92:そこにある信頼
「……さん、お客さん、終点です。」
その声に慌てて目を開き、顔を上げる。
アレ?転生者君はどうなった?ここどこだ?
キョロキョロと周りを見渡すと、電車の座席に1人座り、駅員さんに起こされていた。
「あ、すいません。」
慌てて電車から出ようと立ち上がると、たすき掛けにしている通勤鞄の紐が、スーツの肩に食い込む。
そうだ、明日も仕事するからノートパソコンが入ってるんだったな。
ホームで立ち止まり、周囲を見渡す。
終点とは言われたが、運良く途中駅までしか行かない電車に乗っていたらしい。
これなら少し戻れば良いだけだ。
ちょっと安心しつつ、反対行きのホームに立ちながらボンヤリしていると、ワイヤレスイヤホンから僅かに音が流れていることに気付き、携帯を見る。
どうやら動画サイトを流しっぱなしにしていたらしい。
<……というわけで、私の新曲、“気付いて”がアップされています。
是非皆さんに聞いて頂ければと思います。
さぁ、私、マキーナがお送りするマキーナストリームも、終わりの時間となりました、チャンネル登録がまだの方は……。>
ライブ2Dを使ってのバーチャルタレントか、こう言うのはウチの会社じゃ逆立ちしても出来ねぇからなぁ。
それに、収益が黒になるとも限らねぇしなぁ。
別番組のジャズ音楽に変えて携帯をポケットに突っ込むと、腕時計をチラと見る。
23時過ぎか。
まぁ、この時間なら0時前には家に帰れそうだ。
しかし、アレは夢だったのか。
電車にひかれ、よく分からない空間で体を鍛え上げ、元の世界に帰れると挑戦した結果、失敗。
別の方法で元の世界に帰るため、様々な世界を渡り歩き、色々な転生者と出会った。
あれが夢だとすると、俺の想像力もまだまだ枯れてないらしい。
いや、毎日の通勤時間にラノベを読みすぎたのかな?
何となくジャケットのポケットを探ると、そこには何の装飾も無い、ただのアルミの名刺入れが入っていた。
中にも俺の名刺が数枚入っているだけなのを確認し、元通りポケットにしまう。
そんな事をやっていると、ホームに電車が到着する。
何事も無く到着した電車に乗り、いつもの駅に向かう。
今度は寝ないようにと何となく電車の中吊り広告を見ていると、乙女ゲームの広告が見える。
“お前も、俺と不可能を可能にしてみないか?”
“俺達、恋の特攻野郎 ~助けが必要なときは、いつでも言ってくれ~”
絵面が既に暑苦しいなぁ、これ。
すげぇ広告だなと思いながら別の広告を見れば、“ゲーム化決定!”の太い文字が目に入る。
“ゲーム化決定!あの「マーブの木物語」が遂にアニメからゲームに!?
アニメお馴染みのキャラクターに、オリジナルキャラも参戦!
原作を追体験できるシナリオモードに、ゲームオリジナルの「ハーレム対戦モード」を搭載!
オンライン対戦で、総勢516名の女の子から、誰にも負けない君だけのオリジナル編成を見つけよう!”
何か、バーチャルでロイドなロボゲーのアファJXとかテンパチみたいに、“箸にも棒にも引っかからない謎キャラ”とかいそう。
っつーか、大抵こう言うのは“人権キャラ”とかが発見されて、皆そのキャラしか使わなくなるんだよなぁ。
……しかしいやはや、最近の若い子の流行は分からなくなってきたなぁ。
最初のとか、絶対女性向けゲームじゃないだろ。
どう見てもクソゲーというか、馬鹿ゲーの匂いがするが、それでも、そんなゲームでも今やグラフィックが段違いだ。
子供の頃は延々横スクロールして障害物を避けるだけの、エキサイティングなバイクとかで充分楽しめたんだよなぁ。
いやいや、イカンイカン。
課長からも“もっと若い感性を大事に”とか、“お前の経験だけじゃなくて、最近の若い感性も見習って、何かこう、ぶぁっと面白い企画考えろよ”とか言われてたな。
……何だよ、ぶぁっと面白い企画って。
自分は思い付かないからと俺に丸投げしといて、好き放題言いやがって。
“そろそろ潮時かな”とも思いつつ、“今以上に好待遇な職場も中々無いんだよな”という諦めの気持ち。
昔から、ある程度仕組みが分かると急に興味を無くす性格だった。
だからだろうか、若いときから仕事を点々としていた。
他の奴よりも“一所懸命”という気持ちは薄く、“ダメなら次に行けば良い”の気持ちが強い。
ただ、“この年になってまた就職活動はキツいんだよなぁ”という、漫然とした不安に似た気持ち。
それが重くのし掛かっているが、それすらいつものことだ。
俺に運がない事は自覚している。
結局、今出来ることを精一杯やるしかない。
そんな事を考えていたら、いつもの駅に到着した。
“やれやれ、余計なことを考えすぎだな、飯食って風呂入って寝ちまおう”
黒いラグーンの漫画じゃ無いけれど、俺は週末のんびりゲームが出来れば、まさに“世は事も無し”だ。
今日は金曜日、1週間ぶりに、明日の目覚ましを気にせず寝るとしよう。
珍しく誰も通らない夜の道を歩き、自宅アパートを目指す。
0時間際でも人通りはある方なのだが、今日は珍しい。
“まぁ、酔っ払いが五月蝿かったり通行の邪魔だったりと良いことないから、こういう方が有り難いなぁ”と思いながらのんびり歩く。
“週末だし、たまにはハイボールでも飲むか”
ふと思い付き、帰り道にある自販機に向かう。
家にはまだ亀甲型のロゴがあるウイスキー瓶があったはずだ。
たまには濃いめのコーク・ハイでも作るとするか。
自販機でコーラを買うと、何故だか当たりになる。
それならと、もう1本コーラを手に入れ、通勤鞄に2本のコーラを詰め込む。
何だか得した気分で自宅前の扉に立つと、奥さんが丁度扉を開けた所だった。
「あ、お帰りなさい。
何となく帰ってきた気がして開けたら、ビンゴだったわね。」
タイミングが良すぎたことに笑いながら 、“流石ですお兄様!”と言ったが、当然奥さんには通じなかった。
それでも、いつもの平和な日常だ。
「今日はもう遅いから、おうどんで良い?」
確かに、ガッツリ肉とかだと胃がもたれる。
“それで!”とお願いすると、スーツを脱いで下着姿のまま風呂場に行き足を洗う。
少しスッキリしたところで、寝間着に着替えていると食卓にはうどんが出来ている。
何だか完璧なタイミングだ。
テーブルに着き、レンゲでスープを1口啜る。
ゴマ油が風味をきかせていて、香ばしい香りが鼻腔に広がる。
……知らず、涙が零れる。
俺はそこで箸とレンゲを置き、少し目を閉じる。
「あら?どうしたの?何処か痛いの?」
奥さんが心配そうに声をかけてくれる。
俺は何も言わず立ち上がると自室に向かい、スーツに近付く。
「ねぇ、どうしたの?」
ジャケットのポケットから名刺入れを取り出し、振り返らずに話しかける。
「俺にしては、随分都合の良い世界だと思ったよ。
“こんな日常だったらいいな”が詰まった、凄くちっぽけで、凄く大切な、平穏な時間だったよ。」
「本当に、どうしちゃったの?こっちを向いてよ?」
振り返り、“何でも無い、冗談だよ”と言えたら、どんなに良いか。
このまま幸せな時間を過ごせたら、どんなに良いか。
声が震える。
「妻はね、“人には好きな分量があるから”と、決して先にゴマ油は入れないんだ。
僕はそれが少し不満なんだけど、それでも彼女の気持ちは尊重してるんだ。
だから、彼女がうどんを作る限り……。」
振り返り妻を見れば、まるで古ぼけた写真のように色あせていき、遂には白黒映画の様に色の無い世界になる。
「決して、“先にゴマ油が入っている”事は無いんだ。
……マキーナ、起動しろ。」
<お帰りなさい、勢大。>
ただの名刺入れがマキーナに変わり、全身を赤い光の線が走る。
赤い線と線の間が光ると、全身をラバーの様な素材が包み込んでおり、胸当て、手甲足甲が姿を現す。
最後に髑髏の意匠の仮面が出現すると、変身が終わる。
「自分にとって都合のいい人生を歩めないなんて、貴方は損な人ね。」
色の無い世界で、彼女は微笑む。
『そうでもないさ。
それが、人生って奴だからね。』
それに、だからこそ君に会えた。
そう思いながら、俺は右拳を繰り出す。
何も無い空間に当たったそれは、ガラスのように全てを粉々に叩き割った。




