709:心の負荷
「……しっせいしょう……ですか?」
あの後村を経由せずに急いで街にまで戻り、いくつかの病院を転々とした。
途中までの病院では全く原因が解らず、医者にたらい回しされる中で“歌姫が多く診療している”という評判の病院までようやく辿り着く事が出来た。
そうして診察してもらい、ユイの付き添いで来ていた俺だけが呼ばれたかと思うと、目の前の医師からそう告げられたのだ。
「えぇ、恐らくは心因性の失声症だと思われます。
たまに歌姫さん達の中で発生する方もいらっしゃいますね。」
「それで、ユイは治るんですか?」
俺の言葉に、目の前の年若い医師はただ静かにこちらを見つめる。
どちらかといえば、それは俺も診察しているような表情だった。
「肉体的にはユイさんには異常は見受けられません。
やや過労は見受けられますが、それでもいわゆる一般的な女性と、そこまで健康状態は変わらない。」
静かに俺を見ていたが、ふっと視線を手元の紙に落とす。
「……この病は“心因性”ですから。
心に乗っている強い負担が無くなれば、それこそ今すぐにでも元通り声が出せるかも知れません。
でも、そうでなければ今後も声は出せないかも知れません。
まぁ、過去にいらした重度の方でも、数年のリハビリを行って声が出せるようになっていますから、不治の病ではないかとは思っています。」
医師は淡々と所感を並べていく。
それを聞きながら、俺は直近の事を思い返していた。
急激に忙しくなったユイの環境。
“話がある”と言うのは、精神的にも参っていて、俺にヘルプを求めていたのではないか?
ユイは俺では無い。
俺なら耐えられる仕事量でも、ユイには苦痛だったのかも知れん。
なまじ“魔物の王の復活が近い”という言葉を意識しすぎたせいで、ユイの気持ちを蔑ろにして事を急ぎすぎたか……。
「……仕事を、させ過ぎたのかも知れません。」
俺は、教会で懺悔をする気持ちになりながら、医師にこれまでの事を説明する。
医師は静かに頷きながら聞き、そして手元の紙に何かを書き写していく。
「なるほど。
ちょっとお仕事を頑張りすぎていた、というのも確かに原因の1つかも知れませんね。
私には断定は出来ません。
少しゆっくり、ユイさんとお話してみたら如何ですか。」
紙に何かを書き終えた医師は、そう言いながら俺に笑いかける。
その言葉に不思議なモノを感じながらも、俺は頷くと立ち上がり、ユイのいる病室へと向かう。
「……とは言え、俺が原因だったりしたら、ユイは俺と会うのも怖がるんじゃないだろうか?」
<それは私には解りません。
しかし、今会わずに帰るのもそれは今後の関係に齟齬を生み出す元になるかも知れません。
勢大がよく言っていたではありませんか。
“話した所で全ては伝わらない、でも、話し合わなければ解り合えるきっかけすら掴めない”と。
恐らく、今もまさしくその時だと思います。
それとも何ですか?
転生者にはそのように語っておきながら、自分は実行しないつもりですか?>
痛いところを突かれて苦笑いする。
確かにその通りだ。
これまで偉そうに御高説垂れてきた癖に、いざ自分の番になったらケツまくって逃げ出すのかと言われたら、ぐうの音も出ない。
俺は覚悟を決めると、ユイの病室へと足を向ける。
ただ、悔し紛れにマキーナに“人間って奴はな、神様と違って、矛盾した行動を取っても問題ねぇんだ”と強がりを言ってしまったが。
「……ゆ、ユイ〜、調子はその、ど、どうだ〜?」
そっと病室の扉を開け、恐る恐る声をかけながら病室を覗き込む。
「……!!」
俺を見た瞬間、ガバっと上体を起こすと、何やら物凄い勢いで両手が動き、何かを伝えようとユイがワタワタと動く。
“音がなくてもうるさい”って、本当にあるんだなぁ、なんて場違いな事を考えながら、ベッドに向かう。
「あー、落ち着け落ち着け、逃げないと決めてここに来ているんだ。
ちゃんとここにいるから。
とりあえず落ち着け、な?」
そう言いながらベッドの脇に丸椅子を引き寄せ、座る。
少しだけ泣くのを堪えたようだったが、ユイは俺に抱きつくと、音にならない声を上げながら泣き始める。
少しだけ安心してしまう自分が情けないが、泣いているユイの頭を撫でて落ち着かせる。
「アラ、お邪魔でした?」
泣き止むまでそうしてやるかとジッとしていたら、何かを手に持って病室に入ってきた看護師にバッチリ見られてしまう。
「……!?……!!」
慌てて俺から離れたユイが、真っ赤な顔をしながら身振り手振りで看護師に何かを伝えている。
「ハイハイ、解ってますよー。
それじゃ検温するから暴れないでくださいねー。
ハイ、それじゃ次は採血しますからねー。」
ユイの抗議をまるで意に介さず、看護師はテキパキと検査を続ける。
そうして全てを終えると、ポケットから何かの機械らしいモノをユイに差し出す。
「ハイこれ、魔法筆。
これを持って書いた文字は、空中に浮かんでしばらくしたら消えるからね。
ユイちゃんが声を出せるようになるまでの間、これを使えば意思疎通出来るわよ。
……大好きな人に、想いを伝えたいもんね。」
そう言ってケラケラ笑うと、ユイの攻撃をスルリとかわして病室を出ていく。
嵐のように現れて、嵐のように去っていく看護師だった。
俺は少し呆気にとられていたが、思い出してユイの方を向く。
目があったユイは、恥ずかしそうに下を向いていた。
「……まぁ、あれだ、ちょっと過重労働させ過ぎたのは、本当にすまなかった。
少し、ゆっくり休みをとって、まずは心と体を休ませような。」
俺の言葉にユイは真剣な表情に変わり、そして首を振る。
そして先程看護師から受け取ったマーカーに魔力を込めると、何かを書き始める。
“最近の忙しさを辛いと思ってないよ”
書いた文字が浮かび上がり、拡大されて宙に浮かぶ。
少し光っているからか、かなり読みやすい。
「あぁ、なるほど、こういう風に表示されるのか。
便利なもんだなぁ。
……いや、そうじゃないな。
それはその、本当か?
しんどくて、休みが欲しかったんじゃないのか?」
俺の返答に、またユイは目を閉じて首を振る。
“歌姫になった時に、人気が出たらこういう忙しさが来るんだろうなと楽しみにしていたくらいだから、全然それは大丈夫だったよ”
では何故?
という感情がアリアリと出ていたらしい。
ユイは少し疲れたように笑うと、また文字を書き始める。




