏者は擦れ違う。
砕けぬように、朽ちぬように、惹き合う故に擦れ違う」
相手は気付かない。魔力濃度がやたら高いが……許容範囲内。この程度のコントロール、出来なくて何が魔術師か。
ロンドンの移動の時から掛けていた感知阻害が効果を発揮していることを確認し、セイが離れた瞬間を見計らい、二人の間に落下する。
驚きに目を見開くセイ、老人の方は……表情からは何も読み取れない。
「Roche limit(砕け散れ、衛る星よ)」
槍が地面に突き刺さった瞬間に老人側に斥力が渦を巻く。
自動車程度なら数秒で塵になるまでひき潰すそれは、老人を中心に辺りの木々を粉微塵にしていく。
武器を警戒するのならば、武器を使う暇を与えなければいい。
ヴェルは警戒を解かず、槍を構えて視界が回復するのを待った。
「駄目だ、ヴェル、そいつは……ッ」
後ろからセイが慌てて声を掛けてくる。
「駄目って何がさ、俺がお前以外に負けるとでも思ってんのかよ」
何やら焦っているセイの方を一瞥し、にっと笑って見せる。さすがにこの一撃で仕留め切れているとは思っていないので警戒を緩めることはない。
「そうだよっ、そいつにはお前でも勝てな……」
セイが言い切る前に。
「こ、ふ……」
自分の左胸から鋭利なものが突き出てきたのを見た。
信じられない、視線を逸らしたとはいえ、油断は全くしていなかった、だというのに移動する気配を一切感じなかった。
「……ッ」
ぎり、と歯を食いしばって胸から突き出てきている槍を掴み、回し蹴りを放つ。どちらにしろ死ぬが、引き抜かれたら即死だ。絶対に、引き抜かせ────。
「……」
ぎょろり、と、視界いっぱいに広がる老人の顔。
―――――虚ろな闇が、こちらを覗き込んでいる。
しまった、と思ったときには既に手遅れだった。
恐怖で動けなくなった俺の肩をしっかりつかみ老人はそのままじっとりと値踏みするように睨めつけると、ずるりと俺の胸から槍を抜いた。
「―――――あ、」
引き抜かれたで恐慌状態が解けたが、それどころではない。コップをひっくり返したように、胸から血が零れていく。
「ヴェルッ」
「ヴェルスターッ」
劈くような叫び声。老人に手を離され、俺は力なく地面に倒れこむ。
流れていく視界、ティスが銃で応戦するも後頭部を殴られ昏倒。
意識が刻一刻と薄れていって、駆け寄ってくるセイが視界に入った。
「――――――――」
消えかけていた意識が一気に覚醒する。
「セイッ」
歯を食いしばり、手を伸ばす。そこにはディアンの魔導書が老人の腰に吊るされていて。
それをかすめ取ると、残った魔力をすべて込めてセイに投げつけた
反射的に魔導書を受け取るセイ。
「…………ッ」
老人が初めて動揺を見せる。
ざまぁみろ、と地面から見上げると、セイが涙を流しながら老人を見ていた。あぁ、お前が泣く必要なんて全くないのに。
セイは魔導書に手を置くと、一つだけ魔術を引き出しすぐに裡に仕舞った。
その様子を見て後悔した。魔導書が目に入ったから反射的に投げてしまったが……失策だった。最悪の可能性が脳裏をよぎる。引き出したのはまさか時間の流れを阻害する魔術……時間遡行の魔術だろうか。
この状況を打破するのであれば、確かにもうそれくらいしかない。
「なんで、こんな、ヴェル……ッ」
ぎり、と、老人を睨んでレイピアを構えるセイ。
止めようと声を出そうとして、肺が血でいっぱいになっているのに気付いた。
何故こんなになってまで生きているのか不思議だが、そんなことはどうでもいい。
―――――セイを、止めないと。
あいつは強くなる、誰よりも、何よりも。
それは力の強さや頭の良さなんて簡単に語れるものじゃなくて、この世界での有り方として何よりも強くなるんだ。でも、それは今じゃない。
そんな大それた魔術は今使うべきじゃない。俺の命なんてどうでもいいんだ、だから、止めないと。
「――――――――」
口を開くが、こぽ、と血の泡を吹くだけで何も言葉が出てこない。
『終わりを告げる風と
始まりの鐘は
全てを超えるため
過去の彼方へ』
セイが詠唱をはじめる。俺が聞いたことのない詠唱、ただ言語には聞き覚えがある、これは……日本語か。
老人もまずいと思たのか、攻撃を開始するが何故か動きが鈍い。そのおかげか、セイは老人の槍を辛うじて受け流せている。
「ヴゥァアアアアアアアッ」
やめろと言わんばかりに老人が吠える。セイと老人の周囲で魔力が猛っている、この魔力の反応は……師匠の。
『終わらない狂宴
新たなる戦いの狼煙
過ぎた力へ
消え去る想い―――――』
セイが詠唱を終えるとともにレイピアが天に翳される。魔術は瞬く間に辺りを包み込み、光に消えていく老人は諦めたように顔を背けていた。
何もかもを消してしまうかのような極光はしかし、安心を覚えるような温かさがあった。
視界が光に覆われる直前、セイと一瞬視線が合った。
セイが口を開く。音は全く聞こえなかったし、視界もかすんでよく見えなかったが、何故か『ごめん』と、言っている気がした。
――――――――――†――――――――――
Inter lord…
時は遡ること、半日ほど。
セイとヴェルがカプセルホテルに入って寝入った頃。
「まったく、朝になっても帰らんとは偉くなったの、あやつらめ」
やれやれ、とため息を吐くのはヴェルとセイの師匠である魔術師の老人、ディアン=ツェペッシュ。
少しこの魔術師と弟子二人の話をしよう。
彼はこの町では知る人ぞ知る魔術師の一人で、齢三百を超えていると言われる大魔術師である。……のだが、ここ百年以上工房にこもりきりで自身の魔術の研究に没頭している為、その界隈でも彼の事を知る人間はだいぶ少なくなってきた。
彼はもともと魔術とは関係のない人間だった。
このロンドンで平和な家庭を築いた普通の男性で、死ぬ間際に『妻を残して死ぬのは嫌だ』と強く願い、通りかかった吸血鬼にその願いを聞き入れられた。
祖の吸血鬼の名前はフレシア。気まぐれで彼を眷属に変えたのち、いずこかへと姿を消した。
ディアンは無事妻を看取ったのち、その消えた吸血鬼にお礼を言う為だけに魔術の研究をはじめた。
その研究は『時間の流れを阻害する』
様々な文献に登場する魔術の到達点の一つである。
禁忌である魔術のひとつのため、本来であれば弟子も取らない、とれない。それでもヴェルを弟子に取ったのは彼の両親、ハイルロード家から研究資金の援助を受ける為だった。
ではセイはなぜ弟子入り出来たのか。というと、こちらにも理由がある。
ディアンは研究資金を受け取るとヴェルの面倒を見ずに三か月もの間研究に没頭したせいで援助を打ち切られ、借金まで抱えそうになった。
困り果てたディアンだったが、その時にヴェルに『極東へ修行に連れて行ってくれるなら親と話をつけてやってもいい』と言われ、これをやむなく承諾。
半年にわたる極東……日本での修行(という名の旅行)中にヴェルが魔術を使える少年を見つけ、彼を弟子にしたいと懇願。ディアン、ヴェルと同じ『阻害』の魔術属性を持っていたこと、そしてヴェルの修行時間を短くするという条件で彼の弟子入りを許可した。
その後、ディアンが少年に魔術師銘『セイ・ディリブ=フロクレス』を与え、今に至る。
ディアンは時折その時のことを今でも思い出す。ヴェルがセイを見つけたときに言った、その言葉を。
『Is this the hero…(こいつが主人公か……)』
その言葉の真意は今でもわからない。ただその時のヴェルの表情がとにかく印象的だった。
言葉通りの羨望でも尊敬でもない、困ったような、それでいて楽しそうな眼。
その時からヴェルは魔術にそれほど執着しなくなり、ガーデンの事を調べ出した。と言っても執着しなくなっただけでその習得速度は常人を遥かに逸していたのだが……それはまた別の話、である。
「ん、帰ってきたかの」
工房の入り口が動くのを察知してディアンはため息をまた一つ。時刻は午前七時を回ったところ、夜遊びをして帰ってくるのならまぁ、順当な時間だろう。
しかし、はて。とディアンは首を傾げる。気配は一つ。二人で出かけたのなら一緒に帰ってくるものだが。と、考えているときに異変に気付いた。
気配が自分の部屋へ続く廊下を抜けて真っすぐこちらの部屋へ向かってきている。
ディアンは研究中に声を掛けられるのを嫌う為、弟子二人にはよほどなことがない限りここを訪ねてこないよう伝えてある。
ともすれば外部のものか、と思い至りディアンは机の隅にある短剣に手を伸ばし、刃を確かめた。
玄関には弟子達が許可しなければ通れないよう結界を掛けてある。それを無視して来れるということは弟子を篭絡したか、それともそれを突破できる腕前の魔術師か。
どちらにしろ弟子よりは間違いなく強いだろう。だがここは自分の陣地内だ。もし戦闘になったとしても万が一にも負けはあるまい。
ぎぃ、と、鈍い音を立てて部屋の扉が開く。
「誰かは知らんが、命が惜しいならお帰り。
血の提供をお望みなら断る理由は無いが……」
ディアンは諭すように言いながらゆっくりと振り返り、目を見開いた。
「あぁ──────」
そこには、干からびたような隻眼の老人/ユグドラシルでヴェルが遭遇した者/が体中至る所に武器を着けて立っていた。
「なるほど、なるほど。
お前がここにいるということは私の研究はここで終わりか」
納得したように数度頷きながらディアンが言うと、隻眼の老人は深く、頷いた。
「やはりそうか。
ならばここに来た目的は……ワシの魔術研究というところかの」
ディアンが尋ねると隻眼の老人は再び頷く。
「なんじゃ、言葉が喋れんのか。
まぁいい、一つだけ応えろ。
ワシの研究は、成功したんじゃな」
隻眼の老人はディアンをじっと見つめると、深く頷き、一筋涙を零した。
「やれやれ。
なんともまぁ、お前らしからぬ損な役回りだの。なんじゃ、えー……そうじゃな、苦労を掛けたな。いや、これから掛けるのか。
……まぁいい」
ディアンは虚ろになった老人の目を一瞥すると、寂しそうに目を伏せ、ゆっくりと立ち上がった。
「今までずっと頑張ってきたのじゃろ。
老いた吸血鬼の首のひとつくらい、報酬としてくれてやろう、持っていくがええ」
ディアンが言うと隻眼の老人は背中の槍をゆっくりと構え、
「達者でな────」
優しく微笑むディアンをまるで抱きしめるよう心臓を真っすぐに貫いた。




