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終末ぼっちは生き残り少女と話したい  作者: ヒトのフレンズ
第1章 終末ぼっちは殺したい
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第9話 乙女の成分

少女パートです

 



 西部の消防分署。

 狭いシャワー室に猫の鳴き声が響いた。


 少女は、商店から連れ帰った猫とシャワー室にいた。

 猫には『ゴロ』という名前を付けた。

 ごろごろと喉を鳴らす癖があることが由来だ。


 着ていた制服を脱ぐ。

 ゴロを胸の前に抱き寄せた。

 肌に直接伝わってくる温もり。

 それは、確かに存在する生命の証だ。


 シャワーの栓を捻ると、お湯が出てきた。

 この世界でシャワーを浴びられるのは、それだけで幸運なことだ。

 しかし、それにも理由がある。


 変異型狂犬病の発覚以降、全国の消防施設で設備の拡充が進められたからだ。

 有事に備えた施策の一環。

 西部には他に消防施設はないことから、ここは特に充実している。


 弱い水圧でゴロの身体にお湯をかける。

 猫は水が嫌いだという話を耳にしたことがあったが、嫌がる素振りはない。

 人間と同じく個体ごとにそれぞれ性格は違うという訳か。

 あるいは埃に塗れた身体が嫌だったのか。


 身体を流した後、洗面器にお湯を貯めて置く。

 ゴロを床に下ろすと、数秒様子を窺ってから前脚を入れた。


 心地よいと判断したのか、今度は飛び込んだ。

 ゆっくりと腰を下ろして湯に全身を付ける。

 また独特の鳴き声を漏らす。


 少女はそれを見届けると、自分の身体を洗い始めた。

 脇腹に手を当てる。

 昔より脂肪が落ち、あばら骨の感触がはっきりと分かる。

 このまま安定しない食生活が続けば、骨が浮き出るのも時間の問題だろう。


 ――複雑だな……。

 思わず苦笑した。

 世界が終わるまでは二言目には「痩せたい」という言葉が出てきた。


 友人と服の話をしている時、クラスの誰それが付き合っているという噂話をする時。

 常にその言葉を言ってきた。

 多くの女子高校生がそうであったように。


 今では自然に痩せてくる。

 以前ほど充分な食料が確保できないからだ。

 このまま女性らしい身体つきが失われていくのは悲しいものがある。

 半面、運動量が増えた太腿は筋肉が付き、自然な肉感になっていた。

 それについては不幸中の幸いと考えるべきか。


 髪を湯で濡らし、シャンプーを馴染ませる。

 仄かな香りが広がった。

 背中まで伸びる黒髪を丁寧に洗う。


 充分な手入れができないこの世界では短い方が便利なのかもしれない。

 しかし、バッサリ切ることはできなかった。

 この髪は以前の日常の象徴でもあるのだ。


 校則に反しないよう、それでいてかわいく見えるように工夫した日々が懐かしかった。

 どのトリートメントの艶感がいいかを友人たちと比べたり。

 ぎりぎり注意されない程度にワンカールしたり。

 他愛もないことだが、今となっては良い思い出だ。


 ゴロが鳴いた。

 狭い空間に高く響いた。

 その声で、少女は我に返った。


 ゴロは足元に来ていた。

 回想に浸っていた自分を気遣うように見つめている。

 尻尾がゆらりと動く。


 ――大丈夫だよ。

 腰を落とし、ゴロを撫でる。

 するとまた鳴き、関心を失ったようにシャワー室を出ていく。


 ゆるりと揺れる尻尾。

 猫はきまぐれ。

 少女は笑いながら、後に続いて脱衣所に出た。


 服を纏い、髪を乾かして鏡の前に立つ。

 長い髪に櫛を通した。

 甘い香りが微かに漂った。


 あの日以来、自分の顔付きが変わっていくのを感じていた。

 険しさが顔に張り付いている。

 疲労で固くなった表情。

 冷たい目付き。


 ――女子高生、か。

 可愛らしさが欠けていく自分。

 どうしようもなく苛立たしかった。



 それから昼食を終えた少女は、机に地図を広げた。


 今日中には新しい拠点に移動しようと思っていた。

 しばらく探索をしたが、生存者を見つけることができない。

 この過疎化した地域では痕跡すら残っていなかった。


 次の目的地は街の北部だ。

 住宅街があり、その周辺には店舗や駅、バスターミナルが点在している。

 生活地域として、人口は多い。

 多くの保有者が潜んでいるが、生存者がいる可能性も高いのだ。


 少女は元々北部の住宅街に住んでいた。

 しかし、保有者を避け、都市開発途上の南部に避難。

 それから西部に辿り着いていた。

 事態発生から四か月。

 久々に自宅がある地域に戻ることになる。


 問題は住処だ。

 物資があり、立地が良い場所を選ぶ必要がある。

 今の消防分署もそうした点から選んでいた。


 地図を眺め、適した場所を探す。

 警察署――保有者が多そう。

 駅――これは論外。

 幼稚園――気が滅入りそう。


 あれでもないこれでもないと考えていると、ある地図記号が目に入った。

 棒が二本交差した記号。


 ――駐在所・交番だ。

 小学生で習った知識を思い起こし、結論に至った。

 ここなら侵入防止の格子が窓に張られ、食料も少しは望める。

 警察署ほど大規模ではないから多数の保有者がいる心配もない。


 そうと決まれば準備だ。

 愛用のリュックに物資を詰める。

 この分署で入手した缶詰や生活用品もいくつかあった。

 缶詰、栄養食品、ハンドタオル……。

 必要なものを厳選し、収納していく。


 ふとリュックに吊ったキーホルダーが目に入った。

 茶色いリスのぬいぐるみ。

 昔、父親がくれたものだった。


 母親は幼い時に亡くなった。

 祖父母もとうに逝去。

 そのため、父親が唯一の肉親だった。

 十年以上、父子家庭で過ごした。


 キーホルダーを貰ったのは、中学二年生の頃。

 仕事から帰った父親がお土産と称して渡してきたのだ。

 正直、いらないと思った。

 中学二年生が喜ぶものではないし、使い道もない。


 しかし、不器用な親心を思えばこそ、不思議と可愛らしく見えた。

 父親も年頃の娘の心を掴もうと苦心していたのだ。

 結局、当時の自分はそのキーホルダーをリュックに付けた。

 そうして、今までずっと手元に残していた。


 ――お父さん。

 何気ないキーホルダーが記憶を呼び起こした。

 脳裏にフラッシュバックする。


 日本全域が混乱に陥った「あの日」。


 高校で感染に巻き込まれ、何とか家に帰った少女。

 都内の会社に勤める父親の帰りを待っていた。

 夕方になってやっと扉が開き、父親が帰ってきた。


 彼のワイシャツは血に染まっていた。

 肩の部分が裂け、痛々しい傷が覗く。

 噛まれた傷だった。


 不意に目からも血が滴った。

 少女は、その様子にテレビ報道を思い出した。

 噛み傷、粘膜からの出血――。

 父親は感染していた。


「ごめん」

 彼はそう言って意識を失った。

 数分後、身体が痙攣。

 父親が再び目を開けた。


 呻きながら向かってくる父親だった“もの”。

 獣のような咆哮。

 自分を掴もうと手を伸ばしてくる。


 少女は台所に駆けた。

 ナイフを手に取り、振りかぶる。

 形容しがたい感触。

 気が付くと、変わり果てた亡骸が目の前にあった。


 少女が初めて殺した保有者。

 それは、彼女の父親だった。

 幼い頃に母親を亡くした彼女にとっては唯一の肉親。


 そして、少女の苦しみが始まった。

 今もその十字架を背負い、苦しみ続けている――。



 回想を止め、再びキーホルダーに目を向ける。


 くすんで汚れた色合い。

 思い出の深さを示していた。

 このキーホルダーは、今や父親の象徴と化している。

 自らの手で殺した父親の……。


 息を吐きながら、辺りを見回す。

 忘れ物はない、と思ったところにある物が目に入った。


 待機室の調理スペース。

 そこに置いてある包丁だ。

 何の変哲もない文化包丁。

 しかし、暗く禍々しいように見えた。


 今まで意識的に武器を避けてきた。

 転化した父親を殺し、心に深い傷を負った。

 その反動で、保有者を殺すことができなくなったのだ。


 保有者を遭遇しないように心掛け、遭遇しても逃走した。

 戦わず、殺さず。

 しかし、それもいつまで続くかは分からない。


 北部に向かうなら尚更だった。

 生存者を探すには、武器の携行が必要になる。

 何より、今の自分は独りではない……。


 足元にゴロが寄ってきた。

 終末を共に生きる小さな相棒だ。


 ――私だけじゃない。

 自分の感情論で他の生命を巻き込んでいいのか。

 決してそんなことはない。

 しかし……。


 唇を噛みながら、包丁に手を掛けた。

 蘇る記憶。

 父親を殺した時の手の感触。

 鉄臭い血の香り。


 吐き気が込み上げた。

 しかし、これではいけない。

 震える手で刃をタオルで包み、リュックに詰めた。


 荒い息が漏れる。

 込み上げる胃液を堪えることはできず、シンクに吐き出した。


 ――苦い。

 何度も唾を吐き出す。

 それでも、胃液特有の酸味が残る。


 ゴロが鳴いた。

 立ち上がり、前足で脚を優しく掻いてくる。

 主人を憂うような眼差し。


 口腔に残った胃液をすべて吐き出す。

 唇の周りを手の甲で拭い、膝を付いた。

 ゴロの頭を両手で撫でる。


 ――大丈夫だよ。

 小さな相棒に心の中で語り掛ける。

 ゴロはまるで返事するように小さく喉を鳴らした。


 絶対に死ぬわけにはいかない。

 その思いを噛み締め、制服の上からパーカーを羽織った。

 そして、長い黒髪を後ろで結う。


 ――行こう。

 準備はできた。

 少女は小さな相棒を抱き上げ、消防分署を出た――。







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