793:困惑
何故か山小屋で、俺は古びたストーブに薪を焚べている。
近くに何人かいるようなのだが、誰一人身動きしない。
「あの、狭いんでもう少し離れてもらってもいいですか?」
男か女かも解らないが、とにかく両隣にくっついている人のせいで妙に狭いし、薪も入れづらいので何故だかイライラしていた。
「トイレどっちですかね?」
突然、隣に座っている人から声をかけられる。
思わず“はぁ?”と聞き返したが、男か女かも解らないその人は“トイレどっちですかね?”としか言わない。
“どこですか?”ならまだギリギリ解るが、“どっちですかね?”という質問がますます俺を混乱させていた。
「ガラスの靴って、どこにあるんでしょうね?」
今度は反対側の人からそう声をかけられる。
何を言っているんだとふりむこうとしたら、今度は後ろから声をかけられる。
「0時を超えたら迷子になりますよ?」
次の瞬間、山小屋は一気に腐敗し、周囲にはムカデやゴキブリが大量に這い回る。
足元から汚水が大量に溢れ出し、一気に首元まで水位がせり上がる。
「と、とにかくここから逃げ……!?」
まるで動こうとしない人々に叫び、立ち上がろうとしたところで額に強い衝撃を受ける。
「……痛ぇ……。」
鈍痛を感じる額を抑えながら目を開けると、白い天井と周囲を仕切る白いカーテンが見えた。
更に周りを見渡せば、同じく真っ白なシーツに包まれた鉄パイプのベッドに寝ていたのだと解る。
「……赤い、点?」
俺の身体にかけられていたであろう白い掛け布団には、赤い点が点々と横に伸びている。
そちらの方に目をやると、ベッドの下でうずくまって震えている人間が見えた。
「……あっ!?す、スマン!!君、大丈夫かっ!?」
理解した。
多分、うなされていた俺を覗き込んだこの人が、運悪く飛び起きた俺と激突したのだ。
だから俺の額は痛いし、血が飛び散っていると言う事だ。
「あ゛、え゛へへ、……お゛、俺は大丈夫なんで……。」
鼻声になりながら、髪の長い女の子が血まみれになりながら鼻を押さえて笑う。
「いや、とてもそうには見えないんだが……。」
俺は慌てて、ベッドの傍にあったティッシュボックスから何枚かティッシュを引き抜くと彼女に渡す。
ちょっとだけ、“あ、ティッシュあるんだ”等と場違いな感想は思ってしまったが。
「ほ、ホント、大丈夫なんで……フヒヒ。」
奇妙な女の子だった。
多分年齢的には20代くらいだろうか?
長い黒髪だが、癖っ毛なのか手入れがそんなにされていないのかボサボサだ。
年相応に可愛い見た目なのだろうが、目の下にある深いクマとその笑い方で、総合評価を大きく下げている気がする。
「おいナード!ソイツは起きたのか!?」
女の子の鼻血を止めていると、ドアが開きドカドカと歩いてくる複数人の足音が聞こえ、カーテンが勢いよく開く。
「おいおい、俺達が必死に訓練こなしてる時に、テメェは初体験を済ましてお楽しみってかぁ?」
ベッドに点々とついた血を見て、乗り込んできた男は下卑た笑いを浮かべる。
見れば、俺を包囲した奴等と同じ服装をしている。
それによく見れば髪はキッチリと刈り込まれ、鍛えた体幹をしているのは感覚で把握出来た。
「そ、そんな事……俺、アタシは……。」
「あぁ?聞こえねぇんだよ、もっとデカい声で話せ!!」
怒鳴ってこの男を小突いてやっても良かったが、状況が見えない。
仲が良いと一方的に思っているパワハラまがいの“可愛がり”なのか、本当に悪意のあるやりとりなのか。
今この場で判断するにはまだ材料が足りない。
「オラ、しっかり報告しろエイラ二等兵!!」
「は、はい!!
報告しますアナスターシイ軍曹殿!!
救助したこの男性を検査しまして、バグス反応無しと判明しました!!
ただし、市民登録は損傷したのか読み取れず、経歴は不明となります!!
また、お、私が流血しているのは!うなされていたこの男性を覗き込んだ際に急に起き上がり、鼻をぶつけたためであります!!
報告終わり!!」
女の子は直立の姿勢になると、勢いよくそう告げる。
目を閉じながら腕組みをし、頷きながら聞いていたアナスターシイ軍曹と呼ばれた男は、報告が終わるとゆっくりと目を開ける。
「うむ、ご苦労。
すぐに自身の手当を続けろ。
……さて、今度はお前だ。
お前はどこの誰だ?
なぜ市民登録が読み取れない?」
男は高圧的な態度を崩さず、こちらを睨む。
マキーナもマトモに機能しない現状、ここで反発しても良い事は無さそうだ。
とりあえずこの高圧的な男に怯えたような、困ったような表情を作る。
「いや、あの、私も逆に困ってまして。
多分いつも通り仕事をしていたと思うんですが、何かいきなり騒動に巻き込まれたようでして。
その時の記憶も思い出せないし、必死で逃げてて気付いたらあなた達みたいな人に囲まれてバチッとやられまして……。」
あくまでも抽象的に、ついでに短期的な記憶喪失のフリだ。
あそこがもうだいぶ前に廃墟だったら大嘘になるが、調べていた時の街の様子からして、戦闘が起きてからそこまで時間は経ってないように感じていた。
「……うぅむ。
過度なストレスにさらされると脳の安全装置として記憶を封じると聞いた事があるが……。
バグス共に襲われた恐怖からか……?」
どうやら半信半疑らしい。
少し下を向いて考えていたが、結論が出ないと思ったのか、何かを諦めたような表情で俺の方を向く。
「まぁいい、どうするかは上の連中が決める事だ。
お前の身柄は引き続き我が軍が確保させてもらう。
お前は覚えてないかもしれんが、うちの部隊の人間から、逃げるお前の動きは超人的だった、と聞いている。
今は一人でも戦える人間が必要だ。
お前にその気がなくても、俺達の役に立ってもらう事になるだろう。」
俺の意思は聞いていない、とばかりに背を向け、部屋を出ていこうとする。
ただ、ふと立ち止まりこちらを、正確には女の子の方を向くとニヤリと笑う。
「おいナード、その客人の面倒はお前が見ろ。
何、初対面でも受け入れて血を流す程だ、お前なら相性良いだろう!!」
下品な笑いをしながら、男は去っていく。
「あ、あの……。」
隣を見ると、照れたような困ったような表情の女の子がこちらを見ている。
「ふ、フヒヒ、アナスターシイ軍曹は、その、ああいう物言いですので……。」
何だか、変な事になってきたなぁと、俺は遠い目をせざるを得なかった。




