779:混沌の街
“アレは手遅れだ”と、俺の頭の中で俺が叫んでいる。
「ギヒヒヒヒッ!!」
歯から空気が漏れたような笑い声を上げると、おばさんは腕を振る。
繋いでいた女の子の腕、その先から飛び出ている白い骨の剣が俺の首を斬り落とそうと薙ぐ。
大振りの、見え見えの動きだ。
およそ剣術や武術など習うことの無い、平和な人生だったはずだ。
剣をかい潜ると、右拳を握り込む。
「た、助けておくれ!体が勝手に!!」
“だが、もしも助かる方法があるのだとしたら?”
判断の遅れは、そのまま致命的な隙になる。
拳がおばさんの顔にめがけて打ち出された直後、先程までのニタニタした笑いは消え、どこにでもいる普通の、そして困った時代に遭遇して泣きそうな、人の良いおばさんの顔が戻る。
「なっ!?……ぐぅ……。」
俺が動きを止めたその瞬間、おばさんの腹から腕が生えてきて、骨の刃を俺の胸に突き立てる。
「ギヒ、ギヒヒヒヒ。」
「……救えねぇな。」
次の瞬間、俺の拳がおばさんの首から上を吹き飛ばす。
一応は頭が弱点だったのか、首から上を無くしたおばさんだったモノは、すぐに力無くドシャリと地面に崩れ落ちた。
危なかった。
元々がそこまで力が無かったからか、ただ腕を突き出しただけの剣では、そこまで俺に深く刺さりはしなかった。
これが男だったり、或いはこのおばさんが鍛えていたら心臓まで貫かれていたかもしれない。
「おい君!何をやっているんだ!?」
“そこを動くな”と叫び、革の軽装鎧を着た2人組がこちらに走ってくる。
口ひげを生やして腹がちょっと出ている少し年季の入った人の良さそうなおっさんと、まだ若いのか緊張した顔の若者だ。
ただ2人とも同じ見た目の装備だったり、鎧に通し番号がナンバリングされているところを見ると、どうやらこの街の衛兵のようだ。
やれやれ、マズイ事になったなと思いながらも、大人しく従う。
何と言い訳をしようか考えていると、少し緊張した面持ちながらも、おっさんの方が困った様な顔で俺を見る。
「君は?ここらへんで見た事がない……というか人間族か?
なぜこの国にいるんだ?
現在我が国では、君達に迷惑がかからないように交流を……。」
目の前の、人の良さそうなおっさんの衛兵は途中で言葉を切り、不思議そうな顔をしている。
そのまま視線を下に下げると、自分の胸から剣が生えている事を不思議そうに見ている。
「……おい、お前……何、を……。」
口から血の泡を吐きながら、後ろの相棒に疑問を問いかけたまま目の焦点が合わなくなる。
「ギヒヒヒヒヒ!!」
もう1人の衛兵、まだ若そうな青年が先程までと違い、顔中に笑みを貼り付けたようなニタニタした笑い顔で、血塗れの剣を振り上げる。
「クソッ!何人紛れ込んでいやがる!!」
瀕死のおっさんを庇うため、青年が剣を振り下ろす前に抜刀しながら距離を詰める。
おっさんに振り下ろそうとした剣が途中から軌道を変えて、俺に向かって来てくれた。
“かかった”と思いながら、俺も手にした剣で受け止め、鍔迫り合いに持ち込む。
この騒ぎを聞きつけて人が来れば、おっさんが助かる可能性が増える。
これ以上この街の住人を殺せば、俺の立場も
「は?」
足に感じる痛みで、思わず振り向く。
「ギヒヒヒヒヒ!!」
先程背中から相棒に剣で刺され、虫の息だったおっさんが口から血とよだれを垂れ流し、あの気色悪い笑い声と共に俺の左足に剣を突き立てている。
「ク……ソがぁっ!!」
剣に力を込め、思い切り青年衛兵と突き飛ばす。
後ろにのけぞり倒れ込む青年から視線を外し、俺に剣を突き立てているおっさんの頭を剣で両断する。
おっさんの体はビクビクと痙攣した後、すぐに静かになった。
足に刺さった剣を抜いて検めれば、俺が今使っているモノより良い鋼を使用していそうだ。
その辺はさすが魔族領、衛兵向けの数打ちですら人間よりも良いものが出回っている。
「ただまぁ、俺の趣味じゃねぇな。
ホレ、お前等んトコの備品は返すぜ。」
手にした剣を、全力で青年に投げつける。
鼻の辺りに突き刺さった剣はそのまま通り抜けると、青年の頭を連れ去り奥の建物に刺さった。
「クソ、どこまであの化け物が入り込んでやがるんだ?
それとも、もう既に全員殺られてるのか?」
<申し訳ありません勢大、こちらでは判別が付きません。
あの、化け物のような状態になっても尚、魔人族のバイタルは通常通りなのです。>
マキーナの言葉にふと、嫌な予感が頭をよぎる。
もしかしたらおかしくなっているのは俺の方で、この街は正常なのではないか、と。
幻覚で化け物を見て、無辜の民を虐殺しているのでは無いか、と。
<では、この痛みも幻覚ですか?>
マキーナが一瞬、修復モードを止める。
途端に、胸と足に激痛が走る。
「わ、解ったマキーナ、俺の考えすぎだ!!
だから修復モードに戻してくれ!!」
痛みが引いていく。
良かった、先程のままでは一歩も動けなくなる所だった。
マキーナらしい荒っぽい手段だが、おかげで目が覚めた。
「この街は手遅れだ。
見えるもの、見える反応は全て敵と認識しろ。」
<承知しました。
警戒対象として認識します。>
俺の右目の隅に映っていた周辺のマップ、そこに表示されていた生命反応の緑色が、全て赤い点、つまりは敵に置き換わる。
「アァアァア!!」
「マキーナ、今の声はどこからだ?」
即座に視界に矢印が表示される。
野太い男の叫び声。
多分この状況なら、アルガスだろう。
石畳を走り、いくつもの路地を抜けて声のした方に走る。
「アルガス!無事か!?」
戦闘音のする方に向かってみると、一組の男女とアルガスが戦っている。
だが、男女を見た瞬間、俺はギョッとした。
“俺”だ。
女の方はメノウで、そして男の方は俺だったのだ。
どちらも、あのニタニタと薄気味悪い笑顔を浮かべ、俺の偽物にいたってはご丁寧に剣とメイスを持っていやがる。
「お前はっ……ほ、本物か!?」
全身血塗れになりながらも、剣を構えているアルガスはチラと俺を見、俺も間合いから遠ざける様に位置をずらす。
「そうだ、と言いたいが、俺もお前が本物のアルガスか解らん!
俺と連携を取ろうとするな、個別にこいつ等をぶっ殺すぞ!!」
正直、アルガスの事は俺も警戒していた。
アルガスを助けようとして、さっきの様に後ろから刺されたらたまらない。
「ムカつく事をしてくれるぜ。」
俺はツバを吐くと、俺の偽物と同じ構えをとった。




