730:崇拝される人
「おぉ!セーダイ殿、お待ちしていました。
実は昨日王宮から連絡がありましてね。
来週の半ばが丁度月の変わり目でもあり、そこに合わせて国王の勅令として魔物の王の復活阻止と討伐を国民に告げるお考えのようで。
時期尚早であるか、我等への確認が来ていたんですよ。」
スタンド公爵家にたどり着き、まるで迷宮の様な邸内を案内される。
そうしてたどり着いた一室には、スタンド公爵とミリーが既にソファーに座っており、側近達と何やら打ち合わせている。
ここは公爵家の中にあるスタンド氏の執務室。
普通は応接室や貴賓室に呼ばれるのだが、何度か打ち合わせているうちに“こちらの方が都合が良い”と言い出し、俺達はそのままこちらに連れてこられる事が多くなった。
この執務室内を見渡しても、調度品の類は置かれていない。
本棚と、そこに入り切らない程の本がびっしりと壁を埋め尽くしている。
「これはこれはスタンド公爵、この度はお招きいただきまして……。」
「ハハッ、何を今更。
そんな事よりも実務です。
さぁ早くそこに座って。」
初めて会った頃、あの地下試験場で会った時は圧倒的な強さや身分で、俺の事など眼中にすら無いように見えていた。
だが、実際に深く話し合ってみると、虚飾よりも実務を優先し、しかも“貴族として民を守る事が最優先である”という考えを持った、実に実直な青年だったと気付かされた。
実際、ユイが不調になったあの時、待っていたかのようなタイミングで現れたスタンド公爵を俺は悪意から潜んでいたと勘ぐっていた。
だが、真実はただ“戦い慣れていない歌姫が窮地に立たされるのではないか”と心配し、忙しい執務の合間を縫ってあの場に現れただけだったという。
それを話した時の表情に、嘘は無さそうだった。
もちろん俺だけでなく、マキーナも同見解だった。
「……と、冒険者ギルドからも歌姫組合からも言質は取っている。
私としては頃合いと考えているが、セーダイ殿はいかがお考えか?」
「あ、あぁ、俺も問題ないと思ってるよ。」
よくできた貴族だなぁ、と、少し遠い目でスタンド公爵を見る。
立場で言えば俺の意見など聞く必要もない。
それでもこうして水を向けてくれるという事は、人の話を聞ける度量もあるということだ。
きっとこの国は、しばらくは安泰だろう。
少なくとも、ユイが生きている間くらいは。
「組合と言えば、聞いて驚きましたよ。
セーダイ殿、ユイ殿のプロデューサーから降りるのですか?」
穏やかながらも、隙のない言葉でスタンド公爵がそう告げる。
その言葉を聞いて、ユイの肩がピクリと動くのが微かに見えた。
「え、えぇ、その……。
難しいんですが、私はずっとここには居られない理由がありまして。」
「あの、よろしければその、理由を伺っても?」
それまでずっと黙っていたミリーが、横から口を挟む。
ユイはずっと下を向いたままだ。
「えぇと、まぁ簡単に言うなら、私は流浪の“異邦人”って奴でして。
ユイとの契約も、“目標達成まで手を貸す”っていう、よくある短期契約的なモノだったんですよ。
まぁその目標ってのが“ユイ自身が自分を一端のスターになれたと思うまで”っていう、フワフワした内容だったんですけどね。」
俺は苦笑する。
本来は冒険者ギルドと歌姫組合の長くからある取り決め、短期探求を達成するまでの一時的な仮契約。
マキーナが入れ知恵をしてそれを最大限に薄く長く伸ばした解釈で、これまでやってきたのだ。
そして今回、“国の象徴”としてアイドルになるのだ。
誰がどう見ても、“本物のスター”になったと言える。
「……アタシ、認めないよ。
まだセーダイさんと、これから先の世界も見たい。」
ユイがポツリと、下を向いたまま呟く。
心情としては理解出来る。
いきなり頼っていたプロデューサーがいなくなるのは不安だろう。
状況によっては、失声症も再発する危険性すらある。
だから最大限フォローをするべく、俺もこうしてスタンド公爵の元へ訪れているのだ。
ここで、ユイの事を頼むつもりだった。
実際、既に権限移譲の言葉は聞いている。
そして、ユイもどこかで達成感を感じていたのだろう。
操作できなかったはずのこの異世界のパラメータは、気付けば動かせるようになっていた。
つまり、もう目標は達成し、契約は終わっていたのだ。
「あ、アタシの歌で、一番効果があったのってセーダイさんだけじゃん?
それにほら、もしかしたらまた再発するかもしれないじゃんか!?
その時、セーダイさんいなかったらアタシ……アタシ……。」
静かに泣き出したユイを、ミリーが優しく抱きしめる。
しばらくは、静かな室内にユイの泣き声だけが聞こえていた。
「……アイドルってのはさ。」
ユイの泣き声が収まり、静かになった室内で俺は言葉を紡ぐ。
「アイドルってのはさ、俺がいた世界でも諸説あるらしいが“実体のない影”とか、“神の偶像”とかを語源にしててさ、それが徐々に変わっていって、“崇拝される人、憧れの的”って意味に変化していったらしい。
この世界では確か、“象徴”とか同じく“崇拝対象”って意味だったよな?
それならユイ、お前はどこででもやっていける、皆から愛される、立派なアイドルになれたんだろうさ。」
「ウム、私も保証する。
ユイ殿はこの国の象徴となったのだ。
これからもその歌で、民に勇気を分け与えてほしい。」
どうしようもない声援だ。
結局は離別の言葉だ。
こういう時、もっと上手に言葉を伝えられる頭があったらと、泣いている女の子を勇気づけられる言葉が思い浮かべられたらと、自分の頭の悪さを呪う。
それでもやっぱり、今この瞬間、俺にはこのくらいの言葉しか思いつかない。
「……うん、頑張る。
アタシ、またセーダイさんがここに戻ってきた時に、恥ずかしくないアイドルでいられるように、頑張る。」
「……いや、頑張らなくていい。
お前はお前のまま、自然体でいるのが一番魅力的なんだ。
そのままで、皆を笑顔に出来るよ。」
“頑張る”という言葉は嫌いだ。
その言葉にとらわれ過ぎれば、人は無理をする。
ユイには、もう無理をしてほしくなかった。
「あ、じゃあセーダイさんいないと無理しちゃうかもなー?
アタシ頑張り屋だからなー!
あー、これまだセーダイさん必要なんじゃないかなー!」
「ユイ、あまりセーダイ様を困らせるものではないかと思いますよ?」
ミリーが穏やかに、優しく微笑む。
そんなミリーに顔を埋めながら、ユイの“解ってるよ”という呟きが聞こえた。
「さて、それでは色々と世話になりました。
そして、急で申し訳ないのですが、恐らく組合からも言われているでしょうが、ユイの事を頼みます。
私のここでの旅は、ここまでです。」
「……承知している。
ユイ殿には、最高のパフォーマンスが出せるように公爵家でも最大限の支援をしよう。
セーダイ殿、もう行ってしまわれるのか?
それでは家の者に送らせよう。」
俺はその申し出を、手で制する。
「それは無用、ここで退出します故。
……マキーナ、やってくれ。」
<転送、開始します。>
急ぐ必要もないとマキーナも思ったのか、足元からゆっくりと光に変わっていく。
それを驚きの表情で見るスタンド公爵を見ているうち、ふと思い出す。
「そうだ、公爵、こちらのお屋敷に“秘密の書庫”とやらがあり、そこに赤い背表紙の本はありますか?」
最初は何の事を言われているかわからなかったようだが、スタンド公爵は思い出してくれたようだ。
「あ、あぁ、あるにはあるが……。
それは私が子供の頃から付けている日記帳だ。
何故その存在を知っているんだ?」
俺は“何でもないです”と笑う。
やっぱり、そんなもんだろう。
さて、もう思い残す事は無さそうだ。
次の旅を始めるとしよう。
勢大が消えた後の室内で、少女がまた大きな声で泣き出す。
その泣き声もやがて小さくなり、そしていつしか消えていった。




