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終末ぼっちは生き残り少女と話したい  作者: ヒトのフレンズ
第1章 終末ぼっちは殺したい
23/77

第22話 撃たなければ当たらない

 



 駐在所の監視、二日目。



 カーテンの隙間から朝日が差し込む。

 少年は、軽い欠伸をしながらスコープに目を当てた。


 結局、昨晩は動きがなかった。

 シャワーを浴びた後も監視を続けたが、二十三時には微かな明かりも消えた。

 あの少女の生活習慣は相応に良いようだ。


「早起きだな」

 時刻は午前七時前。

 正面の入口から、既に制服を着た少女が見えた。

 いつもの自分ならまだ布団で惰眠を貪っていたはずだ。


 執務スペースの椅子に座り、栄養ブロックを齧る少女。

 猫も餌を貰い、のんびりと食べていた。

 至って平和な朝食の光景だ。


 しかし、傍らに置かれた鉄の塊は異質だった。

 スコープの倍率を最大にして確認する。

 五連装の回転式拳銃。

 茶色のグリップから、ニューナンブであることが分かった。


 ――やはり……。

 拳銃で武装しているのは間違いないようだ。

 しかし、それ自体は当然のことである。

 この世界で武装していない人間の方が珍しいだろう。


 黄色い箱の栄養ブロックを食べ終え、猫を眺める少女。

 不意に穏やかな笑顔を浮かべた。

 彼女の顔立ちはかなり整っているが、どちらかといえば凛々しい。

 だからこそ、時おり見せる年相応の笑顔が印象的だった。


 そして、それをスコープ越しに見ている自分は何なのだろう。

 少年はそう思わずにはいられなかった。

 自分が矮小で卑屈な存在に感じられる。

 見ているだけで何もすることができないこの状況。

 三笠が見たらなんと言うだろうか。


 湧き上がった負の感情を抑えるべく唇を噛み締める。

 今の自分にはこうすることしかできない。

 久々に発見した生存者をただ見ることしか……。


 これで良いのだろうか。

 自分のするべきことを決めることができない。

 もはや善悪の基準は常識や法律などではなく、個々人の価値観に委ねられている。

 自分はどうしたいか、あるいは、どうするべきか。


 考えたところで答えは見付からなかった。

 あの少女がそれほど危険な人物ではないことはほとんど明白だ。

 凄惨な凌辱と殺人をやってのけた”小銃男”とは違う。

 猫以外に仲間がいる様子もない

 少なくとも、理性的な対話が望めそうな人物だ。


 ならば、なぜ接触して会話を試みないのか。

 その理由は、少年自身がよく分かっていた。

 ――怖いのだ。


 生存者とは関わらない。

 そして、絶対に“仲間”を作らない。

 その方針をずっと固持してきた。


 保存食を食い、保有者を殺し、寝る。

 食う、寝る、撃つだけの一日。

 変わらない単調な生活。

 その中でも、生存者との交流を求めることはなかった。


 生存者との接触はリスクを伴う。

 武器の略奪、縄張り争いなど考えればきりがない。

 仲間を作れば、その分の食料も必要になる。


 しかし、それ以上に怖かった。

 他者を認識することが。

 そして、感情移入することが。


 久しく生存者とは会っていない。

 だからこそ、あの少女と話してしまえば、もう戻れなくなる。

 何がしかの感情を抱き、他人とは思えなくなってしまうのだ。


 三笠が感染して以来、自分は独りで生きてきた。

 この世界では、自分が全て。

 他人を守ることも、想うことも必要なかった。

 だからこそ、生きていられた。


 しかし、一度でも生存者と会ってしまえば、もう忘れられない。

 そして、もしその人が死ねば、苦しみ続ける。

 友人、教師、近所の住民……。

 あらゆる人々との別れを経験してきた。


 三笠が感染し、この家を去った時も同じ。

 身を削られるような悲しみに包まれた。

 それは今でも続いている。


 だからこそ、理屈を塗り固め、生存者を忌避してきた。

 どんなに独りが辛くとも、絶対に“仲間”を作らなかった。

 もう二度と、他人を失い、悲しみたくはないから。


 胸にこびり付いた無力感と焦燥。

 結論を出すことはできず、思考が途切れた。

 視界の隅に、駐在所に接近する人影を発見したのだ――。


 頭を切り替え、スコープの倍率を下げる。

 一人の男がいた。

 小太りで、ダウンジャケットの上からタクティカルベストを羽織っている。

 防弾ではなく、遊戯用のレプリカだろう。


「まさか……」

 少年は思わず呟いた。

 男の手には、長い銃器が握られている。

 自衛隊制式採用の89式小銃だ。


 89式小銃の口径は、5.56ミリ。

 つまり、郊外の空き家や近くの業務用スーパーで見付けた薬莢と同じだ。

 生存者の女性たちを嬲り殺した人物も、5.56ミリの銃器を使っている。

 この男が”小銃男”だ――。


 駐在所の屋上には、風船が吊られている。

 あの少女による生存者へのメッセージ。

 この男がそれを目印に来たのだとしたら……。


 男は駐在所内部の様子を窺うように、正面入口の横に張り付いた。

 狙撃銃の照準を男の胸部に合わせたまま、少年は息を呑んだ。

 男がどんな行動に出るか。

 それ次第で全てが変わる。


 男がガラス張りになった入口のすぐ脇に迫る。

 刹那、男が動いた。

 小銃の銃口を上げる――。

 直後、乾いた破裂音が響いた。


「――撃ちやがった」

 少年はそう漏らしながら、安全装置を押し込んで解除した。

 引き金に指を添える。

 この動作は、銃器を扱う者にとって極限の状態、つまり発砲寸前を意味する。


 男の発砲によって駐在所のドアに亀裂が入る。

 強化ガラスといえど、小銃弾には耐えられない。

 さらに男は、小銃の銃床でドアの亀裂を広げ、手を差し入れる。

 そして、無理やり開錠した。


 少女が猫を放した。

 拳銃が置いてある机の方へ向き直り、踏み出した。


 ――どうする。

 少年は引き金に指を掛けたまま、決断できずにいた。

 状況証拠から、男が少女に危害を加えようとしているのは明らか。


 引き金を絞れば、7.62ミリ弾が肉と内臓を抉って男の動きを止めるだろう。

 もはや一発で戦いは決する。

 そして、彼女を救うことができるはずだ。


 ――“救う”?

 少女を救ってどうするのか。

 そのために、自分はあの男を殺せるのか。

 今まで一度も越えてこなかった殺人という“境界”を跨いでまで……。


 ましてや自分が危害を加えられている訳ではない。

 あの男は、自分の存在すら知らないだろう。

 確かに将来的な脅威になるとはいえ、殺すべきなのか······。


 少年は“躊躇って”しまった。

 気付けば、所内に入った男と少女が揉み合っていた。


 馬乗りになった男。

 少女の手から拳銃が滑り落ち、床を転がった。


 ――撃てない。

 少年は発砲を断念した。

 貫通力の高い7.62ミリ弾では、男を貫き、少女にも当たってしまう。

 それでも引き金に人差し指を当てたまま、状況を見つめる。


 決着はすぐに着いた。

 武装も体格も有利な男の独壇場だった。

 男が馬乗りになり、首元にナイフをあてがう。


 突然、鳴き叫んでいた猫が飛び出した。

 小さな身体ながら主人を守ろうと決断したのだろう。

 一気に跳躍し、男の顔に飛び付く。

 爪を突き立て、首を掻いた。


 男がよろめく。

 持っていたナイフを捨て、猫を引きはがそうともがき始めた。

 その隙を突いて少女が床の拳銃に手を伸ばす。

 しかし、届かない。


 猫の懸命の攻撃も決定打にはならなかった。

 すぐに男に首を掴まれ、顔から引きはがされる。

 そして、床に叩き付けられた。


 銃声。

 89式を構えた男が発砲したのだ。


 立ち上がろうとしていた猫の身体が揺れる。

 頭部が砕けて血が迸り、華奢な体躯が床に崩れた。

 小さな猫は、そのままぴくりとも動かない。


 男が小銃をスリングで吊り、背中に回す。

 馬乗りになったまま、拳銃に手を伸ばす少女を抑え付けた。

 髪を引き、顔を向き直させる。


 そして、彼女の服を捲り上げて身体をまさぐり始めた。

 もはや邪魔者はいない。

 今からまさに凌辱しようというのだ。


「クソ」

 少年は唇を噛んだ。

 猫ですら自分の命を顧みずに戦った。

 それが自分はどうだ。

 圧倒的に安全な状況で、ただ眺めているだけ。


 早く決断していれば……。

 男が駐在所に入る前に殺せば、事は済んでいた。

 野蛮な男は死に、猫も少女も無事。

 それで良かったのだ。


 ルール1『躊躇うな』

 今回、これに反する結果となった。


「クソったれが」

 少年は溜息を吐き、狙撃銃を放した。


 装填された弾はフルメタルジャケットで貫通力が高い。

 二人が密着している状態では、貫通弾が少女にも当たってしまう。

 つまり、狙撃はできない。

 双眼鏡を掴み、ベランダに飛び出す。


 腰から拳銃を引き抜いた。

 減音器の装着されていないP228。

 狙いも付けずに上空に向け、引き金を引いた。


 一発、二発、三発……。

 鋭い銃声が辺りに響く。

 空薬莢が降り注ぎ、床に跳ねる。


 すぐに全弾を撃ち尽くし、スライドが後退した。

 弾倉を交換する間もなくホルスターに戻す。

 肩で息をしながら、双眼鏡を覗いた。


 狙い通りだった。

 突然、外から響いた銃声。

 それに驚いた男の注意が少女から逸れた。


 そして、少年の銃声は少女にとって起死回生の機会だった。

 少女がスカートのポケットから小さな筒を取り出す。

 暴漢に備えて持っていた催涙スプレー。

 外に気を取られた男に向け、噴射した。


 クロロアセトフェノンが含まれた催涙液が男の顔を襲う。

 眼球を刺激され、男が叫ぶ。

 少女を抑えていた力が抜け、その手で顔を覆った。


 少女は男を突き飛ばし、床の拳銃を拾った。

 そのまま駐在所の奥へと走る。

 涙を流した男がまともに照準を付けずに小銃を連射した。


 銃声が立て続けに響く。

 少年は双眼鏡越しに、少女がよろめくのを見た。

 弾が当たったのかもしれない。

 しかし、彼女は立ち止まらず、裏口の方へと消えた。


 少年は息を吐いた。

 駐在所の裏口へと視界をずらす。

 すぐに少女が飛び出してきた。


 乱れた制服。

 揺れる長い髪。

 右手に握ったニューナンブ。

 張り詰めた凛々しさを感じ取れた。


 ――血が……。

 一瞬、裂けたタイツから血が滲んでいるのが見えた。

 男の乱射が命中したのだろう。


 少女の顔が双眼鏡の中に写し出される。

 その瞬間、時が止まったかのように感じた。


 彼女は泣いていた。

 淡い茶色の瞳から漏れた滴が頬に垂れている。

 暗くて深い感情。

 彼女からはそれが溢れていた。


 得体の知れない親近感。

 根強い感情を抱えた者同士。

 少年には、彼女が自分と同じように思えた。


 止まっていたように感じた一瞬が終わった。

 双眼鏡の狭い視界の中を少女が駆け抜けていく。

 やがて住宅街に消えて見えなくなった。


 駐在所に視界を戻す。

 男の姿はなく、猫の死骸だけが転がっていた。


 住宅街を見回すが、男は見付からない。

 とんだ逃げ足の速さだ。

 見付けたところで、撃つ決意はできなかっただろうが。


 自分は正義の味方などではなく、ただ臆病な生存者に過ぎない。

 少女を守るために男を殺すことができなかった。

 その事実を噛み締め、微かに響く呻き声に耳を澄ます。


 アパートの周囲に複数の屍がにじりよる。

 辺りにいる保有者たちを呼び寄せてしまった。

 減音器のない拳銃をあれだけ乱射したのだ、無理もない。


 舌打ちを漏らし、狙撃銃を握る。

 レティクルを合わせ、引き金を絞っていく。


 スコープの中、屍が倒れた――。







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