788:勧誘
「こりゃどうも、1杯くらいなら奢るけど、そのまま夜はご勘弁だな。」
食事を楽しんでいると、俺の隣に褐色でグラマラスな美女が座る。
こういう場所には付き物の、“冒険者の夜のお世話をする人達”だろう。
ただ、残念ながら今の俺はその気分じゃない。
食事はね、静かに楽しむもんだ。
1人で孤独で豊かで……。
いや、そんな孤高のサラリーマンを気取ってる場合じゃない。
とは言え、この手の人達はその職業柄なのか、意外に人脈が広い。
変に邪険に扱うと、色々噂話が広まって活動に制限がかかったりする。
情報を教えてもらえなかったり、希少な武器防具を売ってくれなかったり、宿や食事の扱いが悪くなったり、等など、地味ながらそのダメージは徐々に重くのしかかる。
しかも、それはその街だけに収まる話ではなく、近隣の街にまで影響する事がある。
まさに、“悪事千里を走る”ということわざの通りだろう。
まぁ、俺は残り時間が迫った身だから別に怖くはないが、あまり横暴な行いをすると、色々手繰られて最終的には転生者の彼に行き着き、彼が俺の不始末の尻拭いをするかも知れない。
人と人は、どこかで繋がっている。
ならば立つ鳥の俺は、後を濁さないようにしなければならないだろう。
「えー、それは残念ー!でも、お言葉に甘えて1杯頂いちゃおうかしら?
1杯の間に、気が変わるかも知れないしー。」
背筋に氷を突っ込まれたような悪寒を感じる。
いや、隣に座る女の妖艶な仕草にでもなく、その言葉にでもない。
一瞬だけ、敵意を感じたからだ。
指向性のある殺意、とでも言えばいいのだろうか?
周囲の冒険者達も気付いてはいない。
ある程度高位の冒険者になれば、悪意や敵意、殺意の類にはすぐに気がつく。
そしてこの酒場には高位の冒険者も多い。
それでも気付かないということは、この女は圧倒的に格上か、俺だけにその意志を向けたか、だ。
「アラ?ちょっと試したけど、ちゃんと気付くなんて凄いじゃない。
へぇ、アナタ、拾い物かも。
あ、おねーさん、コッチにもエール!樽で頂戴!!」
1杯と言ったが、まさか樽で頼むとは思わなかった。
割と有名なのか、それを見た冒険者の何人かがこちらを見てニヤニヤしている。
ニヤついているのが魔族系の冒険者な所を見ると、人間族側では知られてなくても、この女は有名なのかも知れない。
少し後に取っ手のついた樽、と言えるような大きさのエールがテーブルに置かれる。
それをヒョイと持ち上げて美味そうに喉を鳴らしながら飲む女を、俺は少し警戒しながら見ていた。
「そんな怯えないでよ子猫ちゃん。
楽しい夜なんだから、貴方も楽しまないと!!
この後、ちょーっと、一緒に来てもらえたら、お姉さん絡んで暴れたりしないからさぁ。」
明確な脅迫だ。
俺の行動次第では、この場で蹂躙を始めても良い、と言っているようなものだ。
少し気を抜き過ぎていた。
俺だけなら、別にこの場は切り抜けられる。
だが、周囲の人間はそうは行かない。
転生者の彼と倒した魔王の、多分側近くらいには実力がありそうだ。
何故こんな大物がまだこの街で大人しくしているか解らなかったが、戦えば間違いなく被害が出る。
<勢大、どうする気ですか?>
(この女の出方を見る。
ついて行って、人の気配がなくなる場所であればその場で倒す。
倒しきれなくても、被害が及ばないようにして立ち去る。)
「考えはまとまったかしらぁん?
それじゃ、カンパーイ。」
樽を持ち上げてこちらにかざす女に、俺も渋々とジョッキを重ねる。
やれやれ、楽しい晩酌のはずが、面倒な事に巻き込まれちまった。
「もうじきよぉ、ここがアタシの根城なのー。」
ほろ酔い気分の女が俺を先導し、大きめの屋敷を指さしている。
ここまで、ワザとなのか人通りの多い道を通り、目的地まで誘導されてしまった。
しかも、目の前まで来た屋敷は、四方を塀に囲まれ入口には大きな鉄柵付、しかも守衛までいるような大豪邸だ。
(……いわゆる、“娼館”って奴なのか?)
あの安酒場にいるにしては、そぐわない美貌だとは思う。
そして、何だか知らないが人間の世界に紛れて娼婦として活動していて、客引きをしている?
冒険者なら泡銭を持っているからか?
いや、目の前の屋敷は娼館だとしたらかなりの高級娼館だ。
泡銭程度を持っているような冒険者でも、ここには立ち寄れまい。
「いい加減、目的を話したらどうだ?」
流石に痺れを切らし、俺から問いかける。
女は振り向くと“フフフー、まだナイショ!”と、人差し指を口元に寄せながら意味ありげな笑顔を作る。
俺は諦めたようにポケットに手を入れ、黙って女の後に続く。
ポケットの中でマキーナを握り、いつでも変身できるように警戒しながら。
「ちょっと待っててねぇん。」
応接間のような所に案内されると、慣れているのか執事がお茶の用意をしてくれる。
床の絨毯といい、天井の照明といい、用意している茶器と言い周囲の家具や装飾品を見ても、かなりの豪商かあるいは貴族の住まいのようだ。
「あの、ここは?」
お茶を淹れてくれる執事のおじいさんに話しかける。
おじいさんはにこやかに笑いながら、“御館様がお会いするための準備をしておりますので”と穏やかに返してくれる。
だが、その言葉でますます意味が分からなくなる。
あの女はかなりの実力者だ。
最初は娼館に連れてこられ、ボッタクリでもされるのかと思ったがそうでもなさそうだ。
そして、多分あの子の肌といい、魔族であろう事は予測出来る。
ではここは、魔族達の支援者となる有力者がいる、と言うことなのだろうか?
「旦那様がお会いになる様です。
こちらへどうぞ、タゾノ様。」
その言葉に、またゾッとする。
俺はここに来るまでの道中、名を名乗っていない。
つまり、始めからピンポイントで俺を狙いに来た、ということか。
魔王の敵討ち、想像がつくのはその辺だろう。
せざるを得なかったとは言え、敵地に飛び込んじまったわけだ。
<勢大、逃走経路を算出しておきます。>
マキーナに任せ、計測が完了するまでの間、時間稼ぎと行こう。
俺は諦めて、執事の後に続き、1つの扉をくぐった。
室内は真っ暗だったが、突然天井から幾つもの光が俺と俺の目の前の集団を照らす。
「ククク……タゾノ君といったか。
おめでとう、君を是非ウチで雇おうじゃないか。」
目の前にはボロボロの黒いローブを着たガイコツが、両手を広げてそう宣言している。
彼の両脇には、緑の肌を持つ巨大な豚顔の魔物、首の無い甲冑姿の騎士、そして大事な所しか隠せていない、コウモリの羽根を持つ褐色肌でグラマラスな美女が、みな拍手して俺を迎え入れていた。
俺は困った顔のまま、どうしたものかとそれを見ていた。




