『一目惚れ』なんて大嫌いだ!
【出会い】
「ボクと一つ、ゲームをしようか」
小学校入学を控えた六歳の春、子供の俺に目線を合わせたきれいなお姉さんは、そう言って声を弾ませていた。
「君に一つ力を貸してあげる。君が力に溺れなければ君の勝ち、溺れてしまえばボクの勝ちだ」
大人と呼ぶには声や顔立ちに幼さの残るそのお姉さんは、俺の知り合いではない。
知らない人には注意しろ云々はごもっともだが、当時は間が悪かったんだ。
田舎の祖父母の家に従妹の幼馴染と遊びに来たところまではいい。しかし大人は酒盛り、幼馴染は風邪っ引きで俺はとにかく暇を持て余していた。
遊び相手を求めて足を延ばした近所の公園には、子供どころか人の気配すらない。
俺は碌な遊びもできずに地面に落書きして不貞腐れていた覚えがある。
「ボク? ボクは悪魔だよ。分かるかな? ほら、魂と引き換えに何でも願いを叶えてくれるっていう魔法少女的なアレだよ」
だから、いつの間にか視界の端に現れた見知らぬ他人に、好奇心とともに声をかけたのは仕方ないことだろう。
短い黒髪に浅黒い肌、赤い瞳、見慣れぬ服装に女性でありながら『ボク』という一人称。
悪魔を自称するお姉さんに特別なものを感じながらも、当時の俺はただ遊び相手が見つかったことを喜んでいた。
彼女は夕暮れまで俺と遊んでくれた後、遊び足りないとぐずる俺を見て一つのゲームを提案してくれた。
「君に与える力は魅了だ。魔力のない君にはオンオフの切り替えができないから、常にオンにしておくよ。これで君は驚くほど周りから愛される子になる。血縁や同性さえ多少は惹きつけるられるから、すぐに寂しい思いをすることもなくなるよ」
それは彼女にとって、暇つぶし程度のつもりだったのかもしれない。
あるいはモノ知らぬ子供を狙った計画的なものだったのか。
どちらにせよ、俺にとってはあまりに早すぎる人生の転機だった。
「力に溺れないというのは、つまり他人の好意に応えないことさ。まあ今の君に言っても分からないだろうから、初回のミスだけは軽い罰で見逃してあげるよ。そして、君が勝てば願い事を何でも一つ叶えてあげよう」
「……はぁれむえんど?」
「どこでそんな言葉を覚えるんだい!?」
正直なところ、彼女の言葉は当時の俺には難しく、ほとんど理解していなかった。
それでも彼女がまだ何かしらの遊びを続けてくれることが嬉しかった俺は、無邪気な笑顔を浮かべてうんうんと説明に頷いていやがった。
「君が負ければ当然その時点でボクが君の魂をいただくよ。ああ、ちなみに魅了の対価として、君の魂の所有権はボクが預かっておいてあげる。後で返すから心配しないでね」
「うん? よく分からないけど、分かった! 悪魔のお姉さんありがとう!」
「君が将来詐欺師に騙されないか、お姉さん心配になってきたよ」
悪魔が言うことじゃねえ。
もっと性質の悪いやつに関わってるし。
「それと、ボクのことは皆に秘密だよ。これも悪魔の契約だ。期限は今日から十二年。それまでボクを楽しませておくれ」
「……なんで十二年なの?」
「十三年でもいいけど、一年はボクからのプレゼントさ。君の魂の所有権は最大であと十三年しかないんだ」
「どういうこと?」
首をかしげる俺に、彼女は闇に溶けるようにその姿を薄めながら、悪魔的な笑みを浮かべて答えた。
「ゲームの期限を終えて願い事を叶えても、君はその一年後に天使に殺されて死ぬんだよ」
【小学生時代・前半】
自分の寿命を知り、魅了を手に入れ、小学校に入学しても俺の日常に劇的な変化はなかった。
周りより運動と勉強ができたのでチヤホヤされることは多かったが、他にも同じようなやつはいたので魅了の力を意識することはなかった。
それでもあの公園での出来事を忘れなかったのは、田舎に行くたびに彼女に会えたからだ。
「やあ少年。そろそろ面白いことは起きてないかい? 幼馴染の子は女の子だったと思うが、何か変化はあった?」
「な~んにもないよ。あいつも俺も友達たくさんできたから昔ほど一緒に遊んでないし、爺ちゃん家に来る日もバラバラだから、むしろ疎遠になってるよ」
「おやおや、君も難しい言葉を覚えたものだね」
「へん! 俺はもうガキじゃないからね!」
まごうことなきガキだ。
疎遠という言葉も、前日に観たドラマで覚えたから使いたかっただけだ。
しかし子供ながらに当時の俺はサンタの正体を知る年ごろでもあり、彼女が本当に悪魔であるなんていうことは信じていなかった――あの痛ましい事件が起きるまでは。
「好きです! 初めて会ったあの日から!」
「へ?」
事件が起きたのは小学四年生の冬、学校の屋上だった。
きっかけはたぶん、当時クラスでも流行っていた恋愛ドラマが感動の最終回を迎えたことだろう。
それまでも友愛に似た好き嫌いはあったが、ドラマを見て恋愛感情を自覚する女子が大量発生したのだ。
最初に俺に告白してきたその女の子も、それまでは男子と外で遊ぶやんちゃなタイプだった。
……そう、最初に、だ。
「ちょっと、抜け駆けしないで! 私だってずっと好きだったのよ!」
「わ、わたしも!」
「一目見た時から……恋に落ちていました」
野次馬や本命を含め、人が押し寄せる屋上は桜の木の下を超える激戦区となった。
相手は同級生や上級生、下級生に給食のおばちゃんまで多岐にわたる。
しかし、告白の内容は要約すれば全て――
「一目惚れです」
告白の常套句と言えばそうだろうが、十数人の人間から告白されたうえで誰一人として俺を好きになった明確な理由を挙げていないのだ。
言うまでもないが俺は超絶イケメンなどではない。
後に『屋上ラブパンデミック』と呼ばれる事件の中心にいた俺は、初めて魅了の恐ろしさを実感し……三か月引きこもった。
一目惚れなんて、大嫌いだ。
【小学生時代・後半】
三か月後。
学年が上がったことをきっかけに、俺は新たなクラスに登校を始めた。
「あ! 久しぶ……り!?」
「うそ……!?」
「きゃああああああ!!」
そこには変わり果てた俺の姿があった。
デブで、不潔で、運動も勉強もできない、卑屈な嫌われ者が出来上がっていた。
「はは、ずいぶん思い切ったね」
「うるせえ」
幼馴染は目を丸くしながらも、変わらず話しかけてくれた。
こいつにだけは引きこもる前に事情を話し、相談に乗ってもらっている。
もちろん悪魔や魅了の存在に確信を得た以上、そのあたりについては話していない。
「私も初めてよ、『モテない男の条件は?』なんて相談されたのは。あの事件の話を聞いた時は冗談だと思って笑ったけど、まさか本気だったとは……。あなたが全部実践するとは驚きね」
「……やり過ぎたとは思っている」
だが非モテ作戦の効果があったのか、俺に話しかける女子は激減した。
女子と目が合った瞬間に嘔吐されたときはさすがにへこんだ。
ちなみに不登校期間に田舎の公園にも行ったが、悪魔のお姉さんには今まで通り普通に会えた。
「やっと面白くなってきたね! 君の人生が素敵に劇的であることを祈っているよ!」
「悪びれもせず……悪魔みたいなやつだ!」
「いや悪魔だよ!?」
当然だが俺が彼女を喜ばせてやる必要はない。
魔力操作は早々に諦め、現実的な対策を考えた結果が不登校明けのこの姿だ。
要は、魅了で一目惚れされない姿になればいい。
仮に何かの間違いで一目惚れしても、今の俺の姿なら、あんな事件は二度と起きないだろう。
「くせぇよ、デブ!」
「……うす」
「あたしがいつ喋る許可出したよ!?」
「……」
五年生ともなれば、だいぶクラス内のポジションもできあがる。
眼鏡を掛けてる男子が博士になるかメガネザルになるか、この時期にはほぼ確定している。
今の俺のポジションはクラスの最下層、所謂いじめられっ子だ。
……何故か頭に『不良女子グループの』が付くが。
「黙ってんじゃねえよ、豚が!」
「……うす」
「やめなさいよ! 彼が嫌がっているわ!」
「あぁ? 委員長さんはこの脂肪がお気に入りか?」
「今そんな話してないでしょ!」
肉食系女子かあるいはデブ専か、不登校明けから俺は一人の不良女子にからまれている。
ちなみにかばってくれているのは真面目を絵に描いたようなクラス委員長だ。
女子にいじめられ、女子にかばわれる。
こんな見た目でも最低限の魅了が効いているのか、キツイいじめはないので甘んじて受け入れている。
何より、あれから告白は一度もされていない。
客観的に見てもこれだけみじめな俺に恋する女子はいないのだろう。
「ふーん、今そんなことになってるんだ。本当にきつかったら言ってよ? 幼馴染が二回も不登校になるなんて私は嫌だからね」
「大丈夫だよ。まあ何かあったら頼りにさせてもらう」
「うん。……よし、宿題終わり! コンクールの練習があるから私は帰るけど、あんたも残りの宿題さっさと片付けなさいよ」
「へーい」
幼馴染はクラスが違うが、時々俺に勉強を教えに家に来る。
従妹で幼馴染のこいつは血縁扱いなのか、俺が魅了を手に入れてからも態度が変わった気がしない。
入学してからは多少疎遠だったが、非モテ相談から至る俺の現状に的外れな責任を感じているのか、ピアノのレッスンの合間に時折世話を焼きにきていた。
そして時が過ぎ、俺の主観としては何事もなく六年生になって、修学旅行で京都や奈良巡りが始まった。
修学旅行といえば学校生活最大のイベントだ。
正直に言えば、油断があった。
俺なりに魅了を制御できている、だから大丈夫だ、と。
魅了で被害が及ぶのは俺ではない他の誰かなのに、そんな当たり前のことすら意識できていなかったんだ。
だからだろう、事件は再び起きてしまった。
「いい加減にしなさい!」
「う、うるせえ! 今は見逃せよ! 分かんだろ!?」
周囲の観光客の視線を集めるほどに声を荒げたのは、意外なことに真面目な委員長だった。
班行動が義務付けられた清水の舞台の見学中、不良女子が俺と共に班を抜け出そうとしたところで委員長に見つかり、呼び止められたのだ。
いつもなら不良女子も多少おふざけしたところで委員長の叱責を受け、渋々いい子ちゃんを演じるのだが、今日はどちらも様子がおかしい。
不良女子が不良グループではなく、一人で俺をどこかへ連れ出そうとしたこと。
他の班である委員長が、まるでずっと警戒していたかのようにそれを見咎め、人目を引くほど声を荒げてまで不良女子に注意していること。
「い、委員長? 俺たち周りの迷惑になってるから、とりあえず話は隅っこで……」
「あなたは黙っていて!」
「ぶひぃ」
「誰のせいで……! 私がどんな気持ちで――」
「へ、へぇ、どんな気持ちだよ? 言ってみろよ委員長さんよぉ」
「うっ……、そ、の……、あ、あなたと同じ気持ちよ!」
「なっ!? あ、あたしは別にこのデブのことなんか、なんとも思ってねえよ!」
いやまだ誰もデブに対する気持ちが、とは言ってませんぜ、ボス。
まあ、話の主題は俺なんだろうけど。
「なら彼を連れて何をしようとしていたのよ! こ、告白でしょう!?」
「ばっ!? おまっ!? ち、ちげえよ! こんな豚なんざ好きになる奴なんて――」
「私は好きよ!」
「!?」
清水の舞台の真ん中で、周囲の視線を一手に集め、顔を真っ赤にしながらも、委員長は言い切った。
「私は……彼が好き。いつからなんて覚えてない、きっと初めて彼を見た時から……彼が変わった後もずっと……ずっと!」
「……っ」
「私は……言ったわよ。さあ、あなたは? 言えないの!?」
「あ、あたしは……」
薄々、気付いてはいたんだ。
きっと、魅了は俺が考えるほど甘くない。
あの事件なんてほんの一部と思えるほどに、もっと無差別に、無遠慮に魅了は振りまかれているんだ。
それは俺の見た目や悪評なんかで覆せるものじゃない。
なら、何故この一年は平和だったのか。
「あたしは……!」
不良少女と目が合う。
見る見るうちに顔が赤くなる、かと思えばすぐに青ざめて、表情も照れと嫌悪と混乱をないまぜにしたような複雑な心情が透けて見える。
不意に野次馬の奥から聞き覚えのある声が聞こえる。
クラスの奴らが集まってきた、それに気づいた不良少女の瞳に絶望が灯る。
知らない他人ならまだしも、クラスのみんなの視線は容易く彼女の心を追い詰めた。
不良少女は腕を組み、少しでも不遜に見える態度を取りながら、涙声で叫ぶ。
「あ、たしがっ! こんなデブで、不潔で! ……っ、何のとりえもないやつを好きになるわけ、な、ないだろ! ……はっ! 委員長さんの趣味がそんなに悪いなんてな! みんなの笑いものになるだけだぜ!?」
最後に俺を一瞥した不良少女は、振り返ることなく、そして、こぼれる涙を拭うこともなく走り去っていった。
「……知ってるわよ、バカ」
……果たして、この一年は本当に平和だったか?
答えは簡単、平和だったのは俺の頭だけだ。
魅了を受けた彼女たちはずっと心を乱されながらも、好意を押し殺してきた。
不潔でとりえもない見た目も最悪な相手に、好きだとはなかなか言えない。
きっと生理的に受け付けない思いもあっただろう。
それでも魅了の好意は消せない。
隠しても、押さえても、溢れてたまらなくなる。
その結果が不良少女で、委員長だ。
「委員長」
「……はい」
「ごめん、今は誰とも付き合えない」
「ん、そっか……振られちゃった、か。……誰とも?」
「うん、ごめん」
「なら、あの子を追いかけてあげて。救いがなくても、あのまま終わるんじゃ可哀想だもの」
「……デブの運動音痴に酷なこと言うね」
「美少女二人を振ったんだもの、相応の罰は受けなさい」
「委員長は美少女っていうか――」
「早く行け!」
「ぶひぃ!」
ドタドタと走り去る途中、委員長が声を殺して嗚咽を挙げている姿が目に入った。
……やっぱり委員長は美少女っていうより、いい女って感じだよ。
結局、後に『清水ラブハザード』と噂されるこの事件のおかげで、俺は魅了との付き合い方を考え直すことになった。
【中学生時代】
中学では特筆すべき事件は起きなかった……起こさなかった。
周囲からの祝福がない恋ほど辛いものはない。
あの事件で得たその教訓から、俺は方針転換した。
非モテへの告白に余計な壁があるように、モテへの告白は多少なりとも心が楽になるはずだ。
結局全て断ることになるが、魅了の被害者にも、せめてその恋に誇りを持てるような男になろうと決めた。
運動と勉強で体重を落とし、清潔感を身に着け、可能な限り目立つ存在となることで王子様扱いを目指した。せいぜい雰囲気イケメンがいいとこの俺でも、情報操作と魅了の力でどうにかなるはずだ。
その結果、中学三年間で告白された数は三桁を超え、ファンクラブまでできた。
それでも、告白の言葉は結局のところ全て『一目惚れ』だ。
俺が少し人間不信になった程度で、特筆すべき点のない三年間だった。
あえて何かを挙げるなら、幼馴染が世界的なピアノコンクールで入賞したことくらいか、すげえな。
ちなみに悪魔のお姉さんが本当に悪魔――少なくとも人外――であるという確信も得られた。
出会ってから約十年、外見に一切の変化が見られず、今では俺と同い年か下手をすれば年下に見える。
「いやぁ格好良くなったねぇ。ボクより背が高いなんて生意気だよ」
「そっちが変わらないからな。もはやお姉さんなんて呼べねえな。やい悪魔」
「悪魔だよ人間くん。まさか一度も魅了に揺らぐことなくここまで来るとは思わなかったよ。あれだけモテるくせに全員に返事するし、毎月のようにボクに報告に来るし、バカ真面目だねえ。おかげで十分楽しませてもらったよ。そろそろ願い事を考えておいたら?」
「願い事なら前から決まってるよ。悪魔が途中でゲームを投げて逃げないように、こうして会いに来ているんだ」
「ハハッ! やっぱり寿命を延ばしたいのかな? それとも魅了を自分の力にする? お優しい君なら傷つけた相手へのお返しとか考えているのかもね」
「……」
「なぁに、逃げやしないさ。ボクも楽しみにしているよ。本当に……ね」
【高校生時代・最後の事件】
そして高校三年生の終わり。
俺は青春の大半を悪魔に振り回されたが、それもあと一週間だ。
……怖い。
それは同時に、俺の寿命が一年を切ることを示す。
ゲームに勝って叶えられる願い事は一つだけ。
悪魔の言うように、魅了は多くの心に傷を残した。
全てを消しても、俺の残りの人生はあまりに短い。
来週には高校の卒業式がある。
中学の卒業式という名の告白ラッシュで泣かせた数は、小学生の頃より抑えられた。
おそらく高校では告白ラッシュ自体がないはずだ。
もしまた誰かを傷つけても、自分で背負う覚悟はできている。
だから、我がままと言われても願い事は俺の未来のために使う。
たとえ今日、何があっても。
「なんだか一生隣にいる気がしてたけど、あんたとこうして話せるのもこれで最後かもね」
「幼馴染とはいえ十年以上の腐れ縁だからな。だけどもう明日には日本を発つんだろ」
「私は思ってた以上に天才だったみたいでね。世界有数のピアノの先生に弟子入りできるのよ」
「何が天才だ、あほみたいに頑張ってたじゃねえか」
「……あんたの努力を見てたからよ」
別れを間近に控え、俺は幼馴染に呼び出されていた。
魅了に振り回され続けた俺にとって、変わらずそばに居てくれたこいつは最高の親友だった。
ただ、俺もニブくない。
「いや結構緊張するね。私のガラじゃないってのものあるけどさ」
「それで、我が生涯の大親友は何のお話があって呼び出したんだ」
「うわ、きっつ。絶対察してるでしょ、あんた。もう返事だけさらっと頂戴よ……それとも今のが返事だったりする?」
軽口を浮かべながら目を合わせない。
やたら足で『の』の字を書いて落ち着きもない。
こんな幼馴染は初めて見るし、もっとからかいたい気持ちもあるが、誰が相手でも告白には真摯に対応すると決めている。
「もしあと一週間遅く俺を呼び出していたら、対応も色々変わったかもしれないけどな」
「来週にはもうあんたと容易くお話できない環境にいるのよ、私は。顔を見て言いたいしね、こういうのは」
「なら、さっさと言っちまえよ。さあどんな素敵な言葉をくれるんだ」
「…………あぁ、もう! 私は――」
幼馴染が真っ赤になった顔を上げ、やっと俺と目を合わせる。
よく見れば足も少し震え、こぶしも痛いほど握りしめているのが分かる。
告白の言葉自体はチープなものだった。
今更余計な言葉なんていらない間柄だ。
それだけの月日が、思い出が、そして想いが、俺たちにはある。
……だから、裏切られたような気持ちもある。
俺の返事に関わらずこいつは明日ここを発ち、きっと俺が生きている間には帰ってこない。
今までの告白で誰からも聞けなかった言葉を、こいつから初めて聞いた。
嬉しい、それは間違いない。
でも、その言葉をお前が言うのは、違うんだよ。
「いっそのこと、『一目惚れ』だって言ってくれれば……」
幼馴染と初めて会った時なら、魅了なんて関係なかった。
幼過ぎて恋なんて知らない年頃だけど。
今も、知っているなんて言えないけど。
「それはあんたが一番嫌いな言葉でしょ。それに初めて会った時の記憶なんてもう覚えてないわよ」
俺は覚えてるよ。
きれいな髪と瞳を見て、まるで天使みたいな女の子だって思ったから。
……絶対言わないけど。
「あんたが何かを隠して苦しんでいることは知ってる。それを聞けもしないで、あんたが傷つくと分かったうえで言うのは卑怯だとも思ってる。でも、我慢できなかった。たぶんこれが私とあんたの最後だから……」
ああ、知ってるさ。
一目惚れだろうとなかろうと、きっかけなんてどうでもいいんだ。
今までの相手だって、それが魅了の力だとしても、気持ちに嘘はなかった。
だから、俺は――
「――――、――!」
色々な感情や言葉が頭を巡り、うまく言葉にできなかった。
一言二言だった気もするし、もっと長く喚いていた気もする。
本当に言うべきだったのかも分からない。
ただ、言うべきことではなく、言いたいことをぶつけた。
いつの間にか下を向いていたことに気付き、今度は俺から視線を合わせる。
あいつはいつものように、いつもより少しだけ綺麗な顔で微笑んでいた。
「ありがとう」
それが俺の知る幼馴染の、最後の言葉だった。
「ねえ、ところで――」
「あんたはだれ?」
「……え?」
「あれ? 私何でこんな場所にいるの? うわ、時間!? 明日の準備しなきゃ! えっと、誰か知らないけど、さよなら!」
「あ、さ……さよなら」
あまりに突然に、人が変わったかのような様子で幼馴染が去っていった。
それはまるで赤の他人と接するように、俺との今までの思い出なんて、全てなくしてしまったかのように。
「『まるで』ではなく、なくしたのさ」
「あ、悪魔……。何で……?」
「君はタブーを犯した。最初だけ軽い罰で済ますルールだからね。彼女から君に関する記憶を全て消したんだよ。いやはや、本当はもっと幼い頃にミスをして、そこでボクの超常的な力を見せるはずだったんだけどね」
「ふざけ――」
「もちろん、願い事で彼女の記憶も戻せるよ。このままならゲーム自体は君が勝ちそうだしね」
「……っ」
「楽しみにしているよ、君の選択を」
「待て!」
俺がほとんど問い詰める暇もなく、悪魔は姿を消してしまった。
既に幼馴染の姿はこの場にない。
彼女との別れは涙の一つもないまま、あまりにも呆気なく、終わった。
「悪魔のせい……じゃ、ない。俺が全て承知で話したんだ」
悪魔の契約も、魅了も、幼馴染との関係も、全て理解したうえで今ここで答えを出すことを選んだのは自分だ。
「『ありがとう』……か」
感傷に浸るにはまだ早い。
俺は放置していた鞄を掴み、帰路に就いた。
放課後のスピーカーからは我が校自慢のピアニスト、その聴き慣れた旋律が鳴いていた。
【契約完了】
一週間後、俺は卒業式をサボって田舎の公園に来ていた。
ここでなくとも会えるようだが、なんとなく、ここが一番ふさわしく思えた。
当然、あれから一度もタブーは犯していない。
今日は悪魔に願い事を叶えてもらうために来ていた。
「コーングラチュレーション! まさかあの鼻垂れ小僧がこんな立派に育つなんて誰が予想しただろうか! いやぁボクも惚れ惚れしちゃうぜ!」
一番懸念していたドタキャンだが、悪魔は呼び声に応じて普通に出てきた。
むしろ普段よりテンションが高い。
「おい悪魔、確認するぞ。本当に願い事を叶えるんだろうな」
「疑り深いねぇ。ボクは君が気に入ったんだ。神に誓って嘘は言わないよ!」
「悪魔が神に誓うなよ!」
「デビルジョーク! 君が気に入ったのは本当さ。ボクの魂が欲しければあげてもいいね!」
「……それで俺の寿命が延びるのか?」
「え? 延びないよ、何言ってんの?」
「~~っ」
あまりこいつのペースに乗せられてもマズイ気がする。
それに俺は寿命を延ばしに来たわけじゃない。
そうだ、俺の願いはずっと変わらない。
「さあ、ゲームは君の勝ちだ。君の魂の所有権と引き換えに、魅了は返してもらったよ」
「……何も変わった気がしないぞ、悪魔」
「大丈夫。契約に関することは万全さ。……もう悪魔のお姉さんと呼んでくれないのは寂しいねぇ」
「それは結構前から呼んでない」
「そうだっけ?」
思えばこいつとの付き合いも随分長い。
家族や幼馴染を除けば一番親密だろう。
だから、こいつが嘘を言うタイプでないことは分かっている。
そう思わせることが狙いだとしたら、さすがは悪魔だと称賛してやろう。
「ほらほら、願いを言いたまえ。寿命、冨、異性、異能の力、あるいは過去でも変えようか?」
「……ああ、二度は言わない。俺の願い事を聞いてくれ」
一世一代の大舞台を前に、心臓が爆発しそうだ。
歯の根も合わず、喉が渇く。
掌に汗をかき、体中を熱が巡る。
自分の体が自分のものではないみたいだ。
「……ふぅー」
分かっている、この緊張感は何度も味わってきた。
ただ今回は、立場が逆なだけだ。
たぶん今までで一番真面目な顔をして悪魔と目を合わせる。
悪魔が少しびくっと震えていた。
顔が発熱し、少し涙目になって焦点がぶれた。
「悪魔」
「は、はいっ!?」
こちらの緊張が移ったのか、悪魔の声が裏返っている。
いや、もう俺の願い事にも気づいているだろう。
この現場を俺の影から幾度も見てきたのだから。
まさかという気持ちと、予想が当たっときの対処を考えて目を回しているのが見えた。
「返事は今じゃなくていい、俺が死ぬその日、その瞬間まで先延ばしにしても構わない」
「……ごくっ……、う、うん……」
鼓動が高鳴る。
正面を見れば、悪魔も紅潮しているのが分かる。
一呼吸置いて、俺は願い事を口にした。
「悪魔、好きだ。お前の気持ちが同じなら、俺と付き合ってくれ」
「あ~……うぅ……」
おそらく予想は当たっていただろうが、答える言葉は見つからなかったらしく、悪魔は頭を抱えうずくまってしまった。
ピコンとはねた耳が赤く染まっているので、多少の期待は持っていいかもしれない。
「な、なんで!?」
「なんでって……」
何に対する『なんで』なのか要領を得ないが、一刀両断されない以上は見込みありでいいだろうか。
それに、俺の答えは決まっている。
初めて会った時の衝撃は今も鮮明に思い出せる。
子供心に少しでも構ってほしくて彼女の難しい言葉に必死でついていった。
小学生時代、魅了に振り回されて不登校になったとき、変わらず接してくれる彼女の態度に安心していた。
中学生時代、お姉さんの背を超えて初めて『悪魔』呼びしたとき、実は死ぬほど緊張していた。
「それはもちろん―――」
高校生時代、幼馴染との別れで悪魔の存在を話すというタブーを犯した俺に、ゲーム内のルール違反という形で見過ごし、かばってくれた。
記憶を消すタイミングを計り、あいつの最後の言葉を聞かせてくれた。
でも、それは恐らくどれも言い訳だ。
きっかけなんてなんでもいい。
先の短い未来さえ、馬鹿の振りして忘れちまえ。
ただ、俺と悪魔を結ぶのに一番口当たりのいい、使い古された表現がそれなんだ。
俺は悪魔と、悪魔のお姉さんと……初めて会ったあの時から――
「一目惚れだ」
――もっとずっと、遊びたかったんだ。