713:前例なし
「……なんて切り出すべきだと思う?」
<事実をそのまま伝える事は、場合によってはユイの精神に強い衝撃を与える事になります。
しかし、本人も体験している可能性もありますので、その衝撃は小さいものになる可能性も無いわけではないかと。>
何とも当てにならない予測だ。
そんな事を呟きながら、俺はユイの病室へと向かう。
先に医者に声をかけておいたが、声が出ない事を除けば体調は健康そのものらしい。
これなら、もう少し診察したら在宅での治療に切り替えても良いという話だった。
「よ、よぉ、元気にしてるかー?」
元の世界の近代的な病院と同じように、病棟は白を基調としたコンクリ造りで清潔、病室の扉も大体が開きっぱなしになっていて心理的にも圧迫感は少ない。
ふと“この世界にもナイチンゲール的な人がいたのだろうか”と、くだらない疑問を持ってしまう。
元の世界の病院と病室の基礎は、一人の女性の奮闘で構築されたものと聞く。
そんな存在がいないこの異世界で、似たような病院施設がある事は不思議だが、きっとイチイチ考えていても仕方ない事なのだろう。
そんな現実逃避にも似た考えをしながら、そっとユイの病室を入り口から覗く。
“セーダイさぁん!待ってたよー!”
ユイの文字が宙に浮き、無邪気な笑顔と共に両腕がワタワタと振って歓迎の意を見せてくれる。
“相変わらず声を発してなくてもうるさいヤツだなぁ”と思いながら、笑顔を返す。
「元気そうで何よりだ。
医者にも聞いたぞ?だいぶ経過は良いみたいだな。
来週には在宅で療養ができそうだな。」
“もっちろん!元気元気!”
ユイは文字を書くと、浮かび上がる瞬間に両腕で力こぶを作るようなポーズをして、元気さをアピールする。
ちょっと文字での会話に慣れて来ている感じでそれ自体は微笑ましいが、そうなった原因を考えると痛々しく感じられる。
「そうか、それは良かった。
それで、その……。」
会話の切り出し方が下手か。
そう自戒するが、もうこうなってしまえば仕方がない。
いくつか伝えなければならない事、それを思い切って俺はユイに伝える。
まずは活動に関して、長期の休暇を発表した事。
それをヌコッターの、ユイのアカウントからも公表して欲しい事。
現時点ではこう言った交流手段も完全に遮断して、治療に専念して欲しい事。
ここまではユイもある程度は覚悟をしていたようだ。
真剣な表情ではあったが、さほど暗い表情になる事はなく、交流の部分に関して“出来ればいい機会なのでユイにゃんずの皆とのやり取りは続けたい”と意見を言うほどだ。
当然、事前に医師とも相談していた。
医師からは微妙な反応であり“完全に隔離した方が治療という観点では良いとは思われるが、患者本人にとって交流を続けた方が早く回復する場合もあるので、現状では何とも言えない、しかし悪影響が出るようであればすぐに中断してほしい”と言う、実に玉虫色の回答だった。
こういう場合、ファンとの接触は大抵が良くない結果を生み出す。
ファンというものは好奇心の塊だ。
交流の糸口が少しでもあれば、そこをきっかけにしてアレコレと聞き出そうとするだろう。
そして聞き出した情報を元に、また勝手な推測をし始める。
中には“説明責任だ”等と強い言葉で自身の好奇心を満たそうとする者も現れるだろう。
そうなった時、今度はユイの治療どころではなくなる。
だからこそ、医師には強く“交流は禁止”と言って欲しかったし、それを本人にも伝えて欲しくなかった。
今回、ネットワークの力を使い、この異世界では新しい試みを行った。
それはつまり、“こうなった場合に前例が無い”と言う事にも直結する事になるとは思っても見なかった。
俺の知識でも、“本当に完全に情報を遮断するべきなのか”の判断がつかない。
この世界で前例があればそれを参考にできるのだが、先に言ったように前例がなくて、誰もが自分の責任にならない様に慎重な判断ばかりだった。
“これは、誰かが腹をくくるしかないな”と覚悟し、ユイに交流は残してもいいが、その場合はこちらの注意事項を守る事、と伝える。
何があったかは聞かれても答えないこと、説明は事務所公式の方に問い合わせる事、病状とは関係のなさそうな、他愛ない事しか書かない事。
そして、書く前に俺に見せる事。
「それとな、お前が入院している間、ファンから届いた荷物に少し、その、なんだ、特殊なモノがあってな。」
これで少しは現状が回復すれば良いなと思いながら、そして最後に本命の話をきりだす。
その言葉を聞いた瞬間、ユイの顔がサッと青ざめ、そして怯えた表情になる。
<ユイ、勢大は別に叱責しようという意図はありません。
むしろ、今まで堪えてきた事を慰めたいと思っています。
そして、そんな苦しみを感じている事に気付けないでいた我々を、どうか許して欲しいと思い、この話をしています。>
マキーナのヤツめ、美味しい所を持っていきやがって、と少しだけ思ったが、正直スッパリと切り出してくれて助かったのも事実か。
ユイもマキーナの事は信頼している様だ。
そのマキーナから言われれば、変に隠し立てしようという気は起きないだろう。
事実、その言葉を聞いたユイは、ベッドに腰掛けていた俺にすがりつき、そしてうめき声に似た泣き声を上げて泣いていた。
いつも元気で楽しそうにしているユイが、心の底から泣いている。
こういう時、男の俺には何も出来る事が無い。
いや、色々と出来る事はあるだろう。
あるはずだ。
それでも、察しの悪い俺にはユイが泣き止むまで、ただ肩を抱き頭を撫でてやる事くらいしか出来なかった。
気の利かない言葉を投げかけてやるくらいなら、沈黙していた方が良い。
いや、それも俺の主観か。
どうしよう、“大変だったな”とか、何かそう言う言葉をかけてやった方が良いのだろうか?
そうして俺が長い事迷っているうちに、ユイは泣き止む。
“セーダイさんって、意外に女心に鈍感だね”
泣き腫らした目をしながらも、そう書くとユイは笑う。
「うるせぇ、ほっとけ。
妻にだってよく言われてるよ。
“アナタは本当に女心を察するのが下手ね、私じゃなければ今頃刺されてるわよ”ってな。」
“何それ?ノロケ?”
俺の真面目な返事を聞いて、ユイはケラケラと笑う。
その後、ユイに請われて妻とのエピソードをいくつか語るハメになったが、語り終わる頃には重苦しい空気が消えてくれていた。




