773:港街
「あそこが、目的の魔大陸、ってやつなんですか?」
「あぁ、ようやくだな。」
双眼鏡をアルガスから受け取り、覗き込んでみれば暗雲立ち込める薄暗い大地が微かに見える。
航海そのものは、それほど厳しいものでは無く目的地に到達しようとしていた。
流石フォースティアが総力を挙げて作ったという最新の船だ。
元の世界のヨーロッパでは、水夫は甲板や通路で雑魚寝、糞尿も垂れ流しで食料も腐敗してと、壊血病だけでなくその他の疫病で、行って帰ってきたら人員が1/4も残っていればいい方、というのが大航海時代の現実とか何かの本で見たことがある。
しかしこの船では動力に魔法が使われている分、スペースに余裕が出来て衛生設備が多少充実していた。
おかげで不衛生さに苦しめられる事なく、言ってみれば元の世界の船旅に近いくらいには文明的に、魔大陸への航海を終えようとしていた。
<文明的と言うには、随分と魔物に遭遇して戦う事になりましたがね。>
“まぁそう言うな”と、マキーナに答える。
それにアルガス曰く、前回の時はこれの3倍くらいのエンカウントがあったらしい。
“先に斥候として行っておいて良かったが、この船であればアイツも生き残ったかも知れねぇな”と、少し苦い顔で呟いていたのが印象に残っていた。
冒険者も、報酬と依頼が見合っていると思えば命すらも賭ける。
そういう仕事だ、当然だ。
ただ、命懸けで戦って帰ってきた後に、もっと安全な方法があったと知ってしまうと、やはりどこかやりきれない気持ちは残るだろう。
斥候に出た後にこの船が完成したという話だから、それは言っても仕方ない事なのかも知れないが。
「明日には昔使っていた港に接岸出来るだろうからな。
全員、上陸用の荷物を検めておけよ。
今どうなっているか解らん。
下手な迷宮の方がまだ楽かもしれんからな。」
アルガスの顔は厳しい。
上陸出来るならともかく、下手したら近付いたら攻撃される可能性も見越しているようだ。
「あいよ、俺もメノウも、もう準備は済ませてんぜ?
セーダイさんはどうよ?」
「あ、あぁ、こっちも問題ない。
すぐにでも上陸出来るくらいさ。」
“そいつぁ良かった”と、トーリスがヘラリと笑う。
普段からこうして軽口を叩いているが、実はパーティ全体を一番気にかけているのはトーリスだ。
メノウはどちらかと言えば節制を心掛ける宗派のようで、体調面を気にしたり規則正しい生活を行うように小言を言ったりしているが、それはいわゆる僧侶の説法に近い。
アルガスは豪快にして大雑把、やや、いやかなり脳筋で強引さが目立つ為、細々とした冒険に関して気にかけているのはトーリスの方なのだ。
前にパーティにいたと言うケインは“引き付け役”の戦士で、基本的に無口で何を考えているかわからず、あまりパーティメンバーを気にする事は無かったらしい。
ただ、例の巨大蛸との戦いの前に、1人海上に残って大量の魔物を引き付けて散っていったらしい。
“アイツ、普段口には出さなかったけどよ、やっぱりウチのパーティメンバーだったんだな”と、アルガスが酔った拍子にそう呟いていたくらいには、良いメンバーだったらしい。
「いよぉし、それなら今日の見張りは俺達じゃねぇからな!!
なら寝るまでの時間、最後の晩餐と行こうじゃねぇか!!」
「やめてくださいよ、縁起でもない。
そこはせめて“決起会”として、厳かに行うべきです。」
“へいへい”と笑いながら、アルガスが食堂へと向かう。
俺達もその後をついていくが、俺はふと魔大陸の方を振り返る。
(あそこに、マツがいるんだろうな。)
未だ、勝ち筋が見えない。
肉体的、武術的には俺より上。
マキーナとヤツのサポートが同等としても、後はこちらのパーティメンバーが手札にあるくらい、か。
<あちらには不正能力もあります。
決して、楽観的にはなれないかと。>
だよなぁ。
それでも、アイツと話し合う所まで辿り着かなきゃいけない。
この世界も、だいぶダメージを受けている。
俺はポケットの中の金属板に触れる。
マキーナを受け取った最初の世界。
幻想的で、悲しいあの風景。
アレは、2度とは見たくない風景だった。
<もしも、話し合う事すら出来ず、こちらの言う事に耳を貸さず、そして貴方を殺そうとしてくるなら、勢大はどうするつもりですか?>
「セーダイさぁん!早く来ないとリーダーが晩飯全部食っちまうって言ってるぜぇ!!」
マキーナの問いに、俺は答えられなかった。
トーリスの声に返事をすると、俺は慌てたフリをして食堂へと駆け出す。
これまで、そこまでイカれた転生者はいなかった。
だから、今回もそうだと信じたい。
「あー、……頭、イテ。」
「ホラもう、だから昨晩言ったではないですか!
アルガスは飲み過ぎなんです。」
翌朝、青い顔をして甲板に現れたアルガスを、メノウは苦笑いしつつもここぞとばかりに小言を言っている。
「港に入るぞぉ!!」
それを微笑ましく見ていた俺とトーリスだったが、船員の掛け声で船の進路を見つめる。
「……コイツぁ奇妙だな?誰もいやしねぇ。」
先程までフラフラだったアルガスが、一瞬で戦士の表情になると港を凝視している。
魔大陸は、その名の通り魔力が非常に濃い。
その為、日中空が晴れていても、やや暗雲が立ち込めているかのように薄暗い。
また、その環境の影響でそこに暮らす人類種、“魔人族”と呼ばれる人々は肌が青い色をしているが、相違点はそれくらいで他は変わらない。
普通に暮らし、こうして港街では交易も盛んで船の往来も激しい、はずだった。
空いている船着場に船を止め、船員が係留作業をしている。
その間も誰かが迎えるでもなく、或いは襲ってくるわけでもない。
完全な沈黙。
施設や建物は見えるのに、不気味な程に静寂がそこには漂っていた。
「……何にもねぇってのは、逆に気持ち悪ぃなぁ。
これなら、いきなりガイコツ兵やゾンビ共にでも襲われた方が、幾分かマシってもんだぜ?」
アルガスの言いたい事も解る。
この静寂は予想外だ。
船が停泊し、積み荷を降ろして橋頭堡を作っている間に本当に近場の住居を探索したが、人のいる形跡が確認できなかった。
<勢大、探索した住居を私の方でも改めてスキャンしましたが、生命反応はありません。
ただ、家具の中に衣類や食器らしきものが確認できます。>
マキーナのスキャン結果を改めて確認すると、住居の中にまだ食べられる保存食を確認出来た。
(……飯も持たずに逃げ出した?そんな事あるか?)
とりあえず、アルガス達と合流しよう。
そう思うと、保存食と衣類の一部を持って俺は無人の住居を後にした。




