第77話 挨拶は撃ってから
どんよりとした曇り空。
太陽の光は薄い灰色の雲に隠され、街は薄暗い。
曇天の下、少年は車を走らせていた。
目的地は東部にある市役所だ。
彼女から貰った警察の書類によれば、物資が備蓄してあるという。
発電機や食料、燃料など。
分駐所には発電システムがあるため、発電機が緊急に必要な訳ではない。
しかし、放置しておくこともできなかった。
牧場たちが回収し、力を蓄えてしまうかもしれないからだ。
何より、外に出ていたい気分だった。
昨日の夜にかつて住んでいた実家を燃やさればかり。
何かをしなければ、感傷的になってしまいそうだ。
とはいえ、外も安全ではない。
昨晩の出来事により、危険度が上がっている。
生存者との戦闘が発生する可能性を考慮し、十分な装備を携行。
助手席に座る少女も、リグと防弾着を着用している。
現在のところ、拠点の分駐所は安全だ。
住所の割れていた自宅から分駐所に移ったことは的確な判断だった。
そうでしていなければ、今頃は牧場たちに殺されていただろう。
生活道路から片側二車線の県道に出る。
放置された自動車が道に並んでいた。
車の間から現れた保有者が前に立ち塞がった。
ブレーキが間に合わず、そのまま跳ね飛ばす。
凄まじい音と衝撃。
「大丈夫ですか?」
気を遣って問うと、彼女はしかめっ面で舌を出した。
先端にわずかに血が滲んでいる。
衝撃で噛んでしまったのだ。
「口内炎にならないといいですね」
『最悪』とスマートフォンに入力される。
「文句はあいつに言ってください」
少年は窓を下ろし、拳銃を抜いた。
跳ねられた衝撃で首の曲がった保有者が立ち上がる。
その眉間に九ミリ弾を叩き込み、再び発進した。
県道を抜けて裏道に入ると、放置車両はほとんどない。
民家や学校が並ぶ一帯。
この辺りは、何年も前に数回来た程度だ。
まして世界が終わってからは初めてだ。
小学校の横を過ぎていく。
校庭にはジャージ姿の保有者が彷徨っていた。
――教師だろうか。
辺りには小さい保有者がうろついている。
パンデミックが起きたのは夏休みに入ってからだ。
しかし、学童保育や何らかの行事で児童もいたのだろう。
老若の区別なく襲いかかる保有者たち。
幼い児童たちが辿った最期は悲惨なものだったはずだ。
その恐怖を想像し、憐憫の情が湧く。
しかし、今更何を言っても過去は変わらないと思い直し、湿った感情を抑え込んだ。
それから十分弱で目的地の市役所に到着した。
ガラスが多用され、近代的なデザインの庁舎。
地域出身の高名な建築家が携わったというのを聞いたことがあった。
今となっては沈黙のモニュメントと化している。
駐車場には何台も車があった。
パンデミックという緊急事態でこそ、市役所は重要性を増す。
非常召集された職員たちのものだろう。
つまり、内部には相当数の保有者がひしめいている。
書類を改めて確認する。
物資の備蓄場所は一階の倉庫。
上階は制圧する必要がないということだ。
「先輩は車にいて下さい。まずは自分が様子を――」
『ダメ』
彼女が脚を繰り出し、足の甲を踏んでくる。
やはり一人では行かせてくれないようだ。
高校で単独行動したことを根に持っているのか、牧場との緊張関係を彼女なりに心配しているのか。
彼女の援護なく突入することは許せないらしい。
『一人だと危ないでしょ』
「そんな脚開くと見えますよ」
制服のスカートの間から肉付きの良い太腿が覗いていた。
話を逸らして誤魔化したいと考えた少年だったが、少女は殊更恥じらうことはなく、わざとらしいしかめっ面を作った。
『話を逸らさない』
「――分かりました。二人で行きましょう」
彼女が脚を閉じるのを横目に、MP5を取った。
ボルトを操作し、初弾を薬室に送り込む。
チャキン、と心地よい作動音が車内に響いた。
「最大限警戒していきましょう」
ダットサイトのスイッチを入れながら、少女に声をかけた。
赤い光点が写し出されることを確かめる。
少女も自身の銃器を確認している。
今日は室内での戦闘が想定される。
そのため、彼女お得意の狙撃銃はお預けとなった。
代わりに携行するのは、短銃身のMP5KPDWだ。
「――行きましょう」
スリングを肩に掛け、呟くように言った。
車を降りて周囲を警戒する。
駐車場に保有者の姿はなく、静寂が広がっていた。
得も言われぬ緊張を噛みしめながら歩を進めた。
静かにエントランスへと踏み入る。
視界を大きく取るため、銃口は下げたまま。
いわゆるローレディーの姿勢だ。
窓口付近には死体が転がっている。
警察や自衛隊が奪還を試みたのだろうか。
弾痕がある死体ばかりだ。
白い床には血が広がり、少年の靴底が赤に染まった。
壁に記された館内マップを見る。
食堂の前を通り過ぎた突き当たりに防災用倉庫の記載があった。
変異型狂犬病の存在が明るみになり、世界の国々が感染拡大によって政情不安に陥る中で日本では官公庁や自治体で防災設備や物資の備蓄が進んだ。
これには首都直下地震の対策を兼ねるため、理解を得やすい上、この感染症にはその程度の対処法しか実現できなかったという背景がある。
法整備で保有者の殺害や拘束を事実上認めたが、それとて対策の決定打にはならず、その他大勢の国々と同じ末路を辿った。
今となっては海外の現状など知りようがないが、どこも大差ないのではないかと少年は予想していた。
仮に未だ主権をまともに維持している国があったとして、他国を助ける余力はないだろう。
かの同盟国にしても、この現状を鑑みるかぎり、在日米軍は既に壊滅状態か、撤退しているようだ。
――静かすぎる。
周囲の様子に意識を戻す。
多くの保有者がいるかもしれないと予想していたが、一体も遭遇していない。
これは喜ぶべきか、あるいは……。
マップに従い、食堂の前に差し掛かる。
職員だけでなく、一般の利用者も利用することができるようだ。
入口から様子を伺うが、保有者はいない。
机の上に散らばった料理らしきものは腐り、椅子が倒れている。
壁には機動隊員の死体がもたれかかり、乾いた血飛沫が残っていた。
七月末の混乱からこの冬までの期間を経て、血の痕は黒い。
死体そのものも劣化し、ほとんど白骨だ。
視線を通路の先に戻す。
突き当りに倉庫の扉が見えた。
灰色の無機質な金属製のドア。
防災用倉庫というペイントがされている。
通路を進んでいくと、二つの死体が転がっていた。
半袖のワイシャツを着用した市の職員らしき亡骸。
近付いて確認すると、複数の銃創があった。
服装と噛み傷からして保有者だったようだ。
頭部から溢れた血と脳漿が床を汚している。
それを踏んだ少年の靴底が更に染みていく。
違和感が胸を締め付ける。
単純なことを見逃しているような気がした。
刹那、衝撃が身体中を突き抜けた。
――血が乾いていない!
パンデミック初期に生じた死体ならば、食堂の機動隊員のようにとっくに血が乾いて固まっているはずだ。
しかし、これはまだほとんど乾燥が見られない。
死体も腐敗の様子が一切見られない。
つまり、この死体は出来たてということ……。
思い返せば、エントランスの死体もそうだった。
左足を軽く上げ、血に濡れた靴底を確認する。
つい先ほど、何者かが市役所内の保有者を殺したという証拠。
「――前方警戒」
少年は咄嗟に呟いた。
MP5の銃口を上げ、倉庫の扉に向ける。
少女も同じように即応態勢に入る。
二つの銃口が防災用倉庫の扉を捉えた。
――どうする?
生存者がこの建物に潜伏している可能性がある。
現時点では牧場の一味であるという確証はない。
それでも、その危険性は想定しておくべきだ。
後退の手信号を少女に示した。
警戒状態を保ったまま、静かに後退していく。
まずは食堂に身を潜め、そこで今後の動きを検討しようと考えたのだ。
しかし、偶然とは時に最悪のタイミングに訪れる。
突然、倉庫のドアが開いた。
その向こうにいた数人と視線が合う。
引き金に掛けた指が強張る。
相手が誰か分からないこの状況で、発砲は避けるべきだと理性が判断した。
そして、身体は反射的に次の行動を選択した。
足に力を込め、床を蹴る。
少女を抱き寄せるように、柱の陰に飛び込んだ。
彼女の柔らかい感触と強張った息遣いを感じた。
片目を覗かせ、様子を伺う。
ドアから出てきたのは子供だった。
まだ十歳そこらの男児。
その手には、小さな体に似つかわしくない大ぶりのナイフ。
肩にはショルダーバッグが掛かっている。
――なんだ?
少年は困惑した。
MP5を構えかけた腕が止まる。
どうして子供がいるのか。
「あいつらだ!」
「女もいるぞ」
男児の後ろから数人の成人男性が飛び出してきた。
いずれも銃器や刃物で武装している。
「撃て!」
背の高い男が怒鳴る。
手にした89式小銃を素早く構えた。
その動作は、少年を遥かに上回る経験を物語っている。
――まずい。
少年は慌てて顔を引いた。
直後、銃声と共に柱が削れる。
最悪の事態に遭遇してしまったようだ。
相手はこちらの顔を知り、その上で攻撃してきた。
牧場の仲間たち、つまり学校の住民たちだろう。
牧場の姿は伺えず、探索に訪れた一部のメンバーのようだ。
「応射してください!」
少女に告げながら、柱から銃口だけを突き出す。
狙いも付けずに立て続けに発砲した。
相手の悲鳴やざわめきが響いた。
全員が手練れという訳ではないようだ。
やみくもな射撃でも、相手を威圧し、前進を阻む効果がある。
「隠れろ!」
長身の男の声がした。
鋭い口調ではあるが、落ち着いている。
改めて片目を覗かせる。
ドアの向こうに撤退する住民たちが見えた。
これでようやく態勢を立て直すことができる。
少女に威嚇射撃を頼む。
彼女がドアに向けて連射し始めたのを契機に、柱の陰から飛び出した。
向かいの柱へと全力で走る。
恐怖と焦燥が身体を震わせる。
わずか数メートルの移動が永遠にも思えた。
少女の制圧射撃が途切れる寸前、柱に飛び込んだ。
すぐに身体を起こし、MP5を構える。
柱の裏から銃と目だけを露出させ、被弾の可能性を最小限に抑えるスタンスだ。
鉄製の扉を挟んで状況が膠着する。
扉は閉まったまま、敵は動かない。
しかし、相手がいつ飛び出してくるか分からない以上、こちらも動けない。
奇妙な沈黙が続く。
――どうする?
追撃か、撤退か。
少年は警戒を続けながら、選択肢を思い浮かべた。
このまま奴等を放置して逃げれば、物資が相手に渡る。
それは敵の力が向上してしまうことを意味する。
しかし、追撃には大きな危険が伴う。
相手の正確な人数は不明だが、こちらを上回っているのは確かだ。
その逡巡を相手は見透かしているようだった。
再びドアが開き、人影が飛び出してくる。
少年は銃口を動かし、相手を捉えた。
ダットサイトの赤い光点が小さな標的に重なる。
飛び出したのは、先ほどの子供だった。
ナイフを手に、一目散に駆けてくる。
その表情に恐怖は窺えない。
あるのは、敵を狩ろうとする純真な戦意だった。
相手を照準に捉えたまま、逡巡がよぎる。
この子供を殺せるのか。
まるで時の流れが遅くなったように感じた。
咄嗟に銃口を下げ、男児の膝を撃ち抜いた。
急所を撃ちたくないという気持ちが表れた苦肉の策。
躊躇なく子供の頭を撃ち抜けるほど冷酷にはなれなかった。
彼が廊下に膝を付き、それでもがむしゃらに喚く。
“よくも殺したな” “お母さんの仇だ”
そんな言葉が聞き取れた。
立ち上がろうと膝を上げる。
しかし、それは叶わず、余計に血が溢れ出した。
痛みに耐え、歯を食いしばる男児の顔が涙で濡れる。
――もう動くな。
少年は引き金に指を添えたまま願った。
自分の腰に吊った特殊警棒を脳裏で思い浮かべる。
負傷した子供相手ならそれで十分に対処できる。
しかし、それは相手が単独である場合だ。
警棒を手に飛び出したところで、複数の銃口が火を噴くだろう。
敵はこの男児を半ば囮として考えており、生死を厭わない。
そして、男児自身も復讐心に憑かれ、自らの犠牲を許容しているようだった。
男児がまだ幼い声で叫びながら、ナイフを投げ捨てた。
しかし、少年に安堵は訪れなかった。
男児がショルダーバッグに手を忍ばせたからだ。
取り出されたのは、ビール瓶だった。
中の液体は転倒の衝撃でこぼれているが、それでも半分は残っている。
そして、もう片方の手にはライター。
――火炎瓶!
本能が告げる。
撃て。
さもなくば、焼け死ぬ。
照準の光点は彼の眉間に合っていた。
高性能な機関拳銃でこの距離では外しようがないのだ。
撃つしかない……。
――躊躇うな。
指に力を込める。
引き金が落ちる刹那の感触。
銃が揺れ、反動が肩を蹴った――。
大変お待たせしておりました。
しばらく離れていた間、ブクマや評価をかなりいただけていたようで、嬉しさと同時に申し訳なさも感じております……。




