783:怪物
「よぅ、随分早かったな。」
玉座に深く腰かけ、足を組みながら頬杖をついて退屈そうな視線をこちらに向けてくるマツ。
『悪いな、だいぶ待たせたみたいで。』
玉座の間の入口、両開きの大きな扉を開け放つと、俺はゆっくりと歩み寄る。
『お前、気持ち悪い趣味持ってるんだな。』
その善悪を問う気は無いし、もっとまともな交渉から始めようと思っていたはずなのだが、口から出たのは正直な俺の感想だ。
ただ、それを聞いたマツは、“心外だ”というオーバーリアクション気味の表情をしながら、数度視線を泳がせる。
「おいおい勘弁してくれよ。
キャスパーのやつ、ちゃんと説明してなかったのか?
あんなのが俺の趣味な訳が無いだろう?」
両手を軽く広げつつ、前のめりになってマツは弁明する。
どこかその動きは、海外映画の登場人物の様にオーバーだ。
「俺はあくまでも犯して、切り刻んで、豚みたいな悲鳴を聞きながらなぶり殺すまでしか楽しんじゃいねぇよ。
あんな気色悪い人体改造なんか、俺の趣味じゃねぇよ。
全く、キャスパーもちゃんと説明しとけよなぁ。」
『……俺には、どちらも変わらないように聞こえるが?』
問答を続けながら、距離を詰める。
近付けば近付くほど、マツの殺意が濃くなる。
射程圏内に徐々に近付いている、と言う事なのだろう。
「大きく違うぜ?
俺はな、転生前の世界でも同じような事を繰り返してたんだ。
まぁ、転生前にはこんな魔法なんていう便利なモンは無かったからな。
魔法の代わりに安いアサルトライフル担いでよ、村から村へ、街から街へ、ぶっ殺して略奪して犯して殺して回ってな。
俺にはそれだけで、俺の世界はそれで全部なんだよ。
大体、捕虜を再利用とかしようとしてもよ、裏切られるか役に立たないかの2択じゃねぇか。
現に、お前はこうして俺の前に立ってるしな。」
あぁ良かった、と、ふと思ってしまう。
この男はちゃんと狂人だ。
これは“実は相棒のサポートメカに洗脳されてて〜”とか、“本当は善人だけど何かがあって〜”とかじゃない。
正真正銘の、綺麗な真っ黒だ。
そう思いながら、踏み出そうとした足を止める。
足を一歩踏み出したら、殺られる。
その死線が見えた。
「どうした?謁見ならちゃんとそこで跪けよ。」
『あぁ、そうだ……なっと!!』
つま先を床にめり込ませ、思い切り蹴り上げる。
めくれ上がった石の床は、無数の巨大な破片となりマツを襲う。
「畳返しとは古風だな。
さてはお前、ニンジャの末裔か何かか?」
まるで焦った様子もなく、マツは右手でデコピンの形を作ると、近付いてくる石の1つを弾く。
指の当たった石は、俺に跳ね返って来る事はなく、まるでシャボン玉を割るかの如く弾け飛ぶ。
弾け飛んだ破片が他の石を巻き込み、マツの周りに不自然な空間が出来たかと思うと、マツの体が光に包まれていた。
「さて、何か対策があるかと思ったが、何も変わって無さそうだな?」
玉座から姿が消える。
見えなくとも、風を切る音、息遣い、そして空間の歪みは五感で感じる。
『シッ!!』
斜め後ろに近付いていた気配に、後ろ蹴りを置く。
かすりはしたが、真芯は捉えられなかった。
「おぉ、良い反応するじゃねぇか?
オッサン、ちっとは遊べるかも知れねぇな?」
蹴った直後の俺の隙を狙い、マツの拳が唸る。
これは受けてはいけない、と直感が囁く。
普通に躱すのも不可能。
『それなら!』
しゃがみながら、拳で床をぶん殴る。
先程蹴り上げた場所と相まって、床が崩れて下の階へと落ちる。
足場が崩れた事で、マツの拳は僅かにそれる。
それた先、マツの拳の延長線上にある壁が、ボコリと穴を開ける。
(コイツ、一撃一撃が百歩神拳みたいな威力を出してやがるのか!?)
百歩先のロウソクの炎を消す一撃。
俺のたどり着いた境地の1つ。
風を切るのではなく、空気を媒介として拳の先にある空間を押し出す。
つまりは、その拳の先にあるものはその部分だけが押し出され、断裂する。
防御不可能の一撃、俺では大地にしっかりと足を固定しなければできない技を、マツはこともなげに放ってきているのだ。
(一発貰えば即終わり、ってか!!
クソゲー過ぎるだろう!!)
<勢大、落ち着いて下さい。
今、視覚情報にマツの攻撃予測線を表示……。>
“いらねぇ!”と、マキーナに向けて脳内で叫ぶ。
マツの突きも蹴りも、同様の威力をもって襲ってくる。
移動も目で追いきれないほどの加速を見せ始めている。
この状況で、視覚に過剰な情報が送り込まれる方がかえって危険だ。
既に目に入る情報には頼っていない。
風を切る音、マツから感じる死臭、舞う土ぼこりと空気の味、肌で感じる揺れ動く空気。
五感をフルに使い、マツの動きを追う。
全ての思考を切り離し、攻撃の回避に全身全霊を傾ける。
「粘るなオッサン!じゃあこう言うのはどうだ!!」
更に加速を続けるマツからの攻撃が、一瞬だけ止む。
1秒よりも短い時間、瞬きよりも速い瞬間。
それでも、俺の背筋に氷を突っ込まれたかのような悪寒を感じさせるには、十分な時間。
『避けられ……!?』
視界全てに、マツの拳が見える。
俺の百歩神拳は、サイズ感で言えば拳の大きさまでが、空間を断裂させる限界だ。
だが、今目の前に迫っているこの拳は違う。
俺の全身を飲み込んでも余りあるサイズ。
どう回避しても、必ず体の何処かに当たる。
『……それなら!!』
正面から、巨大な拳を受ける。
良ければ体の何処かが断裂する。
それならいっそ、真正面から受けるしかない。
自分で使っているからこそわかる回避法。
防御の姿勢のまま、俺は全身がバラバラにされているのではないかという苦痛に耐えていた。
「おぉ、頑張るねぇオッサン。
良いね良いね、そういう奴は前の世界でもいなかった……、あぁ、一人いたなぁ。
何とかっていう宗教組織の男でよ、今のオッサンみたいに、何されても悲鳴も上げやしなかったぜ?」
『……そい、……ソイツは、どう、なったんだ?』
全身がズタズタにされたのではないかという痛みに耐えながら、俺はマツに問いかける。
昔語りでも何でもいい、今は少しでも回復したい。
「あぁ、どんなに拷問しても一言も喋らねぇからよ、最後は一人娘を目の前で犯して刻んで無理やり食わせてやったぜ。
遂にはグズグズに吐きながら泣いて恨み言言っててよ、ありゃあ面白かったなぁ。」
この男とは、どこまで行っても話し合いで解りあえるとは思えない。
同じ言葉を話し、似たような見た目をし、同じ様な人としての知性があるはずなのに。
俺は、別世界の生き物を見ている心境になっていた。




