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終末ぼっちは生き残り少女と話したい  作者: ヒトのフレンズ
第3章 終末ぼっちになる前は
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第42話 ④斜物語

ここからまた少年目線に戻ります。

 



 少年は力一杯ペダルを踏み、混乱する街を駆けていた。

 後ろの荷台に座る三笠は何を言うでもなく、辺りを眺めている。


 学校から脱出。

 それ自体は無事に済んだ。

 しかし、靴を回収する余裕まではなかった。

 そのため、体育館シューズのまま逃げ出してきた。


 駅の方は見るからに危険だ。

 赤色灯を光らせたままのパトカーが並び、断続的に銃声が響く。

 電車に乗ることはできないだろう。


 仕方なく遠回りで家に向かう。

 背後で悲鳴が連続する。

 肩越しに振り返ると、車列に保有者らしき群れが集まるのが見えた。


 まるで夢の中にいるような感覚だった。

 現実味がなく、どこか身体が浮いているような感じがする。

 しかし、これは紛れもない現実。

 保有者も、背中に抱き着いてくる三笠も、実在するものだ。


『――落ち着いて、最寄りの避難所に、避難してください』

 防災行政無線が鳴る。

 妙にゆったりとした声がこの状況に似合わず、とんでもなく鬱陶しい。


「待ってくれ!」

 電柱に突っ込んで立往生したワンボックスから若い男が飛び出してきた。

 走り抜けようとする自転車のハンドルを掴む。


「放せ」

 今まで黙っていた三笠が冷たく言い放った。

 紐を結んで肩に掛けていたシャベルを手をする。


「早く放せ」

 もう一度三笠が警告する。

 今まで聞いたことのない語調。

 幼馴染である少年にも恐ろしく響いた。


「妻と子供が怪我してるんだ!」

 男が喚く。

 武器に臆する様子はない。

 もうそれどころではないのだろう。


 開いたままのワンボックスのドアから女が現れた。

 短い髪を血に染め、這って来る。

 その姿はとても普通の人間には見えない。


「保有者だ」

 三笠が呟いた。

 男の妻は感染していたようだ。


「病院まで運ぶ手伝いを――」

 男の声が途切れる。

 女にふくらはぎを食い千切られたのだ。

 悲鳴と肉を食む湿った音が響いた。


 男の手がハンドルから離れる。

 少年はその隙にペダルを踏んだ。


「た、助けて」

 男の断末魔を背に、駆け抜ける。


 振り返ることはしなかった。

 罪悪感はない。

 ただ、身体中を撫で回すような焦りと恐怖がこびり付いていた。



 住宅街に着く頃には身体中汗まみれになっていた。

 家はもうすぐだ。


 近所の人々は家に籠っているのか、あるいは避難したのか姿がない。

 道路にはいくつか死体が転がり、ここも危険であることを否が応にも認識させる。


 角を曲がる。

 妙に静かな住宅街が広がっている。

 家はその先だ。


 やがて自宅が見えた。

 茶色い塗装、屋根のソラーパネル。

 見飽きたと思っていたが、今ではとてもありがたい。


「止まって」

 冷静な三笠の声で我に返る。

 見ると、家の前で二人の人がしゃがみこんでいる。


 否、そう見えただけで実際には違っていた。

 二人は両手に抱えた赤いものに噛み付いている。


 ――マジかよ。

 映画やゲームで観たような光景だった。

 答えは分かっている。

 しかし、それを想像したくはなかった。


 三笠が自転車を降り、慎重に近付く。

 少年もその後に続いた。


 一人が振り返る。

 虚ろな目、真っ赤な口元。

 響く乾いた呻き声。

 ――保有者だ。


 二体の傍らには人が倒れていた。

 服がなければ人だと分からない程に食い散らかされている。

 嘘みたいに血が広がっていた。

 この人間は、保有者に食われてしまったのだ。


 三笠がシャベルを素早く構える。

 すぐに飛び出して仕留められる姿勢だ。


 少年もバールを構えた。

 部活で剣道をやっているが、不思議とバールが重い。

 目の前に人を食う化物がいるという恐怖。


 もう一体も少年たちに気が付き、立ち上がった。

 やり過ごして家に入ることは無理だ。


「やってやるよ」

 三笠が呟いた。

 直後、彼女は駆け出した。


 シャベルを振りかぶり、手首を返す。

 膝を打たれた保有者がバランスを崩して倒れた。

 一切の躊躇なく繰り出された先端が頭部に突き刺さる。

 三笠は、更に二度三度と殴打する。


 もう一体が彼女に近付くのを見た少年は、歯を食いしばりながら地を蹴った。

 身体全体で体当たりし、保有者を地面に倒す。

 胸を足で抑えつけ、バールを振り上げる。


 虚ろな瞳と視線が合った。

 中学生の男子。

 血に染まった自分よりも幼い顔。

 近所に住む顔見知りだった。


 そこで手が止まった。

 恐怖と重圧、そして躊躇いがよぎる。

 彼もかつては人間だった。おそらくついさっきまで。

 振り下ろせば、自分は“殺す”ことになる。


「躊躇うな」

 三笠の声が鼓膜を揺らした。

 ルール1だ。


 今までの光景が脳裏を駆け回る。

 食われる生徒たち。

 助けを求めた男。

 食い散らかされた肉。


 足元の屍が呻きながら手を伸ばす。

 爪の先が少年の太腿に触れた。


 ――躊躇うな。

 力を込める。

 勢いよく振った。

 硬い感触がバール越しに伝わる。


 返り血が鉄臭い。

 保有者はまだ動きを止めない。

 殴る、殴る、殴る。

 恐怖が溢れ、衝動のままに手を振るう。


 バールが頭にめり込んで抜けなくなった。

 今度は足で頭を潰す。

 血が、骨の欠片が、脳漿が飛び散る。


「もう十分だ」

 三笠の声で我に返ると、足元には頭の砕けた死体があった。

 自分の手も制服も血に染まっている。


 ――殺した。

 自分は、保有者を殺した。

 感情がぐちゃぐちゃになって押し寄せる。

 泣けばいいのか、笑えばいいのか。

 何も分からなかった。


「よくやった。それでいい」

 三笠が肩を取り、抱き寄せてくれる。


 柔らかさと温もり。

 不思議な安心感を覚えた。

 血の匂いがすっと消え、制汗剤の甘い香りが鼻腔を占領する。


 ――これでいい。

 そう、これでいいのだ。

 殺すしか、術はない。

 少年は、もう昨日までの生活に戻れないということを悟った――。



「お邪魔しまーす」

 少年が柵の鍵を開けると、三笠が明るく言った。

 先程までの迫力は嘘のように消え失せている。


 庭は備え付けの柵と塀で囲まれていた。

 家に入るには柵と玄関のドアを通る必要がある。

 今まで考えもしなかったが、保有者対策に有効なのかもしれない。


 玄関も開け、先に三笠を入らせる。

 彼女は近くにあった雑巾で体育館シューズの底を拭いた。

 そして、そのまま家に上がる。


「脱ぎ忘れてる」

 少年が慌てて引き止めた。

 拭いたとはいえ、外を歩いたのだ。


「ルールその4、家でも靴を履け。ま、今は館履きだけど」

 あっけらかんと三笠が答えた。

 館履きとは、体育館シューズのことだ。


「どうして履いたまま?」

「逃げる時にいちいち靴を履いてる余裕ないっしょ」


 ――それもそうか。

 一理あると思った。

 実際、学校から脱出する時も靴を回収する余裕などなかった。

 家の中が安全とは限らないのだ。


「親御さん、帰省してるんだっけ?」

 テレビの脇に飾ってあった家族写真を見た三笠が言った。

 その語調には不思議な暗さがあった。

 羨むような、蔑むような響き。


「九州にね。連絡はまだなし」

 少年は改めてスマートフォンを確認するが、親から連絡は入っていない。

 メール自体が交信できない。

 輻輳を起こしているのか、設備が不調なのか。


 ――そっちの家族は無事そう?

 そんな愚かな質問はしなかった。

 三笠とは小学生以来の付き合いだ。

 彼女の家庭環境が非常に厳しい状況なのは知っていた。

 一度、警察沙汰になったほどだ。


「で、この後どうする?」

「ここでしばらく過ごそうかな」

「え?」


 三笠がバッグの中から荷物を引っ張り出す。

 漫画やお菓子、着替えをそこら中に広げ始めた。


「しばらくお世話になるよ」

 ちらりと少年を見て微笑む。


「それはちょっと……」

「かよわい乙女を怪物がうろつく中に放り出すのか?」


 悪戯っ子のような顔で見つめてくる。

 断れないことを分かり切っているようだった。


 確かに彼女の家庭環境を鑑みれば無理もない。

 この緊急事態を口実にちょっとした家出をしたいのだろう。

 どうせ外は危険な状態だ。

 近所とはいえ、帰らせる訳にもいくまい。


 そっと息を吐いた。

 諦めと共に不思議と期待が宿る。

 こんな状況の中、独りにならずに済む。

 それは自分にとってもありがたいことだった。


「分かったよ。ただし、外が落ち着くまで」

「ありがと。この恩は精神的にお返しするから」


 三笠がいつもの微笑みを見せた。

 トレードマークの八重歯がちらりと覗く。

 こんな時でも明るいのはどうしてか。

 そんな疑問が浮かんでは消えた。


 ――まぁいい。

 少年は息を吐き、テレビの電源を入れた。

 今はとにかく情報が欲しい。


 画面が点いた。

 アニメ放映や旅番組で有名なチャンネル。

 しかし、今は臨時ニュースを放映している。


 映像は、ヘリコプターからの中継だった。

『東京 新宿』とのテロップ。

 新宿駅前の様子が映し出されている。


 道路に居並ぶ機動隊の装甲車や大型の救急車。

 無数の赤色灯が地上で瞬く。

 その周囲では、壮絶な光景が繰り広げられていた。


 駅を背に防御線を築く警察と自衛隊。

 盾を構えた機動隊員の後ろで小銃を発砲する自衛隊員たち。

 無数の人々がおぼつかない足取りで彼等へと迫る。

 保有者だった。


 銃撃を受けても屍たちは止まらない。

 何人かが倒れても、恐れることなく進み続ける。

 その姿は、まさに異常としか言いようがなかった。


 やがて駅の方からも保有者が現れる。

 軽装高機動車に据えられた機関銃が火を噴く。

 近くのビルから狙撃する機動隊員も見えた。


 全方位から押し寄せる保有者たち。

 状況はもほや白兵戦の様相を呈していた。

 機動隊員が盾を振るい、自衛隊員が銃剣を握る――。


「ほんとに映画みたいだな」

 三笠が呟く。

 それほどに現実味を帯びていない光景だった。


『こ、ここで首相の会見に切り替わります』

 今まで押し黙っていたキャスターが早口で告げた。

 画面が暗転し、数秒後に切り替わった。


 濃紺の幕を背景に、首相の姿が映し出された。

 少し乱れた髪と目元の隈に、疲労が窺える。


『――本日午前十時より、自衛隊に対し、特別措置法に基づく調査出動を命令していたところであります』

 そこで首相が原稿に目を落とした。

 一つ息を吐き、言葉を続ける。


『しかしながら、通常の警察力では、首都圏の秩序を維持し、想定される事態の拡大を防ぐことが困難であるとし、新たに、自衛隊法78条による治安出動を下命しました』

 記者たちが一斉にパソコンを叩く。

 出動の種類が変わったという些細な事実が政治には大きな事実だった。


『国民の皆さまにおいては――』

 首相が言いかけた時。

 拳銃を手にしたスーツの男が二人、飛び込んできた。

 警視庁警護課のSPだ。


 一人が首相に耳打ちする。

 首相は顔をしかめ、小さく頷いた。

 もう一人のSPはイヤホンに手を当て、辺りを警戒している。


『――会見を中断します』

 首相はそれだけ発言し、会場を後にした。

 記者たちがざわめく。


『皆さんも別室に避難して下さい!』

 続いて訪れた機動隊員が怒鳴った。

 ヘルメットを被り、回転式拳銃を握っている。


 記者たちが足早に部屋から出ていく。

 そこでカメラが途絶えた。

 画面が暗転し、そのまま黒い闇だけが映し出される。


「てことでこれからよろしくな」

 三笠が沈黙を破った。

 八重歯を覗かせる笑顔で肩に手を掛けてくる。

 制汗剤の香りが鼻腔に広がっていく。


 こうして、三笠と過ごす最後の一か月が始まった――。







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