768:海の魔物
「改めて見たが……ありゃ、なんだ?」
その異様な姿に、俺は言葉を失う。
水が抜け、船の後部に取り付いている生物の姿が白日の元に晒される。
それは基本的には大きな蛸だ。
骨の無いあの独特な動きでウネウネと動いている触手と、内臓が収まっている膨らんだ胴体らしきモノがある、あれだ。
その胴体は鉄のように鈍色に輝く鱗に覆われている。
口に当たる部分からも太い触手が生えているし、その触手の先には犬のような頭がついている。
更には胴体にある大きな目玉と目玉の間に、女性の上半身を模した触手が付いている。
そんな、圧倒的に蛸にはない相違点があるだけで、基本的には蛸の外観をしている。
<……それは既に蛸ではないのでは?>
“いやまぁ、そりゃそうなんだが”と呟きながら、俺は蛸を見上げる。
帆船に絡みつくようなデカさの蛸を相手に、俺に何が出来るのか。
「アレの弱点とか、何か解るか?」
<巨大蛸の特徴として、鱗は薄い鉄板並みの硬度がありますので、まともに斬り掛かってもさしたるダメージは出ないと思います。
また、犬のような頭からは粘度の高い墨を吐きますので、浴びると行動が阻害されます。
また、この世界では解りませんがあの女性型の触手からは魔法が放たれる場合もありますのでご注意を。
犬の頭部分、または胴体内部にある心臓部が弱点ですが、あの触手を何とかしないと近付く事もままならないでしょう。>
何ともありがたい御神託だ、とボヤきながら船の側面を走る。
走りながら、船に巻き付いている触手の1本に斬りつける。
「っ!?硬ってぇ!!」
しなやかでグネグネとした触手のくせに、剣を振るうと甲高い音と共に火花を散らす。
<確認しましたが、あの触手の先に至るまで細かい鱗で覆い尽くされています。
よほど鋭利か、何かしらの特殊能力のついた剣でなければ、あの皮膚を切り裂くのは厳しいかと。>
「十分身に染みたよ!!
何か方法は無いのか!?」
俺が剣を振るった触手が、ぶつかった物を確認するように船からこちらへと触手を動かす。
ただそれだけでも、人間の俺には物凄い衝撃だ。
盾代わりにかざしたメイスからは強烈な火花が飛び散り、俺は土台の壁に吹き飛ばされる。
蛸からすれば、“何か当たったかな?”という確認程度の動きなのだろう。
俺が吹き飛ばされた事で、すぐに船に巻き付きなおす。
「柔いかと思ったら、想像以上にやべぇ図体してやがるな。」
ヨロヨロと立ち上がりつつメイスを見れば、ぶつかった所が軽く削られた様な引っ掻き傷だらけになっている。
<小さな鱗が逆立ち、ヤスリのような状態になっていますね。
攻撃を受けたら肉体は簡単に削り取られそうですね。>
“他人事みたいに言ってくれるぜ”と思いながらも、俺は再度触手へと駆け寄る。
「そんなら、攻撃される前に叩き潰せば良いんだろうがっ!よっと!!」
全力でメイスを振るい、触手の先を叩き潰す。
叩いた衝撃で船体にも穴が空いたが、どうせ深刻なダメージを受けている船だし、そんな事にもう構ってはいられない。
「こっちを向いた!続けて行くぞ!!」
明確なダメージか通ったからか、巨大蛸の体勢が少しずつズレていく。
何があったかを確認しようとしているのだろう。
犬頭の触手のうちの1つが、船体からこちらへと伸びる。
「貰ったぁ!!」
地面を蹴り、船体を壁代わりに蹴って飛ぶと、無防備にこちらを覗いている犬頭へメイスを振り下ろす。
「手応え有りっ!!」
犬頭の1つがブチュリと汚い音を立てて、頭の中身をまき散らす。
次の瞬間、残りの犬頭が痛みを訴えるかのように一斉に咆哮する。
<いけません!海へ逃げようとしています!!>
「そうは言ったってよぉ!!」
ダメージを食らう予定ではなかったからか、犬頭を1つ失った巨大蛸はスルスルと船から離れ、海側の壁を乗り越えて逃げようと動き出す。
それを追いかけようとするも、残り3つの犬頭からこちらに向けて墨を吐き出し、俺の行く手を阻んでいた。
「ぬぅぅん!!」
船の上から気合いの声が聞こえ、光る銛が飛び出す。
銛の勢いは凄まじく、逃げようとしている巨大蛸の犬頭を1つ貫くだけではなく、胴体にも突き刺さる。
よく見れば、その銛には鎖が結びついており、突き刺さった瞬間にピンと張られるのが見えた。
「今のうちにやれ!!」
先程の男と思われる声が響く。
巨大蛸は海へ逃げようと必死にもがいているが、突き刺さった銛を経由して船の上の誰かが踏ん張っているのか、全く先へ進めないでいる。
俺は撒き散らされた墨を避けるために土台の壁を走り、巨大蛸まで駆ける。
壁から飛び、着地するまでの間に犬頭を1つ叩き潰す。
「後1つ!!」
<勢大!>
マキーナの警告。
ハッと顔を上げれば、上半身裸の女性を模した触手がこちらを向いている。
人間の頭に当たる部分がこちらを向き、口を開く。
全身を削り取られ、両手両足をねじり折られ、引き千切られる。
次の瞬間には身体が修復を始めるが、またもやヤスリで削られ、塩を擦り込まれ、熱湯をかけられ、そして引き千切られる。
永遠に続く苦痛に絶叫し続けながら血の涙を流し、それでも治り続ける身体と拷問を繰り返す。
<……い……せい……、しっかりして下さい勢大!!>
ハッとなった俺の目の前に、暴れ狂う触手が見える。
「こなくそっ!!」
メイスを全力で振り下ろし、薙ぎ払おうと振るわれる触手にぶつける。
何とか威力を相殺してダメージを減らそうとしたのだが、減らすどころか皮一枚で繋がっている所まで触手を大きく引き裂けた。
(これまでの触手の強度、物理的なモノ意外にも何かしていやがったのか!)
魔物は人間のように詠唱を使わなくても、全身の魔力を操作できるらしい。
先程のアレも、恐らくは幻覚魔法か何かの類だろう。
苦し紛れの大技だったのか、一時的に魔力が減ってダメージが通りやすくなっているのか。
「しかしそれなら好都合!!」
俺を自分から離そうと、残りの触手が襲いかかるが、先程までの威力も速度もない。
打ち据え、はじき、かわしている内に最後の犬頭が露呈する。
「精霊よ!我が声に応じ給え!“氷の槍”!!」
女の声が聞こえたかと思うと、俺の頭上を細長い氷が飛び、犬頭に命中する。
女の形をした触手が苦悶の表情を浮かべ、巨大蛸は大きく身悶えした後、べしゃりと地面に溶けるように崩れていった。
「うわ、キモいな。」
<お気をつけ下さい。
まだ筋肉は動いています。
下手に何かすれば収縮活動で怪我をしますよ。>
マキーナの言葉を聞きながら“あぁ、タコって足切っても暫く動くもんなぁ”と、少しだけ場違いな事を俺は考えていた。




