第48話 ⑩I Am Not Legend
三笠莉沙が去ってから一週間。
少年はその間、ひたすら無為な時間を過ごしていた。
探索には出向かず、拳銃操法の練習をすることもない。
三笠の血の痕を追ってもみたが、途中で途切れて見付けることはできなかった。
なすべきことなど見付からない。
生活の全てが変わった。
朝起きても挨拶を交わす相手はなく、夜中まで飲み合う相手もいない。
何もかもが独りだ。
見計らったようにガスや水道の供給も途絶えていた。
電気は太陽光発電、水はろ過装置付きのタンクで賄うことができる。
しかし、それも無限ではない。
今までのようにはいかなかった。
一日に何度もこれから続く孤独な生活に想いを馳せた。
遺されたのはルールと彼女の拳銃だけ。
気が狂いそうだった。
もう自分には、仲間はいない。
何のために、何を希望に、生きていくのか。
今の自分には分からない。
ただ空虚な孤独が心の中に広がっていた。
それでも生きていくしかない。
何度も自殺を試みたが、いざとなると引き金が引けない。
生存本能に翻弄され、生きながらえている。
どこまでも人間だった。
やがて襲ってきたのは、罪悪感と後悔だった。
どうして自分だけが生きているのか。
生き残ってしまったのか。
この終わった世界で。
そして、三笠を殺せなかったことを悔やむ。
彼女は死を望んでいた。
しかし、自分の感情を理由に撃てなかった。
撃つべきだったのだ。
そうすれば、彼女は人間として死ぬことができた。
人肉を求めて彷徨う保有者になることなく。
彼女を想うからこそ、殺すべきだった。
思い切れない中途半端な想い。
少年は、ようやくその愚かさを恥じた――。
そして、三笠との別離から八日目。
少年はとうとう探索に出掛けることを決めた。
目的地は郊外の公民館。
家にあった市の広報誌に避難所として記されていたのだ。
避難所ならば食料や生活用品があるかもしれない。
そこで生活するつもりはないが、分けてくれるくらいはあるはずだ。
拳銃を用意する。
SIGP228。
三笠の形見であるP230は机の引き出しに仕舞ってある。
自分が使うのはどうしても躊躇われた。
弾倉を取り出し、確認する。
執行実包がきっちり詰まっている。
拳銃に叩き込む。
続いてスライドを僅かに引く。
薬室に装填された初弾が見えた。
いつでも発射することができる状態だ。
銃をベルトに挟み、予備の弾倉をポケットに詰める。
拳銃だけでは不十分だ。
台所の刃物をあるだけリュックに詰めた。
そして、学校で入手したバールを握り、家を出た。
たった一人で。
独りきりの車は静かだった。
ただエンジンが鳴り、風景が流れる。
不慣れな運転も、もう怖いとは感じない。
そもそも、感情が麻痺していた。
ただじんわりとした虚しさと焦燥があるだけなのだ。
変わらない街並みを抜け、やがて公民館が見えてきた。
面した道には緊急車両が幾台も止まっている。
自衛隊やガス会社の車もあった。
それなりに重要な避難所だったのだろう。
しかし、人気がない。
まるで車だけが放置されているかのようだった。
車を降り、辺りを見渡す。
公民館はバリケードで囲まれていた。
鉄製の柵や木材、果ては段ボールまで使って構築したようだ。
肝心なそのバリケードも、あちこちが崩壊していた。
血の手形が何重にも重なっている。
保有者に突破されたのだ。
バールを握り、崩れかけのバリケードを乗り越える。
酸っぱい臭いが鼻を突いた。
この先がどうなっているか、その予感が掠めた。
駐車場が広がっていた。
ところ狭しと詰め込まれた自動車。
アスファルトに撒き散らされた血と肉片。
身体を揺らして彷徨う保有者たち。
――そうか。
この避難所は、既に陥落しているのだ。
落胆を感じたのも一瞬、一層の孤独が押し寄せるだけだった。
ある程度予想はしていた。
それでも、突き付けられた現実はあまりに残酷だ。
もはや世界に希望はない。
しかし、考えてみれば、当然の報いだ。
救えたはずの三笠を失い、殺してあげることすらできなかった。
そんな自分がこれ以上、仲間など求めるべきではない。
自分は三笠を守ることも、救うこともできなかった。
ならば、他人に何かを求めるべきでない。
否、もう二度と求めてはいけないのだ。
仲間を作らなければ、失うこともない。
悲しむことも、新たな後悔を生むこともない。
誰かの生命を無駄にすることもない。
最初から一人でいればいいのだ。
乾いた笑みがこぼれた。
胸を覆う焦燥が底に沈んでいくようだ。
落ちていく、という感覚。
気持ち悪く、それでいて心地よかった。
保有者が歩み寄ってくる。
静かな笑い声と共にバールを繰り出す。
保有者殺しの時間が始まった。
作業着を着た屍の頭部に突き刺す。
柔らかい感触。
先端が眼球を貫き、脳に達した。
更にそのまま捻じ込むと、身体から力が抜けた。
死体からバールを引き抜く。
湿った音と共に血の飛沫が舞った。
――クソが。
駐車場には五体を超える数の保有者がいる。
憎かった。
歩く屍さえいなければ、彼女は今も生きていた。
もう躊躇うことはない。
ルール1『躊躇うな』
幼馴染が遺したルール。
バールを振るう。
殴り、突き、刺し、抉る。
一体を殺し、二体、三体と続く。
気が付けば、五つの死体が転がっていた。
返り血だらけの腕には、かすり傷や引っ掛かれた痕。
噛まれることはなかった。
結局、生き残ってしまった。
肩で息を吐き、目的である物資や武器を探す。
駐車場の西端に止まった一台の車が目に付いた。
一切の塗装が施されていない白いトラック。
ルーフに載った赤色灯が警察車両であることを示している。
直感した。
あの車には、何か有用な物がある。
不気味なほど無機質な姿が一層その期待を高めた。
目的のトラックへと歩み寄る。
荷台の扉に手を付き、息を吐いた。
刹那、荷台の横から手が伸びる。
爪の剥がれた汚い指が空を切った。
声を上げる間もなく、咄嗟に身をかわす。
保有者が姿を現した。
小さな舌打ちを漏らし、バールを振るう。
力任せに何度も叩き付け、その場に倒した。
心臓が激しく脈打っている。
自分の鼓動を聞きながら、更に先端を打ち付けた。
屍が動かなくなったことに気付き、手を止める。
荒い息を吐き、再びトラックに目を向ける。
真っ赤な手で荷台の扉を開いた。
載せられていたのは、銃器だった。
ケースに収められた機関拳銃。
そして、スコープが付いた狙撃銃。
さらに、積まれていた弾薬箱の一つを開く。
中には鈍い光を放つ銃弾が詰まっていた。
あまりに大量で、そう簡単に使い切れる量ではない。
それだけではなかった。
防弾プレートやナイフ。
少量だが、水や菓子類もある。
本来はもっと多くの銃器が入っていたのだろう。
空になった樹脂ケースがいくつも転がっている。
しかし、少年には十分すぎる装備だった。
たった独り残された自分。
降って湧いた高性能な銃器と弾薬。
死ぬことすら許されていないようだった。
皮肉な幸運だ。
否、この上ない不幸かもしれない。
これからも生き続けることを課されているのだから。
それは終わりの見えない罰だった。
荷台から降りる。
足元で乾いた音が響いた。
何かを踏んだ感触。
足を上げて見る。
腹を晒した蝉の死骸。
それは、まるで夏の終わりを象徴するかのように……。
少年は蝉を一瞥し、そっと息を吐いた――。
公民館からの帰り道、少年は古本屋に寄ることにした。
車を止める。
後部座席には装備が詰まっていた。
それを見ても充実は感じない。
拳銃を握り、店内に入る。
薄暗く、埃が漂う。
たった一か月、人の出入りがないだけで様変わりしていた。
保有者の気配はない。
慎重な足取りで進む。
血痕や死体も見当たらなかった。
ここに来る物好きはいなかったようだ。
略奪に遭った様子もない。
ここには食料もなければ、まともな武器もないのだ。
目的の書籍を脳裏に思い浮かべた。
三笠に薦められたゾンビや終末に関する作品たちだ。
ルール5『ゾンビ作品に学べ』
確かにフィクションから学ぶのは重要だ。
何より、これからは嫌というほど暇がある。
時間を潰せるものが必要だった。
漫画コーナーを歩く。
前に三笠から借りた漫画の続きを探す。
それはすぐに見付かった。
『しゅうまつぐらし!』
彼女が好んでいた漫画だ。
以前、キャラの髪型について話した記憶が蘇る。
彼女がいないということを改めて実感した。
甘酸っぱい制汗剤の匂い。
八重歯が覗く笑顔。
どれもこれも全て、もう戻ってこないのだ。
言いたいことは沢山あった。
それでも、その半分すら言えなかった。
失ってから本当の価値に気付く。
少年もその例に漏れず、失ってから彼女の存在の大きさを痛感した。
重い足取りで小説のコーナーに向かう。
海外小説を探す。
三笠が強く推していた終末小説だ。
書架に視線を這わす。
目的の題名を反芻し、顔を上げた。
――見付けた。
手を伸ばす。
細かい埃が舞った。
海外作家によるホラー作品。
終末世界に独り生き残った、地球最後の男の物語だという。
まさに今の自分にはうってつけだった。
本をリュックに仕舞う。
自分は地球最後の人間だろうか。
否、世界中を探せば他にも生き残りはいるだろう。
それどころか、この街にいたとしてもおかしくはない。
しかし、それでも、自分は地球最後なのだろう。
これからは独りで生きていく。
認識できない他者は、存在しないのと同義である。
だからこそ、自分は独りであり、地球最後なのだ。
じんわりと不気味な感情が広がっていく。
殺意、憎悪、後悔……。
世の中の負を全て詰め込んで混ぜ合わせたようだった。
それでも、この感情が生きる糧となる。
埃っぽい店内を独り、歩く。
不意に、三笠の笑い声が聞こえたような気がした――。
次回で過去編は最後になります。




