第7話 そのSIGを固く握れ
少年は重くなった頭を振り、マウンテンバイクのペダルを漕いでいた。
――飲み過ぎた。
昨晩の飲酒がまだ身体に残っていた。
心なしか、息もアルコール臭い。
最近、こういうことが多くなっている。
つい飲み過ぎてしまう。
とはいえ、健康を気にしている訳でもなかった。
――長生きするつもりもない。
自ら望んで死にはしないが、長く生きたくもない。
多少不摂生なくらいがちょうどよい。
しかし、無闇に飲み過ぎるのも正しくはない。
探索や戦闘に影響を及ぼしかねないのが問題なのだ。
二日酔いで集中できずに死んだのでは死にきれない。
それは避けなければならなかった。
今日の目的は、住宅街から少し離れたスーパーの探索。
そのスーパーに行くのは、パンデミック以来初めて。
食料はもちろん、併設された百円ショップも見ておきたかった。
住宅街を出て広い県道に出る。
吹き付ける風が頬を刺した。
寒さは厳しくなる一方だ。
車道の真ん中を進む。
路肩には放置された車が何台も並んでいる。
警察か自衛隊が通行のために路肩に避けたのだろう。
転がった死体を避け、ハンドルを切った。
ほとんど白骨化していたが、節々には腐肉が。
アスファルトに染み込んだ腐った液体をタイヤで踏み越える。
この世界は死で溢れている。
むしろ生こそが珍しいのではないか
そんな風にすら考えられた。
それから数分で目的のスーパーに着いた。
有名なチェーン店舗。
濃い赤の看板が目印だ。
駐車場には車が放置されている。
正面衝突した二台の車が出口を塞ぐ。
その前後にも避難しようとした車両が押しかけていた。
当時の混乱が窺える。
自転車を止め、店舗の正面入口に向かう。
ガラス張りの自動ドア。
店内の様子を窺うが、薄暗いためにはっきりとは見えない。
自動ドアを無理やり開く。
電気の供給が止まっているため、手動で開く必要があるのだ。
左手でフラッシュライトを握り、店内に入る。
舞い上がった埃が白光に浮かぶ。
激しい腐敗臭が鼻に突いた。
店内でも相当の混乱があったのだろう。
床には商品や骨の欠片が散らばり、血溜まりがあちこちに見受けられる。
薄暗さと相まって店内は不気味な雰囲気を帯びていた。
――いるな。
保有者の呻き声が微かに響く。
一体や二体ではない。
ルール6『ヤバい予感は当たると思え』
六個目、つまり最後のルールだ。
経験上、このルールは毎回正しい。
――これで足りるか?
銃器は拳銃しか持っていない。
機関拳銃を持ってくればよかったと思いつつ、息を吐いた。
――仕方ない、行くか。
斧を握る。
慎重に足を進めた。
緊張がじんわりと広がる。
戦闘に入る直前の感覚。
興奮と恐怖が混ざり合って心臓を高鳴らせる。
身体に染み付いた感覚だった。
恐怖や緊張を感じることは珍しくない。
保有者を怖いと思うこともある。
表情に出さないよう努めているだけで、感じないということはない。
そして、そういった感情すら抱かなくなるようなら、それはもうお終いだろう。
少年はそう思うのだ。
ライトと視線を巡らせる。
――いた。
レジの脇、半袖のシャツを着た男が見えた。
静かに歩み寄る。
男が保有者特有の呻き声を漏らした。
振りかぶる。
刃が頭部に突き刺さり、血が撒き散らされた。
固い感触が手に伝わる。
そのまま足払いを掛け、引き倒した。
再び斧を叩き込む。
そこで息絶えたようだ。
血に染まった斧を握り、そのまま進んでいく。
まずは缶詰を集め始めた。
缶詰は長持ちするので今の状況だと何かと便利だ。
続いてウイダー食品や黄色い箱に入った栄養食品をバックパックに詰める。
最後に生活用水や飲料を回収するため、飲料コーナーに向かって歩き出した。
商品棚の角を曲がろうとしたその時――。
保有者が飛び出してきた。
右手を掴まれ、動きを封じられる。
勢いよく体重がのしかかり、その場に倒れ込んでしまった。
斧が音を立てて落ち、転がっていった。
その音に反応し、他の屍たちが呻くのが聞こえる。
ゆっくりした足音と聞き慣れた低い声。
――最悪だ。
襲い掛かる目の前の保有者を抑えながら思った。
このままでは囲まれた挙句、好き勝手に食われてしまう。
髪を振り乱した女。
馬乗りになり、噛みつこうと口を開いている。
両手で首を締め上げ、何とか均衡を保っていた。
女の目から流れる血が頬に垂れた。
鉄臭い。
少年の中の憎悪が一層増した。
向こう側から二体の保有者が近付いてくる。
呻き声はそれ以上の数に聞こえる。
まだ後ろに控えているのだろう。
猶予はない。
膝を立て、体勢を横にずらす。
脚で巻き込むようにして保有者を床に倒す。
体勢が逆転し、今度は少年が馬乗りになった。
プレートキャリアの肩部分にあるナイフに手を掛ける。
結束バンドで巻き付けたシースから引き抜く。
「――死ね」
一瞬で保有者の眼球を突き刺した。
刃先が脳に達し、そのまま動かなくなる。
少年はゆらりと立ち上がり、ナイフを仕舞った。
そして今度はホルスターから拳銃を抜く。
愛用のSIGP228。
顔を上げる。
返り血に染まった頬。
双眸には冷たい闘志を浮かべていた。
「殺るしかない、か」
複数の敵。
狭い屋内で逃げ場はない。
拳銃を使うべき状況だ。
もっとも、逃げるつもりは毛頭なかったが。
――まずは二体。
銃口を振り上げる。
歩み寄る屍に照準し、素早く二発撃った。
銃声が響き、銃火が薄暗がりに妖しく光る。
二発の九ミリ弾を受け、一体の頭部が欠けた。
死体が倒れ込むのを見届ける間もなく、次の標的を狙う。
照星と照門に眉間を捉えた。
引き金を引く。
確実なダブルタップ。
もう一体も脳漿を撒きながら、床に沈んだ。
この距離では外しようがなかった。
保有者の痛覚は麻痺している。
頭部を破壊しなければ死んでくれない。
脳幹を撃ち抜くのが一番手早い方法だ。
溜め息を吐きながら、落とした斧を拾った。
シースに仕舞う。
両手で銃を構え、索敵に入る。
見付け出し、殲滅してやるのだ。
容赦はしない。
こういう時、仲間がいれば……。
そう思うことが度々あった。
背中を任せることができたかもしれない。
少なくとも、独りで戦うよりは安心できるはずだ。
しかし、それも想像に過ぎない。
仲間はもういないし、新しく作るつもりもなかった。
“地球最後の男”で十分なのだ。
気配を感じ、銃口を振る。
商品棚の裏から現れた保有者。
一メートルも満たない距離で撃つ。
倒れかけたその屍を蹴り飛ばし、更に進んだ。
エスカレーター付近に出ると、二体の屍が待ち受けていた。
照準を合わせ、一番手前の保有者の頭に引き金を引く。
鉛弾が額に突き刺さる。
間髪入れずに撃った二発目が右目を貫通した。
そのまま次も撃ち倒していく。
すぐさま、二体は死体と化した。
硝煙が立ち込め、雷管の焼けた匂いが鼻腔に広がる。
この香りが好きだった。
残弾は二発。
左腰のポーチから弾倉を引き抜き、交換する。
古い弾倉は腰のダンプポーチに放り込んだ。
弾倉を捨てるのはもったいない。
吹き抜けの二階を見上げると、ガラス張りの柵の上から手を伸ばす保有者が見えた。
制服を着た若い男。
近くにあった私立校のものだろうか。
同年代の保有者。
少し違えば、自分がああなっていたかもしれない。
――運がよかったな。
かつての仲間である三笠に救われたこと。
そうでなければ、自分は“あの夏”に死んでいただろう。
両目で照準する。
銃声が三回。
屍の身体が揺れ、柵にもたれ掛かった。
そのまま体勢が崩れ、落下していく。
床に落ちる。
鈍い音。
首が捻じ曲がり、腕は解放骨折。
まるで壊された人形のようだ。
「酷い有様だな」
他人事のように少年は呟き、動かないエスカレーターを昇り始めた――。
少年のルールが出揃ったので以下にまとめます。
1.躊躇うな
2.現実を受け入れろ
3.家でも靴を履け
4.常に武器を持て
5.ゾンビ作品に学べ
6.ヤバい予感は当たると思え