721:復帰
「それじゃあ準備出来たけど、本当に体調は大丈夫なんだな?」
「もー!セーダイさん心配ししゅぎー!!
……あ、か、か、か、噛んでにゃ、無いよ!!」
俺はなんとも言えない表情になってしまったが、それでもこれはユイがどうしても、と言ったのだ。
仕方ない、撮影するかと準備を再開する。
あの時、ユイと夕飯を食べようとした時、俺の不注意からコップの水を零してしまいユイが指摘しようとしたその時、ユイの声が戻った。
正直な所、こういった時にはもっと、何か劇的な事が起きて声が復活するものだと思っていたが、現実はこういうものらしい。
何がトリガーになって声が戻ったのか、当のユイでさえ理解できていないようだった。
ただ、その日はしばらく泣いていた。
やはり本人も、“このまま声が戻らないのではないか”という恐怖はずっとついて回っていたらしい。
ただ正直、俺は彼女を強いなと思った。
その涙の殆どの意味は、“またファンの皆に歌声を聴いてもらえる”という、安堵の涙だったそうだ。
きっと本当に嬉しかったからだろう。
自分のこれからの人生で話せない事よりも何よりも、“誰かに歌声を届けたい、歌声で誰かの力になりたい”と言う、これまで誰にも言わなかった本当の夢が、また追いかける事が出来ると泣いていたそうだ。
そうして一晩たった翌朝、起きてきたユイは早速ファンに向けてメッセージを送りたい、と言ってきたのだ。
まだ声が戻ったばかりで、うまく舌も回っていない、そのたどたどしい声で。
「……それじゃあ、一回撮影するぞ。
ただ、内容がアレだったら、やり直しをお願いする事になるからな?
それじゃ、3、2、1、……。」
ゼロの所で、俺は声を出さず手を前に振る。
ユイの動画に、俺の声を載せるわけにはいかないからな。
「あ、え、えーと、ユイにゃんずの皆、元気してりゅ?
あ、か、か、噛んでないよ!!
えと、そうじゃなくて、あのね……。
今回は皆にいっぱい心配かけちゃったから、ゴメンねって言いたくて、事務所の人に無理言ってこの動画を回してもらいました。
でもホラ、この通り!完全復活しましゅたーしましたー噛んでないよー!!」
まだ上手く舌が回っていない発声で、それでも元気いっぱいに明るく振る舞うユイ。
その姿を見ていて、俺も少しだけ胸のつかえが取れるような気持ちになっていた。
ユイはその後もファンへの感謝とお詫び、これからの活動も変わらず頑張っていく、というような内容を伝え、元気に両手を振りながら動画を締めくくった。
俺はタイミングを見て魔導映写機を止めると、軽くため息をつく。
「……ど、どうかな?
そんにゃに、変な事は言ってないよね?」
「……まぁ、そうだな。
このまま流しても問題ない。
というか、前後の余剰尺は編集するにしても、むしろこれはこれでこのまま流した方が良さそうだな。」
こういう時、そろばんを弾くような人間にはなりたく無かった。
だが、どうしてもそういう考えが浮かんでしまうのは歳のせいか。
変に加工やBGMを被せず、元に近い形で動画にした方がこれを見た人間の心象も良くなるだろう。
いっその事、タイトルは黒背景に白文字のシンプルなモノにして、“ユイに関する重大なお知らせ”とかにしてやれば、物凄くショッキングで人の目を引きやすい気がするな……。
<勢大、それをやると逆効果になったりしませんか?
ファンからすればネガティブな想像をしてしまうような気がしますが?>
「は、ハハ、何を言っているんだいマキーナ君。
ぼぼぼ僕が、そんな事をする筈無いじゃないか!」
マキーナが無言になり、ユイが無垢な目で“何の話?”という視線を向けてくる。
た、確かにそれは炎上リスクが高すぎるから止めておくか、と思った時に、ふと時計が目に入る。
「あ、そういえばユイ、そろそろ支度しなくて大丈夫か?
そろそろ出かけないと、ミリーとの約束に間に合わなくなるんじゃないか?」
「あー!!
早く言ってよセーダイしゃん!!
急がなきゃー!!」
慌てて事務所を飛び出し、自室に戻るユイを見送ると、俺は魔導映写機の記録媒体を取り出す。
<……上手くかわしましたね?>
「うるせぇ、そんな事より編集頼むぜ、マキーナ。」
“ハイハイ、承知しましたよマイマスター”とマキーナは呆れたように言うと、俺の左手に持っていた媒体を黒い何かで包み込む。
それを見ながらも、俺は別のことを考えていた。
ユイが復活したのは喜ばしい事だ。
だが、そうなればまた次の問題が出てくる。
俺達の置かれている現状に、だ。
ユイの失声症があったから、というのもあるが、今世間的には割とユイに目が向いている。
これから出す動画で、ますます注目が集まるだろう。
当然、世間的には原因となった、或いはそう見えた“魔物との戦い”と、その敗北について、話題が更に広がっていくだろう。
実は、ユイには見せていないがあの戦い、世間では議論の的になっていた。
“貴族しか倒せない魔物に挑んだ結果”
“無謀な戦いで危うく歌姫が失われる所だった”
“貴族所属以外の歌姫を魔物退治から遠ざけては?”
そんな内容が、定期的に話題にのぼっていた。
権益を拡大させたい貴族と、数年のうちに魔物の王が復活すると知っているため、広く歌姫の有用性を知らしめたい歌姫組合、いや王家とで、静かな争いが起きているのだ。
流石に貴族も馬鹿ではない。
魔物の王が復活する予兆を見せている事は知っているし、それに対して王家に協力しないと言っている訳でもない。
ただ、“いつ起こるか解らない魔物の王への備え”よりかは、“目の前にある権益”に目がいってしまっているのだ。
中には、“魔物の王への備えを考えればこそ、今領地を備蓄をしなくてどうする”と公言する貴族までいるほどだ。
それもこれも、前回の魔物の王との戦い以降、世代交代が起きてしまっている事が原因なのだろう。
知らないモノは恐れない。
“先代が何か怯えているが、自分達ならば遅れを取らない”そういう考えが、現在歌姫と共にいる貴族達の大多数の考え方だという。
ほぼ単独での生き証人となっている歌姫組合のソフィア氏も、頭を悩ませているらしい。
……ってかあのおばさん、実際のところ何歳なんだろう?
ぱっと見は50代といってもわからないくらいなんだよなぁ……。
<勢大?アップロードしますがよろしいですね?>
「あ、あぁ、やってくれ。」
考え事をしている間に、マキーナの作業は終わったらしい。
アップロードすると、ゆっくり上昇した再生回数が、ある時を境に一気に増えていく。
(……情報が回り始めたな。)
ただの再生数1が、積み重なると恐ろしい力になる。
ただこれまでで解った事と言えば、この力は強大すぎて俺にもコントロールは出来ない、という事だろうか。
(誰も彼もが取り憑かれたように夢中になるくらい魅力的でありながら、しかし誰にもコントロールしきれない。
こんなにも恐ろしい力も、あるんだなぁ。)
俺は増えていく再生回数を見ながら、タバコに火をつけていた。




