698:拝啓、橋の上にて
一歩、足を踏み出す。
足の幅くらいしかない細い橋、そこに俺の体重が乗る。
俺の前にも数人歩いているのが見えたが、俺を含めてその人数が上に乗っても揺れ一つ起きていない。
(見た目に反して、随分と頑丈な作りなんだなぁ……っと。)
数歩歩いたところで、まるで俺を橋から引き剥がすかのような勢いで強風が巻き上げてくる。
少しだけ油断していた俺は、ユラユラと上半身を揺らしてバランスを取る。
(あっぶねぇなぁ。
ユイのヤツ、ちゃんと歌ってるのか?)
チラとユイの方を振り返ると、今にも泣きそうな表情で何かを歌い続けている姿が見える。
<勢大、こう言ってはなんですが、彼女の支援はその、“ムラッ気”が強すぎますね。>
(ん?どういう意味だ?)
マキーナが俺の右目の視界に、ご丁寧に現在の魔力の循環状態をリアルタイムで表示してくれる。
両腕を軽く開き、両足も肩幅に開いている人型のシルエットが標示され、そこにはサーモグラフィで見た様な、赤や黄、緑に青と言ったモヤモヤが忙しなく動いていた。
<彼女の歌から得られる加護を勢大にもわかりやすいよう、視覚化しました。
この、赤の部分が一番効果を発揮している箇所になり、そこから黄、緑、青という風に効果が弱まっている箇所になります。
青に至っては、ほぼ効果を発揮していないのと同じですね。>
目まぐるしく動くそれらを見て、俺は思わず呆れてしまう。
「何だこりゃ、赤い部分が全身の1/3も無いじゃねぇか。
しかもフラフラと動いていて、発揮するべき足には殆ど留まってねぇな。」
効果を発揮している部分が腕だったかと思えば胴体に経由して頭に行き、頭からまた胴体、足へと動いていく。
これだけ動かれていたら、効果を発揮したところだけが動きがよくなったりして、かえって危ないのではないか?
<その通りです。
これでは通常の人間には邪魔になるでしょうね。
今は私の方で効果を全て受け流しております。
こういう時、勢大が魔法の効きにくい性質で良かったと心から思いますよ。>
確かに、とちょっと思う。
こういう細い平均台を歩いている時に、突然右足だけが一瞬早くなったり、降る腕が早くなったり、或いは聴覚や視覚が一瞬だけ強化されようものなら、確実にバランスを崩す。
真剣な思いで援護するはずが、逆に援護される側から“もう止めてくれ!”と悲鳴が上がる事だろう。
「……なるほどなぁ。
あの子がこれまで何をしてきたのか、体験してみて初めてわかる事、なんだろうなぁ。
……ん?じゃああの魔獣退治の時は何でこうならなかったんだ?」
あの時はマキーナのサポートも無かったはずなのに、マキーナの通常モード以上の身体保護を感じたと思ったのだが。
あれももしかして、マキーナなりの“そういう演出”と言うヤツだったのだろうか?
<いいえ、あの時は間違いなくユイの能力ですね。
しかも、あのときは私を介さずに直接勢大に作用していました。
あの歌は、勢大の好みの歌、と言う事なのでしょうか?>
ふとマキーナに問われ、歩きながらも俺は考える。
思いつくまま、特に好きな歌というわけではない事、元の世界では普通に聞いた事のある童謡の類である事を伝えると、マキーナは少し腑に落ちないような、しかし納得したように続ける。
<あの時、勢大が眠っている間にユイと幾つか話をしました。
今回のこれに至る件もそうなのですが、あの時ユイは“あの歌もセーダイさん以外には大きな効果があった事がなかった”と言っていました。
それはつまり、2人が同郷だから、と言う事なのでしょうか?>
聞きながらも、“それはありうるな”と思っていた。
懐かしい歌だった。
もうしばらく見ていない桜並木を、あの歌で思い出した。
「……ぼ、僕は……ティキーちゃんの、た、為に……。」
そんな考え事をしていながら突風をいなすように進んでいると、先に進んだはずの男に追いついてしまっていた。
あぁ、さっきのあの女の子のプロデューサーか、と、思い当たる。
ティキーちゃんだったか。
最初に見たミリーちゃんとかいう女の子はもちろん、ユイよりも色んなところが成長途中でつるーん、ストーンな子だったな。
<今の思考はユイに報告しておきますね。>
待って!待ってマキーナさん!!
それはちょっと!ホラ、言葉の綾的な、ね?ね?
ともあれ、目の前の男はへっぴり腰で、その進みは亀より遅い。
困ったな、どうするか、と悩んでいると、俺の後に出発していた別のプロデューサーまで追いついて来ていた。
「ちょっと!何やってるんだよ!!
歌姫の効果がいつまで続くか解らねぇんだ!!
早く進めよ!!」
俺や目の前のおっさんよりも遥かに若い男が、ツバを飛ばしながら俺に怒鳴る。
俺は振り返りながら目の前の光景を見せる。
「まぁ落ち着けよ、俺だって先に進めなくて困っていたところなんだ。
歌姫を信用して、もう少し落ち着こうぜ?」
「るせぇ!テメェ、俺を誰だと思ってやがるんだ!?
俺の成り上がり伝説はこんな所で足止めを食ってられねぇんだよ!!
そんなグズでノロマなおっさん、押して落としちまえよ!!」
どうしたものかと考える。
正直なところ、後ろの青年に振り返って下手に何かしようとしても、抵抗されるのは目に見えている。
立ち位置的には有利だし、少なくとも前のおっさんよりかは心に余裕がある。
ただ、向こうも俺の反撃が怖いのか、無理に詰め寄って押してくるような事はない。
距離をとって罵声を浴びせているだけだ。
他方、目の前のおっさんは今もバランスをとって歩く事に必死だ。
マキーナが測定したところでは、歌姫の加護もそんなに強くないらしい。
つまりは簡単に押して落とす事ができる。
俺も、いつまでもここに留まるのは少々しんどい。
<如何いたしますか?
押しますか?>
マキーナも酷な事を聞いてくるなぁ、と苦笑いする。
「いや、このままだ。
……悪いなお兄さん、ここで他人を蹴落としてでも進むようなのは、俺の方針とは違ってね。」
後ろの若者が青い顔をする。
マキーナの計測では、彼にかかっている加護もそろそろ切れそうだと言う事らしい。
「は、早く!早く進めよ!!
このままじゃ、う、うわぁぁぁ!!」
下からの突風に、若者の体がフワリと浮く。
次の瞬間、俺は細い橋の上で旋回すると踏み込み、若者に間合いを詰める。
「シッ!!」
左拳で突きを出す様に振り抜くと、若者の胸元を掴む。
「一気に駆け抜ける。アシストを。」
<だと思っていましたよ。
気流とルートを表示します。>
再度急旋回すると、橋の上に表示された矢印を駆け抜ける。
目の前には、今だ橋の上をノロノロと進む男の背中があった。




