第26話 終末ぼっちと生き残り少女
澄みわたる冬の晴天。
その下で、二人の生者は銃口を向け合っていた。
少年はSIGP228を。
少女はニューナンブを構えている。
張り詰めた静寂。
風の音すら聞こえないようだった。
両者とも、引き金には指が掛かっている。
銃を扱う人間にとっては、撃つ意思を明確に持っていることを意味する。
特に少年の場合はそれをよく理解していた。
彼女は、こちらを危険視している。
無理もないことだ。
つい今まで野蛮な男に凌辱されかけていたのだ。
いきなり現れた生存者を信用しろという方が無茶だった。
同様に、少年も少女を信用していない。
だからこそ、このように銃を向けているのだ。
しかし、撃ち合いは勘弁だ。
人殺しだが、快楽殺人者ではない。
できるならば、殺人は回避すべきだ。
この少女を殺す理由も今のところはない。
相手が銃を下ろしさえすれば、だが。
――素人だ。
少女を観察しながら推測した。
銃の構え方が明らかにぎこちない。
経験という点では、明らかにこちらが有利だ。
保有者を何体も撃ってきたし、ついさっき人を射殺したばかり。
自慢できることではないが。
しかし、総合的に見ればどちらも同じような条件だ。
素人だろうと、この距離ならほぼ確実に当てられる。
こちらはプレートキャリアを着ているが、だからといって無敵ではない。
銃弾そのものを止められても、着弾の衝撃までは防ぎきることができない。
骨や臓器に被害を受ける可能性は存分にあった。
少女に仲間がいる様子はない。
その点に関しては安心できそうだ。
よくあるゾンビ作品のように生存者同士の抗争に巻き込まれるのは好ましくない。
最大の問題はこれをどう収束させるかだ。
女子高生と殺し合うつもりはない。
死にたくもないし、殺したくもない。
しかし、このままでは一向に話が進まなかった。
相手が保有者であれば対処は簡単だ。
狙って撃つ。これでおしまい。
しかし、今回は違う。
今までとは違う方向から進めなければならなかった。
「あなたは桜ヶ原さん、ですね?」
少年は沈黙を破った。
駐在所に残されていた生徒手帳。
そこに記されていた名前を呼び掛けた。
人間と保有者の異なる点、それは言葉を解することだ。
ならばそこから攻めるしかない。
興味を惹き、相手に撃たせずに話を進めるのだ。
敬語を使うことにも理由があった。
生徒手帳から、彼女の方が上級生であることは分かっている。
もっとも、容姿を見れば明らかだ。
制服を着ていなければ大学生だと言われても納得しただろう。
それほどに大人びていた。
今や学年など大した意味はないが、そういう点にこだわってしまう性分。
以前の習慣というものは案外抜けないものだった。
少女の銃口が数センチ下がる。
整った目元が僅かに揺れた。
どうやらこちらに関心を持った様子だ。
しかし、答えてはくれない。
「自分から名乗るのが礼儀でしたね」
そう前置きし、少年は自分の氏名を告げた。
自らの名を意識したのはいつぶりだったろうか。
忘れていなかったのが意外なほどだ。
再び少女の目元が動いた。
凛とした雰囲気を帯びてはいるが、分かりやすい。
目は口ほどに物を言う。
彼女の場合はそのことわざが特に当てはまるらしい。
少年は内心で笑みを浮かべた。
話に食いつけばいきなり撃たれることはない。
こちらも無駄に人間を殺さずに済む。
「その制服、喜多高のですよね?」
少女は県立喜多高校の生徒だ。
そして、少年自身も同じ高校の生徒だ。
「自分もそこの生徒です。一年三組。社会の牧場先生が担任でした」
さらに畳みかける。
この世界で同じ高校の生存者がこうして顔を合わせるのはどれほどの確率だろうか。
この偶然を活かさない手はない。
またまた少女の目元が動く。
銃口が揺れた。
収束は目と鼻の先だ。
「同時に銃を下ろしませんか? これじゃゆっくり話もできない」
相手の興味を惹いたところで、本題に入る。
少しの間。
少女の唇が揺れる。
どうするか思案しているようだ。
数十秒。
黙ったまま、少女がゆっくりと銃口を下ろした。
話し合いに応じたのだ。
それに合わせて少年も銃口を下げる。
しかし、ホルスターには仕舞わない。
相手が銃を握っている以上、こちらも用心深く対処する必要がある。
目を合わながらお互いに歩み寄る。
一メートル弱の距離で向かい合った。
仄かに甘い香りが漂う。
相手が異性なのだと実感した。
だからどうということもないが。
少女が銃を下ろしたため、男の確認に入る。
グローブを外し、倒れている男の首元に触れた。
脈は完全に止まっている。
これで男が二度と蛮行に及ぶことはないだろう。
頭部を一瞥する。
凹んだ銃創からは脳の破片が血に混ざって漏れ出ている。
これが自分の行為の結果だと思うと、何とも言えない感情に囚われる。
罪悪感ではない、と思う。
自分はルールに従い、理屈に沿って行動した。
何も悪いことはしていないのだ。
少なくとも、自分の価値観においては。
着込んでいたタクティカルベストを物色する。
通販サイトで販売されていた安物だ。
ポーチには89式小銃の弾倉が二つ。
そして、バタフライナイフ。
弾倉はありがたく頂戴することにした。
銃本体は破損しているため、使えないがいずれ役に立つ。
多くの生存者を嬲り殺すのに使われたであろうナイフは、使う気になれなかった。
胸のポケットには、革の財布。
現金は小銭が数枚あるばかりで札はない。
気になったのは、一枚の写真と免許証。
写真を手に取る。
一軒家を背景に、家族らしき三人組が写っていた。
夫婦とまだ幼い息子。
夫はこの男だろう。
頭髪も随分残っており、様子が違った。
少なくとも、生存者を嬲り殺し、その上少女を襲う人間には見えない。
終末は人を変えてしまうのだ。
少年自身も、自分が変わっていくことを自覚していた。
だからこの男を責めることはできなかった。
何より、この男がどうして狂ったのかなど、どうでもいい。
本当にどうでもいいことだった。
免許証には、住所が記載されていた。
ここからそう遠くない場所にある。
仮に男が自宅を拠点にしていた場合、弾薬や食料が保管されているかもしれない。
免許証と写真をポーチに仕舞い、少女に向き直った。
「大丈夫でしたか?」
取り敢えず無難な質問を投げかける。
この状況では間抜けな質問だった。
なにぶん三ヶ月以上の間、人と話していなかったのだ。
少女は黙って頷いた。
何かを言う訳でもない。
まだ警戒しているのか、あるいは別の理由があるのか。
「駐在所で拾いました」
生徒手帳を少女に差し出す。
彼女は、少し躊躇う素振りを見せてからそれを受け取った。
生徒手帳を一瞥してから、少女がリュックに手を入れた。
咄嗟にP228を構えかける。
しかし、取り出されたのがペンであることに気付き、姿勢を戻す。
少女が手帳のメモ欄に何かを書き始めた。
筆談するつもりらしい。
――どうして声を出さない。
先程から一言も話そうとしない様子に疑問が募る。
書くよりも話した方が手っ取り早いことは明らかだ。
まさか……。
書き終えた少女が生徒手帳を掲げてきた。
『ありがとうございます』
随分と端正な字で、そう記されている。
そして、彼女は頭を下げた。
男から救い出したことへの例だろう。
上級生の異性に感謝され、バツの悪い少年は軽く頷いて茶を濁した。
元より、彼女のために男を殺した訳ではないのだ。
『お願いがあります』と書き続ける少女。
「お願い、ですか?」
心当たりはない。
いや、考えたくないだけだった。
少し強張った面持ちで手帳が差し出される。
記された一文。
その“お願い”を見た少年は絶句した。
たとえ予想していたとしても、それは絶句するに値するものだった。
『仲間にしてください』
彼女の生徒手帳には、確かにそう書かれていた。
――仲間。
その単語を目にした時、真っ先に浮かんだのは三笠の姿だった。
と、同時に脳裏に彼女の笑い声が響いた。
今の自分を見て楽しむような悪戯っぽい響き。
「――俺に何の得があるんですか?」
思考は混乱していたが、口は冷静に動いていた。
彼女にとっては最低な発言だろうが。
しかし、少女はそれほど表情を変えなかった。
僅かに目元が険しくなっただけ。
そこにあるのは、侮蔑か、あるいは憐みだろうか。
どうでもいい。
『情報を提供できます』
少女もある程度はこの展開を想定していたのだろう。
条件を用意していたようだ。
「情報というのは?」
そう訊くと、彼女は二組の紙束を差し出してきた。
『保有者等に関する基礎事項』
『大規模感染発生時における初動対応計画』
表紙にそれぞれ印字されている。
どちらも、作成者は『県警警備部危機管理課』。
つまり、警察の書類だ。
書類をめくり、流し読みする。
なるほど、これは確かに有用な情報だ。
あの駐在所で見付けたのだろう。
少女は書類をひったくるように取り返した。
仲間にしてくれないならあげるつもりはない。
そう言いたいのだろう。
「情報だけですか?」
更に最低な発言を重ねる。
『望むなら何でも』
そう書きながらも、彼女の目付きは一層険しくなる。
侮蔑が滲んだ眼差し。
言葉の意味が理解できないほど、こちらも愚かではない。
労働、戦闘、そして性交渉。
「何でも、ですか……」
こちらが下卑た要求をする人間に見えるのだろうか。
正誤はともかく、その疑い深さは間違っていない。
この世界では疑い深く、臆病な人間が生き残る。
「なら、あなたは戦えますか?」
少年は落ち着き払った語調で訊ねた。
生存者の利用価値はそこにある。
性交渉などどうでもいいことだ。
少女が目を見開いた。
一度目蓋を閉じ、数秒そのまま動かない。
やがて、決意したように書いた。
『できます』
――嘘だ。
少年には分かる。
書店で見た保有者の死体と嘔吐の痕跡。
戦闘に慣れているのなら、あんなことにはならない。
しかし、敢えて追及することはしなかった。
少なくとも狂った男相手に抵抗する気概と能力はある。
無能という訳でもないだろう。
少女の視線が突き刺さる。
こちらの返答を待っている。
期待と不安が瞳から滲み出ていた。
それでも凛々しい雰囲気を保つ辺り、彼女も立派な生存者なのだろう。
考える。
深く考える。
今までになく考える。
自分は仲間を必要としているか。
否。要らない。
もっとも忌避すべき存在だ。
では、この少女を守りたいと思うか。
否。どうでもいい。
死なれるのは目覚めが悪いとは思うが。
それでは、この少女が持つ情報に価値はあるか。
それはある。
警察の書類ならば公開されていない拠点が分かる。
武器や物資回収の足掛かりとなるだろう。
ならば、この少女自身に価値はあるか。
それもある。
労働や戦闘の支援くらいならば使えるはずだ。
考え続ける。
より深く、長く考える。
行動に必要な理屈を探し求める。
自分の感情。
情報の有用性。
彼女の利用価値。
食料と住居の問題。
考え得る危険と脅威。
噛み締め、算盤を弾く。
そして思い出す。
駐在所から逃げ出した時の少女の表情を。
双眼鏡越しに見たあの泣き顔を。
今でも脳裏にこびり付いたあの眼差しを。
――決まりだ。
少年は結論を出した。
躊躇うことなく、口を開く。
「仲間にはできません」
ゆっくりと、はっきりと告げた。
仲間は要らない。
少女を仲間にするだけの理屈付けはできなかった。
少女の視線が揺れる。
力なく生徒手帳が下ろされる。
明らかに落胆の色が差していた。
少年が再び口を開く。
ここからが本題だった。
「――でも、同居人として家に住まわせることはできます」
それが弾き出した結論。
仲間ではなく“同居人”。
互いの利益によってのみ成り立つ契約関係。
仲間にしたくはないが、少女の労働力と彼女が持つ情報には価値がある。
最大限の折衷案だった。
そう、あくまでも情報と労働力を求めているに過ぎない。
個としての彼女に関心はない。
彼女の視線が再びこちらを捉える。
困惑の眼差し。
しかし、意味を理解したのか、すぐに目元が綻んだ。
――凛々しく、そして可愛らしい。
そう思った。
偽らざる感想だった。
しかし、どうでもいい。
それ以上に気になることがあるのだから。
「一つ質問があります」
先程から抱いていた疑問。
明らかに不自然な彼女の様子。
確信に近い感覚が少年に宿っていた。
「あなたは、話すことができないんですか?」
少年は、その疑問を彼女に突き付けた――。
一つの区切りを迎え、新章に突入です。




