735:仲間
(この鉄骨を登って……城壁の穴に……よっと。)
流石は猫の体。
人間の体ではとても不可能なジャンプ力と着地能力を発揮し、ひらりと城壁に空いた穴に飛び移る。
飛んだ拍子に、穴に引っかかっていた鉄骨が外れてしまい落ちてしまったのを見て、少しだけヒヤッとしたが。
(あ、やべぇな、帰りどうしよう。
……いや、そも帰る場所はあっちには無いか。)
目的はこの世界からの離脱なのだ。
なら、来た道を戻る可能性は低い。
俺はすぐに切り替えると、正面を向いて歩き出す。
目の前に広がる世界は、どれも巨大で新鮮だ。
きっと人間のままなら、こんな新鮮な気持ちは味わえなかっただろう。
(……いや、それも人間に戻れたら、の話か。)
少し湧いた冒険心を抑え込む。
猫の脳と人間の脳では許容量が違う。
いつ、俺自身の考えが薄まるのかという恐怖が常につきまとう。
それにしても、と、周囲を見渡す。
やたらと灰色の、コンクリートらしき壁や地面が広がり、どこもかしこも薄暗い。
空もコンクリートの高い壁に阻まれていて、角張った空しか見ることができない。
(何かの文明が衰退した残骸、なのかな?)
地面にゴミや瓦礫が散乱しているが、無機物な物ばかりだ。
それに人の気配が全く感じられない。
伽藍堂、或いは廃墟という言葉がとても似合うな、と、空虚さを感じずにはいられない。
(ん?今物音がしたな?)
フイと上を見上げる。
薄暗い壁の先、窓が空いている雑居ビルがあり、その中に微かな光が見える。
多分あそこから音がしたのだと思う。
(鬼が出るか蛇が出るか、何にせよ今のままじゃ手詰まりだ。
……行ってみるか。)
近場の塀の上に飛び移る。
塀の上を伝って歩くと、何かの建築途中だったのだろうか?
屋上から吊り下がっている鉄骨が目に入る。
(ここからアレに飛び移って、鉄骨の上を素早く走って先端からあの非常階段に飛び移れば、何とか行けそうだな。)
移動ルートを脳内でイメージ。
導線が繋がった所で行動を開始する。
飛び移った鉄骨は、ゆらゆらと揺れて少しだけ危険を感じたが、揺れた反動を生かして一気に先端まで駆け抜け、そして跳ぶ。
流石は猫の身体能力。
フワリと音もなく非常階段の踊り場に着地する。
(ちゃんと人間に戻れたら、この動きは参考になるな。)
ちゃんと人間に戻れなかったら。
その時はその時考えるしかねぇな。
そう考えた所で、恐怖心が少しだけ薄まっている自分に気付く。
気付いてしまうと、それがあまりよろしくない兆候だと推測できてしまう。
(猫って奴は、後悔も恥も感じないと何かで読んだ事があるからな。
そういう感情が消えかけ始めてるなら、マズいかもしれねぇな。)
猫はその生存の歴史の中で、失敗した事に囚われないために後悔したり失敗した事を恥ずかしく思う感情が薄いらしい。
それはそうだ。
過酷な野生の環境で、いつまでも失敗をクヨクヨしていたら生き残れはしないからな。
そういうメンタルは、むしろ人間の方が必要なのかもしれない。
(猫のように生きる、か。
しかしそれはそれで爪弾き者になっちまいそうではあるか。)
そんな事を考えながら、例の窓辺に近寄る。
中を覗き込むと、雑然としていて埃っぽい空間だが、かつて人が住んでいた様な、そしてそのままいなくなった様な部屋だった。
(部屋の中から聞こえるノイズ音……。
あ、これだ、白い箱に何も映っていない液晶画面……。
随分古い型のパソコンみたいな見た目だな。)
その機種は見た事も無い筈なのに、思わず懐かしいとすら思ってしまう。
元の世界で若い頃に見た、パソコン普及期のマシン。
長方形の豆腐のような白い箱の上に、白いガワのブラウン管テレビモニター。
そしてキーボードや隣にある有線マウスまで白い。
……いや、全て“白”というには無理があるくらい、黄ばんでクリーム色になっているが。
(とはいえ、未だに起動しているという事は、いきなり何かあったのかな?)
試しに、腕……前足でマウスを押す。
ブラウン管の画面には何かを映そうと走査線が走った気がするが、寿命なのか何かが映る様子はない。
(……これ以上はこの体じゃ無理そ……何だ?)
黄ばんだパソコンの隣に、ガラス?プラスチック?ともあれホコリは被っているが透明な箱の中に、機械の塊みたいな物が見える。
(……このPCから伸びてる線があれに繋がってるってことは、何かを解析してたのかな?)
試しにキーボードを少し踏んでみるが、特に反応はない。
透明な箱をグルリと回って調べると、側面に赤いボタンらしきものがあるのが見える。
(何でも良いか、とりあえず“折角だから、俺はこの赤いボタンを選ぶぜ!”とか言って押してみるか。)
いや別に言わんが。
とりあえず、側面の赤いボタンを猫パンチでぶっ叩いてみる。
何回かベシベシやると、ちゃんと押し込まれたのかカチリと音がした。
慌ててその場を離れると、まだ電気は通っているらしい。
透明な箱はゆっくりと開き、完全に展開される。
[……再起動完了。
正面に猫を確認。]
金属の塊が動き出し、塊の側面から無数の足を伸ばす。
その姿は、金属で出来た大き目の蜘蛛といった雰囲気だ。
何となく気持ち悪そうな見た目なのだが、俺の中で目の前のそれにじゃれついて遊びたい欲求が沸々と湧き上がってくる。
「お、お前は何だ?」
一生懸命その欲求を堪えつつ、話しかける。
まぁ、通じない可能性が高いが、聞かずにはいられない。
[始めまして猫さん、私の名前は“マギカ”。
汎用コミュニケーションデバイスです。
あなたにお名前はございますか?]
ん?通じたのか?
“汎用コミュニケーション”と言ってるって事は、猫もその範囲に入っているのか?
「あ、あぁ、はじめまして、だな。
俺はセーダイ、だった者だ。」
[おや、“だった者”とは、不思議な言い回しですね。
それではセーダイ、よろしければあなたの事をお伺いしても?
私はパーフェクトコミュニケーションデバイス。
あなたのご不便を解消いたします。]
何か勝手に“パーフェクト”が足されてねぇか?と思ったが、どうやら話が通じるらしい。
何としてでもこの世界から脱出、特に人間に戻りたい俺にとって、これは渡りに船だ。
俺はとりあえず、この“マギカ”と名乗る機械にこれまでの話を掻い摘んで伝えた。
俺の話を聞き終えたマギカは、足の数本を器用に使って、考え込む仕草をしていた。
「フム、あなたの目的と、私に記録されている目的は合致するかも知れません。
よろしければ、行動を共にしませんか?」
少しだけ、俺はホッとしていた。
実際は心細かったのもあると思う。
ようやく、この世界で頼れる何かを見つけた気分だった。




