759:絶対絶命
顎を蹴り上げられ、宙に浮いた俺の胴体に左右の拳が突き刺さる。
横ではなく、斜め上に突き上げるようなその拳は、俺が吹き飛ぶことすら許さない。
「あらよっと。」
左の拳を突込みながら、マツはその場でくるりと半回転。
俺の顔の前に、奴の右足の裏がチラリと見え、“ゴギン”という聞いたことのない音を立てながら衝撃とともに吹き飛ぶ。
<勢大、状況は深刻です!
ダメージ回復に回っていますが、これ以上のダメージを受けると……!!>
マキーナの声が遠くに聞こえる。
顔が熱い。
ヘルメットの中で焚火でもやってるんじゃないかってくらい、燃えるように熱く、そして痛い。
黒い影が俺の前に立ちはだかる。
やたらと金でピカピカしてる、黒い影だ。
ソイツが腰だめに構えた右拳を突き出してくる。
あぁいけない、これは防御しなきゃ、とぼんやり思いながら、左手を影の拳に添わせて受け流す。
「ハッ、良いねぇオッサン!まだやれるじゃねぇか。」
うるさい影だなぁ、と、ぼんやり見ると、その影が徐々に晴れていき、俺と同じような姿を形作る。
あれ、俺何やってたんだっけ?
「ハッ!?やべっ!?」
間一髪、上段の回し蹴りを右腕でガードしながら屈んで避ける。
急速に視界が晴れ、そしてうるさいくらいの周囲の音が耳に入る。
木々のざわめき、時々弾ける燻っている火の音、俺の心臓の音。
<勢大!意識が戻ってきましたか!?
現状は危険です、ここから退却を!!>
マキーナはそう言うが、目の前のコイツは逃がしちゃくれない。
矢継ぎ早に拳を、足を叩き込み、確実にこちらの命を狙ってきているのだ。
「どぉしたよオッサン、威勢がいいのは最初だけか!?
キャスパーも飽きてきたって言ってるぜ!!」
“キャスパー”というのが、ヤツをサポートしている何かなのだろう。
俺で言うところのマキーナみたいなもんか。
『へっ、勢いが良いのは認めてやるよ。
だが、そんなに早いと女の子にモテねぇぞ?』
マツの動きは鋭い。
だが、読めない訳では無い。
同じ流派ではなさそうだが、コイツも元の世界でその道を学んだ事があるのだろう。
そういう、“部を学んだ事がある人間”なら、逆に動きが予想がつく。
ギリギリの段階だが、受け、かわす事が出来始めていた。
「なるほどねぇ、オッサンも多少はやる訳だ。
でも、もう大体わかったかな。」
殴り合い、蹴り合った末に、ふとマツが間合いを取る。
こちらの防具類はボロボロだが、マツの方には大した傷は無い。
これだけでも、彼我の状況を物語っている。
残念だが、俺と奴では基本の戦闘能力に差があるらしい。
今のこの状態、真正面からの正攻法では勝ち目が薄いと言う事だ。
<勢大、ブーストモードで一気にカタをつけましょう。>
(俺が、その可能性を考えなかったと思うか?)
相手から見れば、まさしく時間が停止したに等しい超加速モード。
初見殺しの必殺技としては申し分ない技だろう。
だが、戦いにおいては“自分が出来る事は相手も出来る”と想定した方が良い。
相手が絶対にこれは仕掛けてこない、或いは知らないと確証があるなら使えるが、残念ながら奴は存在自体が俺の上位互換みたいなもんだ。
なら、使えると疑ったほうが良い。
もしかしたら、今は使えないかもしれないが、見た瞬間に理解して同じ事をやってくるかも知れない。
この転生者だけなら一か八かでやっても良かったが、“キャスパー”というサポートがいるなら話は別だ。
<勢大も、私よりあちらの方が高性能と考えているのですか?>
いつも以上に無機質な、下手をすれば凍りつくような冷たい声でマキーナが呟く。
こいつめ、サポート役として嫉妬しているのか?
(そうじゃねぇ。
だが確かに、軽くも考えてねぇ。
“目の前で敵の能力を解析して自分の物にしてきた相棒”を目の当たりにしてるとな、自然とそういう警戒をするようになるんだ。)
俺自身は不正能力を使えなくても、相手の不正能力を解析して、似たような行動が取れる様になっていくマキーナを目の当たりにしているからか、サポートキャラがいる、と言う事を軽く見るわけにはいかない。
「そっちはそっちで、“相棒”との会話が終わったかよ?
こっちはこっちで“相棒”がもう少しだけお前達に興味があるみたいでな?
“どこまでやったら転生者は壊れるのか?”って疑問があるらしいからよ、付き合ってくれるか?」
マツは両拳を握ると、大地に両足をしっかりと付けて、深く深く腰を落とす。
あの構えは、元の世界でも広く普及している流派の、一撃を重んじる時の構えだ。
辺りを包むほどの殺気が広がったかと思うと、その気は一気にマツの右拳に収縮していく。
「まだこの技に名前をつけてねぇんだけどよ、威力は保証するぜ?
しかしそうだな、“異邦消滅拳”とか、良いかもな。」
満足に動かない体ながら、俺も静かに腰を落とし、構える。
『ははっ、いやぁ、お前には感謝しねぇといけねぇな。』
「あぁ?」
マキーナに、アーマーの防御力のほとんどを手甲に回すように指示する。
『俺は結構いろんな世界でよ、“ユーモアのセンスが最悪だ”って怒られてたんだがよ。
……そんな俺より酷いセンスを持つ奴がいてくれたおかげで、少し安心したぜ。』
「チッ、抜かしてろ!!」
マツが拳を突き出すと、俺の全身を飲み込んでもまだ余りあるくらいの大きさの、光の拳が高速で俺に襲いかかる。
その巨大さに受け流す事は出来る訳がない。
俺も全力で右拳を突き出すと、マツから放たれた光の拳を受け止める。
『グォォォォォ!!』
受け止め、静止できたのはほんの一瞬。
俺の拳は簡単に砕け、そのまま光の拳に飲み込まれ、衝撃を受けながら後ろへと高速で引き摺られ、俺の体ごと木々をなぎ倒していく。
薄れる意識の中で俺は、妻の顔を思い出していた。
「おぉー、すっげ、山がえぐれたなぁ。」
マツはひとしきり子供のように喜んだ後、変身を解除する。
「で、どうだったキャスパー?
アイツのサポートだか何かの情報は抜き取れたのかよ?
……はぁ、“抜き取る必要を感じられないデータばかりだった”だとぉ?
なんだよ、あのオッサン、結構この異世界を渡り歩いてる風だったのに、実際は大した事無かったのかよ。
んだよ、がっかりだな。」
そう言い残すと、もう興味を失ったかのように街へ向けて歩き出す。
久々に暴れられたからか、その足取りは軽い。
「次はどうすっか。
またあの街をメチャクチャにしてもいいし、サージャーの街まで足を伸ばす……か……。
あ、いけねぇや、まだ魔大陸で遊んでる途中だったじゃねぇか。
ま、サージャーの街はその次だな。」
日が落ち、マツの姿は不意に見えなくなった。
後には、ただ静寂のみが残されていた。




