719:更生
「……時間帯的には何とか間に合った、って奴なのかね?」
<周囲の人型生命体は活動を停止しているとは思われますので、恐らくはその通りだと思われます。
もう少しあの家に近付けば、内部の“虫”とリンク出来ますので、より精細な情報が入手できると思います。>
俺はシルクというハンドルネームの男が住むアパートを見上げる。
見ただけでも、建材からして大量生産で安物をふんだんに使い、簡易に作られたのだろうと予想がつく造り。
この世界では実に一般的でありふれた二階建ての、大体10世帯くらいが一度に住めるアパートという趣だ。
そんなありふれていて古びたアパートの向こう側に広がる空は、紫がかった青みを帯びた色をし始めていた。
「……そろそろニワトリでも鳴きそうな時間だな。」
<そんなものがこの住宅街にいれば、ですがね。
しかし確かに、もう早朝に近い時間帯です。
ここは一旦出直して、もう少し深夜の時間に来た方が良いのでは?>
ちらと腕時計に目をやると、午前4時すぎ。
シルクの奴も何か仕事をしているらしく、データ上では朝に慌ただしく出かけていく姿は確認出来ていた。
どんなに宵っ張りでも、明日も仕事があるなら寝ていなければ影響がある時間だ。
「掲示板やネットワーク上の書き込みを見てるとよ、コイツの活動時間は深夜2時近くまでだからな。
つまり下手に深夜に襲おうとすると、まだ起きてるコイツと鉢合わせになる事がありえるからな。
だったら、後少しで起きるっていうような早朝に襲撃した方がマシってもんだ。」
“そんなものですか”と無関心のマキーナに苦笑いしつつ、俺は周囲に人影や視線が無いことを確認して静かにアパートの入り口に近づく。
<リンクしました、二階の一番奥、シェール・シングという名前が対象の住処のようです。>
足音を立てないように階段を登り、二階の奥に向かう。
扉自体は実に安物で、俺が力を入れればドアノブごと引き抜く事が出来るだろう。
とはいえ、そんなド派手なダイナミックエントリーは出来ない。
こう言う時は王道のステルスエントリーだろう。
(マキーナ、何とか出来るか?)
<左手の指を鍵穴に近付けて下さい。>
言われた通りに左手の人差し指を近付けると、指先から黒いモヤのようなものが鍵穴に吸い込まれていき、鍵を形作っていく。
<形状、合わせました。>
指先をひねると、ガチャリと響く音が鳴り、鍵が開く。
一瞬ヒヤリとして周囲を見渡すが、マキーナの索敵範囲にも動く物体、こちらへ向かう視線を感じ取る事は無かった。
(やれやれ、しかしこういう潜入は心臓に悪いな。)
そんな事を思いながら、そっと扉を開けて中に忍び込む。
中に入った瞬間、ムワッとした不快な男の臭いと、森の中で嗅いだ事のある様な、奇妙な臭いが鼻の中に広がる。
(最悪だな、空気も入れ替えてなければ掃除もしてないって所か。)
<勢大もちゃんとこまめな入浴をする事をお勧めします。
たまに、同種の臭いを発生させている可能性があります。>
え、マジで?
ちょっとそれマジで凹むんですけど。
ユイもあれかな?実は内心で“加齢臭がするなぁ”とか思ってたりするのかな。
<今そのような事を考えている暇は無いかと。>
そうだったそうだった。
俺は足音を立てないように暗がりを進むと、入り口からそのまままっすぐ進んだ部屋から、男のイビキが聞こえる。
(データで見た通りの間取りだな。
って事は、この隣の部屋が昆虫が大量にいる部屋って事だな。)
<勢大、男を取り押さえる前に、昆虫の部屋と端末へのアクセスをお願いします。>
マキーナの言葉を不思議に思いながらも、俺は先に昆虫の飼育部屋に忍び込む。
そういえばここに、“例の瓶”もあるのかと思うと、ちょっとゲンナリする。
<ありました。
次回のプレゼント、の様ですね。>
マキーナが発見したものを確認するため、昆虫の飼育部屋にある机に近付く。
机の上には作りかけの小型機械と2つの瓶が置いてある。
1つは液体の瓶、もう1つは何かの粉末が入っている。
<解析したところ、小型機械は爆破装置のようです。
殺傷能力は低そうですが、当たりどころが悪ければ当然重傷になるでしょう。
液体の瓶は彼のいつもの体液で、もう1つの瓶は昆虫を粉末状にしたモノの様です。
……様々な毒物が検出しました。>
マジか、と、絶句する。
つまりは、届いてユイが箱を開けようとすると炸裂し、周囲にコイツの体液と毒の粉末を撒き散らすつもりなのだ。
(……コイツを、あの野郎の顔面に落としてやろうか。)
<それも良いですが、それでより過激に悪化されても困ります。
ここは無力化させる方が良いかと。>
“冗談だ”と言いながらも、腹の中では怒りがマグマのようにせり上がってきていた。
それでも冷静に、小型の機械を無力化すると元の部屋に戻る。
男のイビキを聞きながら、左手を端末に近付ける。
<……潜入、完了しました。
データの一部を表示します。>
あまり見続けたくないデータだな、と素直に思う。
ユイと、スタンド公爵の所のミリー、そしてカオルコ……何処かで聞いた名前だが、どれも歌姫宛のファンレターの内容だ。
文面は大体似通っていて、どれも要約すると“自分はあなたの事を子供の頃から一緒にいて、将来を約束し合ったような恋人のように思っている”といった内容だ。
(……すげぇ、オタク目線の細かいツッコミ良いか?)
<言葉には出さないで下さいよ?>
マキーナの言葉に、少しだけ冷静になる。
それでも、頭の中を高速で怒りが駆け巡る。
いや、勝手に妄想するのは良いが、せめて個々の歌姫の活動くらいは把握して、文面を変えろよ。
そして自分の思想の押し付けだけじゃなくて、せめて相手の活動を何か褒め称えるなりなんなりしろよ。
これじゃ、一方的な感情の押し付けじゃねぇか。
<……もう、十分ですか?>
(……あぁ、スマンな。
これ以上こいつの事を考えても時間の無駄だな。
サッサと処理しちまおう。
ユイのためだけじゃなく、全ての歌姫の安寧のためにも。)
俺は近くに積み上げられていた洗い物の中から、厚手のバスタオルらしきモノを手に取る。
手で持つ部分を少し巻き付けて太くし、ヤツの足元に立つと、靴を脱いで足の指でもタオルを掴む。
マキーナの話では、30秒もあれば完了するらしい。
そのまま倒れるように男の上に覆いかぶさると、全身にタオルを押しつけ、太くした部分は猿轡の様に男の口に押しつける。
男に四つん這いになるように覆いかぶさり、バスタオルで全身の動きを封じつつ、叫び声を上げさせないように口も押さえ込んだ。
「……!?
ンーッ!ンーッ!!」
突然の事に驚き、暴れながら叫び声を上げようとしているが、俺がガッチリホールドしている。
「……本当はお前を何十発もぶん殴りてぇがな、そんな事をしても無駄なのは解ってる。
ついでに、後々騒ぎにされても面倒だしな。
……立派に思想教育されてくれや。」
シルクの耳や鼻、目からも黒い何かが侵入すると、白目を剥きながらビクリ、ビクリと痙攣したような動きを見せる。
マキーナが予告した時間になると、それもなくなり静かになっていた。
「……お前まさか、殺ってねぇだろうな?」
<もちろんです。
……ユイの事を思うと、そうしても良くはありましたが、我慢しておきました。
彼はしばらく全身を何度も引きちぎられるような夢を見た後で、立派に更生する事でしょう。>
少しだけ同情の視線をシルクに送ると、俺はその場を後にした。




