81:痛み分け
およそ女性らしからぬ悲鳴を上げ、左目から血飛沫を撒き散らしながら魔法使いの女性、確かジェニーだったか、が大きく仰け反る。
俺は右貫手を引きながら左の中段突きを、仰け反りガラ空きになった腹部に突き刺す。
“ゲェェエェ!”と、蛙のような悲鳴と共に、小汚い吐瀉物がその綺麗な口から吐き出される。
蹲り、前屈みになった魔法使い。
屈み込み、頭を垂れて胃の中のモノを吐き出しているその姿は、さながら断頭台の死刑囚だ。
画面から見る立ち位置、踏み込み、微かに見える手の形から、恐らくその首に“手刀落とし”で頸椎を砕くつもりなのが想像つく。
「清潔!!」
手刀が振り下ろされる瞬間、転生者のスキルが魔法使いに命中し青白い光が包む。
振り下ろされた手刀は、しかし頸椎を砕くことは無かった。
不可視の壁に止められ、ピタリと手刀が止まる。
だがその行動を、恐らくは次の“敵”と認識したのだろう。
画面が転生者に向き、左前構えになりながらステップで距離を詰めていた。
「クッ!!速すぎる!!」
俺が放つ右の中段突きを、転生者は両手で防ぐがそのまま吹き飛ばされる。
一瞬の空白。
次の瞬間には、画面は森林に向けて猛ダッシュしていた。
その行動に違和感を感じたが、“あぁ、自衛の意識はまだあるのか”と理解する。
危険な状況からは一刻も早く逃げ出す。
自衛の基礎だ。
<安全地帯への誘導を開始します。>
マキーナの音声が聞こえ画面に矢印が出るが、それに従う様子は全くない。
どこを走っているかわからないが、唯先程の地点から遠ざかろうと全力で走っているらしい。
<オートモード、起動します。>
体の自由がきかなくなったらしく、走っている最中に体が固まり腐葉土の中に突っ込んでいく。
『……ぅうぅあ゛ぁあ゛~~!!!』
我ながら恐ろしい。
獣のような雄叫びを上げたかと思うと、マキーナの拘束をモノともせずに土の中から立ち上がり、また何処へとも着かずに走っていく。
<セーダイ、落ち着いて。
アナタを攻撃するモノはもういません。>
その声が聞こえたのか、全力で走るのを止め、数歩歩いたかと思うと、地面に倒れ込む画面が見えた。
ただ、画面は忙しなく辺りを見ている。
そこにいるのは疲れて倒れ込み、それでも警戒を止めない野生の獣だ。
<セーダイ、大丈夫、大丈夫ですから。>
尚もマキーナは語りかけ続ける。
<セーダイ、安全な場所に避難します。
進行方向に合わせて移動して下さい。>
また画面上に矢印が現れ、今度はそれに従い動き始める。
ただ、先程までで全力の移動をし過ぎたからだろうか、這うように、喘ぐような声と共に矢印の方向に動いている。
『……ここはぁ、どこだぁ……?
俺は駅のぉ、ホームでぇ……?』
記憶にある、“頭の中がドロドロになりながら、それでも藻掻き進んでいるイメージ”はここの瞬間か、と、わかる。
なるほど、こんな事になっていたのか。
<セーダイ、大丈夫です。落ち着いて進みましょう。>
赤ん坊のように這いずり、猿のように木々に掴まりながら歩き続ける。
<記憶復元……エラー、再度実行。>
<記憶復元……エラー、再度実行。>
<記憶復元……エラー、再度実行。>
<記憶復元……一部成功、継続実行。>
……
移動している間、マキーナが俺の記憶を復元し続けていた。
そうして移動を続け、遂にはこの山小屋までたどり着いた。
何とか扉を開けて中に入り、後ろ手に扉を閉めるとそのまま倒れ込んだ。
『マキー……ナ?』
<セーダイ、今は休んで下さい。
その間の警戒は私が実施します。
『任せた』と一言言って下さい。>
『任……せた?』
<自動防衛機構発動の承認。>
<記憶への介入を承認。>
<……の……への同調を……。>
そこで意識が落ちたのだろう。
マキーナのシステムメッセージを子守歌に、視界がブラックアウトする。
『……なるほど。』
思わず声が出る。
恐らくなのだが、あの転生者の攻撃で俺は確かに、真っさらな状態になったのだろう。
真っさらになったときに、俺に残ったモノ。
自衛能力と言えば聞こえは良いが、実際は過剰なまでの暴力だ。
少しだけ、悲しくなった。
“武”という字は、“2つの戈を止める”と書く。
俺にとって“武”とは、心を静め、争いを止める手段の筈だった。
学んだ武術は、“拳”と“禅”を1つとする教えだった。
しかし、心を亡くした俺に残るモノは、それは争いを止める武力ではなく、学生時代に身につけた、あの暴力と言うことだ。
『“力無き正義は無力なり、正義無き力は暴力なり”
か……。』
<置かれていたあの状況において、やむを得ないと想定します。>
手を見てそう呟いたときに、マキーナが声をかけてきた。
思えば、マキーナもいつの間にか流暢な発言が出来るようになっているが、今はそれに感謝すべきだろうな。
『慰めてくれるか、マキーナ。
そういや、今の画面を見たら色々とお前にも迷惑をかけていたな。
スマン、ありがとうマキーナ。』
改めて礼を言い、マキーナを解除する。
解除する前にチラと視界の左下を見ると、89.12と映っていた。
真っさらになったときのアレは人外の力かと思っていたが、どうもそうでは無いらしい。
それはそれで、無意識になるとあれほどの暴力がふるえるのかと、自分が恐ろしくなる。
人間は自制出来る生き物だ。
“無意識になっても過剰な暴力をふるわぬように、今後は心も鍛えないとだな”と、改めて思い直す。
それこそ、社会人になってからは心を打ちのめされる機会の方が多い。
深酒でもしてタガが外れれば、俺は容易くこうなってしまうと言うことだ。
一生、学び続け、鍛え続けないといけない。
「そういえば、記憶の方は結局復元できたのか?」
<いいえ、出来ませんでした。>
何気なく聞いたが、かなり恐ろしいことをサラッとマキーナは言った。
<恐らく100年程度の記憶が消去されています。
繰り返された41年の記憶の1つが消去されていたのは発見できましたが、他は不明です。>
混乱したが、そう続いたマキーナの言葉で少し安心する。
この異世界転移を繰り返す前に鍛錬と並行して行っていた記憶の保持も、意味があったと言うことだ。
まぁ通常の人間であれば、100年分の記憶を消されたら耐えられないわな。
異常な時間をかけた鍛錬が、まさかこういう形で役に立つとは。
何一つ消えては欲しくはない。
それでも、他の記憶が消えても、最悪41年の、こうなる前の俺の人生だけは消されるわけにはいかない。
そう思うと、人の記憶を勝手に消したあの転生者に、改めて怒りが湧いてきた。
「とは言え、またアレをやられたら記憶が消えるんだよなぁ……。」
<転生者の能力を解析しておきました。
これにより、“耐精神”が設定できます。>
おぉ、流石マキーナさん!
仕事が早い!
マキーナの説明を更に聞いていると、どうも少し前の世界で受けた魔法から、エネルギー抽出方法だけでなく防御能力も獲得できたらしい。
既に“耐火炎”や“耐氷結”、更に“耐風擊”などを持っていた。
ただ、マキーナにはどれか1つしか設定できないことと、まだ受けたことのない未知の属性攻撃に対しては効果が無いらしい。
なるほどねぇ、精神属性の攻撃なんか、アレ。
てことは、マサカドシリーズの防具とか欲しいなぁ。
昔やっていた“悪魔を仲間にするRPG”の最終装備をボンヤリ思い描きながら、マキーナに“耐精神”を設定してもらう。
炎や氷は最悪マキーナに回復してもらえば良いが、精神攻撃はマジでヤバい事もわかった。
まぁ、酷い目に遭ったが、得る物もあった。
今回は痛み分けだ。
次会うときは覚えていろよ。
俺の100年を消したツケを払ってもらう。




