第8話 屍殺し編
前回の続きです。
薄暗い店舗の中、少年は軽く息を吸った。
焦げた匂い。
発砲後特有の雷管が焼けた香りだ。
それに混じって腐臭も漂う。
電気の供給が途絶えて動かないエスカレーターを進む。
拳銃を握ったまま二階へと向かった。
二階には百円ショップと衣類売場がある。
一階と同様に混乱の影が色濃く残っていた。
買い物かごを抱えて横たわる白骨死体。
食い散らかされた腐肉。
乾いた血溜まりの上に散らばる商品。
そして、保有者の気配も感じた。
近付いてくる足音。
二階にもいるようだ。
警戒を続けながら、百円ショップに入った。
大半の商品は残っている。
これだけ保有者が多いと、略奪を試みる人間も多くはないのだろう。
そもそも、生存者の数自体が僅少なのかもしれないが。
ライトを左手で構え、様子を窺う。
薄暗い店舗というのは、どうしても不気味だ。
今まで様々な店を探索したが、その感覚は変わらない。
元来、人間という生物は暗さに弱いのだろう。
――ナイトビジョンが欲しい。
暗視装置があれば、いくらか楽になるだろう。
視界が制限されるとはいえ、夜間の行動も容易になる。
もっとも、百円ショップにあるような代物ではない。
アウトドアグッズのコーナーに向かう。
百円ショップの進化は著しかった。
最近では簡単なアウトドアに用いることができる商品も展開された。
変異型狂犬病の存在もそれを後押ししたに違いない。
アルミのコップや飯盒は防災グッズとしても使うことができる。
LEDランタンやバンジーコードも同様だ。
期待通り、有用そうなものが残っている。
しかし、手を伸ばしかけて思い直した。
まだこの近辺には保有者がいるはずだ。
物資の回収は安全を確認してからが良い。
先程のように不意を突かれてしまうのは御免だ。
今回は予想以上に相手の数が多かった。
何度戦っても、失敗は尽きないものだ。
文具のコーナーを抜けると、あることに気が付いた。
床に血の足跡が続いていたのだ。
保有者か、あるいは生存者の痕跡かもしれない。
拳銃をローレディーで構え、足跡を追う。
商品棚の角。
ライトの死角から白い手が伸びてきた。
素早く身を引き、ライトを向ける。
顔面を血に染めた男の顔が浮かび上がった。
保有者だ。
同じ手は二度と食らわない。
掴みかかってくる腕を左脇で挟み込む。
そのまま右手の拳銃を眉間に向けた。
屍と目が合った瞬間、引き金を絞る。
相手の頭部が揺れた。
射出口から血が迸り、ゆっくりと倒れ込む。
確認のために足を踏むが、動かない。
即死だった。
気を取り直して足跡の追跡を続ける。
レジの近くで気配がした。
光と銃口を向ける。
保有者がのそりと姿を現した。
首元にはナイフが刺さっている。
生存者に刺されたのだろうか。
刃が突き立てられたままの姿は、この上なく不気味だ。
今まで通り銃口を突き出し、撃発する。
頭部に二発。
崩れ落ちた亡骸を越え、更に進んだ。
足跡は、奥のドアまで続いている。
『関係者以外立入禁止』のプレート。
その先に足跡の主はいるようだ。
銃口を向けながら、ドアに接近する。
耳を澄ませるが、物音はしない。
既に去ったのか、あるいは······。
ドアノブに手を掛け、一気に開いた。
施錠はされていなかった。
銃口と視線を合わせ、内部を確認する。
動くものはなかった。
段ボールが並んだ空間。
白い壁に一体の亡骸がもたれかかっている。
そして、その傍らにも別の死体が転がっていた。
壁の死体はまだ若い男性。
ナイフで自分の手首を捌いたようだ。
乾いて固まった血が生々しい。
もう一つの死体は女性。
顔面にいくつもの刺し傷がある。
右腕には噛まれた痕があり、どうやら感染していたようだ。
――なるほど。
何が起きたのか、すぐに予想できた。
女が感染し、男が殺害。
後を追うように男自身も自決。
部屋に残ったのは、二つの亡骸。
ありふれた展開だ。
この二人の関係性は分からない。
家族か、恋仲か、あるいは仲間か。
何にせよ、男にとっては後追いしたくなる程の存在だったのだろう。
男の選択は限りなく正解に近いと少年は思った。
まず、感染した女を殺すことができたこと。
そして、孤独な生活に見切りを付け、潔く死んだこと。
どちらも、少年にはできなかったことだ。
感染した三笠を殺すことができなかった。
その上、生存本能の言いなりに生き永らえている。
そう考えると、男が羨ましいとすら思えた。
死の直前、男は何を感じたのだろうか。
後悔、罪悪感、恐怖……。
しかし、解放される快感も覚えたのではないだろうか。
生き続ける意味がどれほどあるのか、少年には分からなかった。
終わりの見えない日々。
冷淡な繰り返しの毎日。
そこに大きな意義と価値が存在するとはいえない。
実際に自死を試みたことはある。
何度もこめかみに銃口を押し当てた。
しかし、撃てなかった。
死ぬことすらできず、怠惰として生を享受している。
もっとも、自分には楽に死ねる権利がないのかもしれない。
あの時、三笠を殺せなかったのだから。
「――もういい」
少年は自身を戒めるように呟いた。
必要以上に考えを巡らせてしまう癖。
考えたところでどうしようもないこともある。
死体に羨望を抱いたところで何も変わらない。
ルールその2『現実を受け入れろ』
今この現状を生き続けるしかないのだ。
「失礼しますよ」
軽く呟きながら、亡骸の傍らにあったリュックを取る。
中を見るが、安物の折り畳みナイフと食べかけの菓子があるだけ。
特に役に立ちそうなものはない。
――役立たずだ。
正直な感想だった。
死体には何の価値もない。
せめて有用な物資を持っていて欲しかった。
気を取り直して段ボールを漁る。
百円ショップの在庫だ。
乾電池とタオルを見付けることができた。
ポーチから地図を取り出し、情報をアップデートする。
『探索済み。安全化完了』
地図上のこのスーパーの上にそう記した。
踵を返し、部屋を出る。
ドアを閉める直前、壁によりかかる亡骸を一瞥した。
どこも見ていない虚ろな目。
その瞳が微かに笑ったように見えた――。
次回からまた少女パートになります。
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