第4話 もう一人の終末ぼっち
今回から別人物視点になります。
街の西部。
田畑が広がり、のどかな雰囲気が漂っている。
しかし、終末であることには変わりがない。
方々に目を配れば、凄惨な様子が見て取れた。
あちこちに転がる、腐ってどろどろの肉片。
飛び回る蝿の羽音。
時おり聞こえる鳥の囀りや屍の呻き。
静けさと残酷な騒音が混ざり合う。
そんな中、一人の少女が道を歩んでいた。
制服を見に纏い、右手には懐中電灯を握っている。
背負ったリュックには、可愛らしいリスのぬいぐるみがぶら下がっていた。
端正な顔は僅かに汚れ、脚を包むタイツにも小さな穴や傷が。
切れ長の目も疲労で濁っている。
格好は乱れているものの、その体躯と凛とした表情から洗練された大人らしさが窺えた。
背の中程まで伸びた黒髪を風が揺らす。
その香りに冬の気配を感じ取った彼女は、そっと息を吐いた。
――いつまでこうやって生きていくのか。
今まで何度も噛み締めた疑問が浮かぶ。
しかし、それを口に出すことはできない。
少女は高校二年生。
本来なら気力、経験共に充実し、学校生活の楽しさを噛み締めていたはずだった。
無限にも思える十代の日々の特権。
しかし、そんな生活は残酷な形で終わった。
夏に起きたパンデミック。
唯一の肉親である父親が亡くなってから、ずっと一人で過ごしてきた。
家を出て、空き家を転々とし、残された食料を漁る日々。
忙しいながらも充実していた頃とは対照的な生活だった。
そして、これからもその日々は続く。
彼女の最大の目標は生存者との接触だ。
過去のトラウマから、思うように戦うことができない。
だからこそ、仲間を作る必要があった。
今まで生きた人間に遭遇していない。
その代わり、多くの死体を見てきた。
感染し、転化する前に散弾銃で自分の頭を吹き飛ばした老人。
恋人の死に耐え兼ね、首を吊った若い女性。
子供の亡骸を庇うような姿勢で肉を食い荒らされた父親。
遺書を読むことも珍しくはなかった。
その度、記憶に十字架を刻んだ。
自分だけが生き残っているという罪悪感を噛み締めた。
それでも諦めきれない。
今も生存し、安全な寝床を持っている人がどれほどいるのだろうか。
少女には分からなかった。
しかし、そのような生存者が必ずいると信じている。
孤独を埋め、かつての日常を少しでも取り戻すには仲間を作るしかない。
今のままの生活では保有者と何ら変わりないのだ。
ただ生きるために生きる。
それでは生きている意味などない。
この生活から抜け出し、どんな些細なことでもいい。
何か生きている証が欲しい。
そうすれば、『失ったもの』を取り戻せる――。
田畑に囲まれた通りを進む。
正面衝突した二台の車が止まっていた。
流れ出たガソリンは既に固まり、鼻につく臭いは消えている。
どちらの車体もフロントが大きく潰れ、かつての面影は残っていない。
ガラスも広範囲に砕け、赤黒い血が大量にこびりついている。
少女はその横を慎重に進んだ。
無意識に車内に視線を向ける。
フロントガラスに頭部を突っ込んだまま腐りかけた死体があった。
助手席側には死体と呼ぶのも難しい肉片が転がっていた。
事故の影響で身動きが取れなかったのか、あるいは運転手を助けようとしたのかは分からないが、狂暴な屍たちに食い尽くされてしまえば同じことだった。
身体の大部分を食われたからだろうか、保有者として蘇った様子はない。
噛まれれば感染するといえど、物理的な限界はある。
原型をとどめないほどに食われるか、歩く死体として再起するか。
どちらにしても残酷な運命だ。
二人はどのような間柄だったのだろうか。
――夫婦か、恋人か・・・・・・。
いずれにせよ、最期まで行動を共にしていたほど親密であったのは間違いない。
込み上げてくる憐憫の情を抑え込むことはできなかった。
桜色の唇をぎゅっと結ぶ。
しばらく進むと、静かにそびえ立つ消防分署が見えてきた。
古びたコンクリの建物。
一階は駐車スペース、二階は隊員が待機するスペースになっている。
ここが彼女の取り敢えずの住処だ。
拠点を確保しても、定住はしない。
あくまでも生存者を探すのが目的だからだ。
近い内にこの消防分署を出て街を放浪する予定だ。
外階段を上り、中に入る。
机の上には書きかけの書類とボールペンが残されていた。
傍らに置かれたペンの芯は出たままだ。
壁に掛かったカレンダーは七月のまま。
まるで『あの日』から時が止まっているようだった。
少女は執務スペースから奥に入り、待機室に足を踏み入れた。
畳が敷かれた質素な和室。
それに反して西洋風の家具が置かれ、ハンガーラックには女性衣類が掛かっている。
少女は背負っていたリュックを置いた。
中には食料や生活用品が詰まっている。
近所の店から掻き集めたものだ。
安堵の息を吐き、布団に飛び込んだ。
スカートがはらりと捲れ、白い太股が露になる。
少女は、そっとスカートを戻してから一冊の本を手に取った。
『よく出る英単語! 実践編』
かつて使っていた単語帳だ。
少女は入学当初から、都内のとある私立大学を志望していた。
それが未だ心のどこかに残っていた。
だからこそ、こうしてこの本を持ち歩いているのだ。
裏表紙の端には、油性ペンで記名がされていた。
『2年9組 桜ヶ原優里』
端正な筆致。
少女にとっては、懐かしいものだった。
単語帳のページを開く。
英単語とその意味、例文が羅列されていた。
arise、deadly、puberty、syndrome――。
幾度となく目にし、頭に染み込ませようとしてきた。
ある単語が目に飛び込んできた。
『hazard』
――意味は、“危険”。
縁起の悪い言葉だ。
『infection』 感染。
『apocalypse』終末。
やたら笑えない単語ばかり並ぶページ。
読む気が失せ、少女は単語帳を置いた。
どうも集中できない。
以前のように頭に馴染んでこなかった。
勉強するという行為に意味を見出せない。
いくら努力したところで学校が再開される望みはない。
ましてや、受験など望むべくもなかった。
かつての生活がいかに恵まれていたかを思い知る。
何事も失ってからその本当の価値を知る。
ありきたりな言葉だが、その通りだと思わずにはいられなかった。
そっと前髪を掻き分ける。
ありとあらゆることから逃げたい。
望みが持てない。
しかし、抗う他にできることはないのだ。
少女はもう一度前髪を掻き分け、身体の力を抜いた。
今はこうして布団に身を委ねていたかった――。
ということで、もう一人の主要キャラが登場しました。名前は“桜ヶ原優里”ですが、基本的には“少女”と書きます。是非、かわいがってやって下さい。
『失ったもの』っていうのも後々明らかになります。