720:何でもない、いつものように
結局あの後、もう数人ほど“思想教育”を施す必要がありそうな奴はいたが、結果的には放置する事となった。
流石にシルク程の実害が発生しているレベルの奴は他にいなかった事と、“そんなに俺が勝手に決めていいのか”という疑念が拭えなかったからだ。
どんなに危険そうな奴でも、他者に迷惑をかけるレベルの奴はいなかった。
そういう“自分の中だけで完結している突き抜けた変態”は、まぁ個人的には好きな方だからだとも言えるが。
<勢大は変な所で寛容ですよね。
少し前にも、ステージに近寄ろうとしたユイのファンを止めようとした時“俺は目が悪いんだ!今日のおかずにするんだから、この衰えた肉眼にユイにゃんの姿を焼き付けさせてくれ!!”っと言っていた変質者を見逃したじゃないですか。>
「ま、まぁ、そうだな。
やっぱりホラ、そういう潔い漢って、何かこう、格好良くない?」
“いや全然全く解りません”とマキーナに冷たく言われてしまったが、まぁ仕方ないか。
アレは俺もどうかしてたんだろうなぁ、と遠い目をしながら、これまでの経過と“虫”のデータを整理していく。
“あ、セーダイさんここにいた、”
備え付けの端末に情報をまとめ終え、目線を上げたちょうどその時、視界に文字が映る。
「あぁ、何だユイか、どうした?」
“何だ、とは失礼な!こんな美少女歌姫のユイにゃんが探してたのよ!!”
文字と共に、ユイが怒った表情を作る。
本当に、この数週間で実に使いこなしている。
やっぱり若い子の方がこういうツールはすんなり使いこなすよなぁ、と感心してしまう。
「ハイハイそうね。
んで、そのビ・ショージョの歌姫さんは、俺に何か用か?」
俺のふざけた答えにまた少し怒った表情をするが、すぐに笑顔になる。
“あのね、明日ミリーちゃんお休みらしいからね、遊びに行っていい?”
なんだ、そんな事か、と俺は苦笑しそうになったが、出かける時は必ず俺に言えと、そういえば俺自身がユイに言い聞かせていたなと思い直す。
「あぁ、そりゃ勿論オッケーだ。
逆に、向こうさんに迷惑かけてないだろうな?」
“そんな訳ないじゃん!アタシだって子供じゃないんだから!
それに、これはミリーちゃんの方から言ってきてくれたんだよ!”
そう文字が浮かぶと、ユイはまた怒った顔を作る。
本当にコイツは、喋らなくても喜怒哀楽の表情変化が忙しい。
「あ、あぁ、そうなのか。
まぁ、おっさんだからな、心配性なのは勘弁してもらおうか。
……それより、あちらさんから誘ってくるとは、お前等いつの間に仲良くなってたんだ?」
ユイは少し考えた後、ペンを走らせる。
どうやら、以前声を失うきっかけになった事件。
あの時助けに来てもらって以降、お礼の連絡などをしているうちに親しくなったらしい。
しかも、その話の中でユイとミリーは共通の“大変なファン”とやらに困らされ続けていると、情報交換をして以降、より親密になったという。
(……同病相憐れむ、って奴なんだろうなぁ。)
文字を追いながら、そんな事を考える。
人間、意外と“共通の敵”に該当するような存在がいると、案外仲良くなったりするもんだ。
ましてや、ここに出てくる“大変なファン”とは、つまりシルクの奴の事だろう。
あんなのに狙われている同士なら、そりゃ結束も固くなるだろうな。
「そ、そうか、それでその、ミリーはその、“大変なファン”の事で話したい、って事なのか?」
“そうみたい。
何か、別人みたいに普通の応援されたって書いてあってさ。
これはどういうことか、一度話を聞いてくれませんか、だってさ。”
あぁ、まぁそりゃそうか。
この間まで過剰な接触を求めてきたと思ったら、突然一歩引いた応援とかし出したら、そりゃ怪しむよな。
まぁ、ここで“俺が何とかしておいたぜ”なんていうのも野暮な話だし、逆にその方法に不信感や疑いを持たれても困る。
俺は“そうか、まぁ友達の相談に乗ってやるのも大切な事だな”と適当な返事を返しておいた。
勝手な感傷かも知れないが、この子の顔が曇ることはあまりしたくない。
どんなに迷惑なファンだとしても、きっとこの子は限界まで受け入れ続ける。
事実、そう言った事が積み重なって限界を迎えたわけだしな。
それでも、相手を恨まず自身を責める。
だから、人格矯正をしたと言ったならきっとまた心に傷を作ってしまう。
それなら、このまま黙っていた方が良い。
「まぁアレだな、それなら今日はサッサと飯食って、早く寝ないとな。
夜更かしはお肌の天敵ってな。」
“セーダイさんデリカシー無さすぎ。
ユーモアにしても女の子にソレは駄目だよー!”
ユイに怒られながらも、俺達は雑居ビルの1階にある居酒屋へと向かう。
夕飯時はもう過ぎているが、飲み屋としての顔を見せるにはまだ少し早い時間帯だ。
これくらいの時間が丁度慌ただしくなく食事ができるからな。
ユイとのんびり食事をするには良い時間帯だ。
「……へぇ、今日は親子丼か。」
異世界は面白いなぁと時々思う。
文明や街並み、服装に至るまで元の世界とは相違があるのに、こういう所で何故か元の世界の片鱗を垣間見ることができる。
「ユイは親子丼好きなのか?」
ふと、何の気なしに聞いてみる。
“え?うん、私親子丼大好きなんだよね!デリックのおじさんが作る親子丼、特に美味しいから好き!!”
“そうか”と笑いながら頷き、そしてやはりと思う。
転生者が特に好きな物は、異世界でも再現されやすい。
オムライスやラーメン、それに親子丼がこうしてあるのも、ユイの好物だからなのだろう。
「あ、やべ。」
考え事をしてばかりだから、だろうか。
水の入ったコップを取ろうとして、手を滑らせてしまう。
掴みそこねたコップはゆっくりと傾き、そして中に入った水をテーブルにまき散らしながら横たわる。
「あー!セーダイさん何やってるのよー!!」
俺の動きが止まる。
ユイは慌てて近くにあった布巾を手に取り、俺が零した水を拭おうとして、動きが止まる。
「……え?嘘、アタシ……。」
ユイはそう言うとゆっくり顔を上げ、俺と目が合い、そしてまた時が止まる。
止まった時を動かしたのは、ポロリとユイの瞳から溢れた一雫の涙。
<ユイ、嘘ではありません。
今、貴方はちゃんと声を発しましたよ。>
マキーナが、優しくそう伝える。
そこからはもう、食事どころではなかった。




