697:悲喜こもごも
「ハッハッハ、この程度で難関か。
それでは、私はお先に向かわせていただくとしよう。
ミリー、“安定の歌”を。」
「ハイ、プロデューサー様。」
プロデューサー達の一部は混乱していたり、ソフィア氏に怒鳴っていたり、歌姫を脅していたりと様々だが、大多数のプロデューサー達は困惑していた。
俺もその一人かもしれない。
ただ、そうして皆“どうしたものか”と困惑している中で、一人の精悍な顔つきの青年が高らかに笑うと橋に歩を進める。
彼と一緒にいる女の子、ユイと同じような年齢に見えるが、しっかりと出る所は出ていて発育がいい。
また、プロデューサーの事もかなり信頼している表情で、慌てる事なくリクエストされた“歌”を歌い出す。
歌声もまた、このような空気の中にもかかわらず落ち着き、実に堂に入っている。
聴いているこちらまで心地よさで包まれるような、実に優しい調べだ。
「……セーダイさん、どこ見てるの?」
ユイがジト目で俺を見るので、慌てて俺は細い橋を渡ろうとするプロデューサーに目を移す。
<ユイ、勢大は今あの歌姫の少女のボディラインを……。>
「あー、どうやって渡るのか見られるなー。
ユイも同じ事出来るのかなー。」
マキーナの声を無理矢理俺の呟きでかき消す。
ユイはますますジト目になるが、諦めたように同じくあのプロデューサーに目をやる。
「あの人、ウチの歌姫養成所で一番の子を競り落としたスタンド公爵さまだよ。
あの子はミリーちゃん。
確かスタンド公爵さまのところに養子入りして、今はミリー・ノール・スタンドって名乗ってたかな?
……私と違って、“期待の新人”ってヤツだよ。」
その表情を盗み見ると、嫉妬や羨望が混じっているのだろう。
本当に一瞬だけ、ユイの表情は険しくなっていた。
「お、おい、このままではスタンド卿が先頭でたどり着いてしまうではないか!!」
「えぇい、早くしろ、私にも強化の歌を歌うのだ!さっさとしろ!!」
「貴様、私を勝たせなかったら支援を打ち切るからな!早く歌え!!」
やれやれ、見苦しい光景だなぁ、と遠い目をする。
スタンド公爵は、まるで平均台くらいの細さしかない橋を、軸をぶらす事もなく悠々と歩いている。
あそこは今、下からの突風が吹き荒れているにもかかわらず、だ。
まるで彼の足元だけどっしりと広がる草原の大地のようだ。
「あ、あぁぁあぁぁぁ……!!」
他の橋からも続々とプロデューサー達が渡り始めるが、どうやら焦りすぎたのか、それとも歌姫の実力が足りなかったのか。
恐怖の表情を貼り付け、絶叫と共に奈落の底へ落ちていく一人のプロデューサー。
正直、俺はこれを待っていた。
“落ちた時にどうなるか”が気になっていたのだ。
いくらなんでも、俺以外のプロデューサーはこの国の貴族なのだとしたら、そんな簡単に命を落とさせるとは思えなかったのだ。
“どこかで救助されるのではないか”という考えから、もしもその通りだったら多少はガンガン行っても大丈夫なんだろうな、と目算が立つ。
その真偽を確認する生贄が出るまで、待っていたのだ。
「……聞こえねぇな。」
鼓膜を切り裂くような突風の金切り声の中、俺は耳をすまして落ちたプロデューサーの音を聞く。
割と本気で聞き耳をしていた。
静寂な空間であれば1kmくらいは余裕で対象の音を聞けるのだが、突風の音がうるさいこの状況では流石にそこまでとはいかない。
ただそれでもかなりの先までは聞こえるとは思うのだが、それすらも聞こえない。
てっきり途中で助ける音でも聞こえると思ったが、どうやらマジで絶命しても構わないようだな。
「せ、セーダイさん、どうする?
アタシ、ちゃんと歌えるかな?」
音を聞いていた俺に、恐る恐るという雰囲気でユイが聞いてくる。
不安がありありと解り、“今から棄権したほうが”という気持ちなのが見て取れる。
チラと奥を見れば、ソフィア氏に棄権を願い出ている者もチラホラいるようだ。
まぁ、俺の行動がユイを不安にさせているのもあるだろう。
あまり慎重派でいるのも、まぁこれ以上はもういいな。
「いや、別に問題ねぇな。
とりあえずそろそろ進むか。
じゃあユイ、さっきのアイツが言ってた“安定の歌”だったか、アレお前も歌えるのか?」
「そ、そりゃ養成所で一番初めに習う歌だから、歌詞もメロディも解るけど……。」
どうやら、不安の要因は周辺環境だけでなく、自身の実力不足からも来ているらしい。
俺はそんなユイの姿を見て思わず苦笑する。
「オイオイ、俺を呼んでここに来たのはお前だろう?
なら、少しは“アタシが何とかしてやる”とか言って、堂々としてろよ。
それが現実になるように、俺が何とかしてやるからよ。」
俺の言葉で、先程までの不安な表情は消え、少しだけ覚悟の決まった顔になる。
「よし、それじゃあ行きますか。」
見れば、ある程度のプロデューサー達も覚悟が決まったのか、少しずつ橋を渡り始めている。
俺も一番並んでいる人数が少ない列に並び、自分の番を待つ。
「行ってやる、行ってやるぞ……。
あの子はもう後が無いんだ……。」
俺の前のおっさんプロデューサーが、何やら決意のようなものをブツブツと呟いている。
いざ、自分の番になると、頬を何度も叩きながら気合を入れている。
「よ、よし、行くぞ!!
ティキーちゃん!お願いします!!」
おっさんが叫ぶと、歌姫の集団から一人の少女が飛び出してくる。
「頑張って!プロデューサーさん!!」
少女はそう叫ぶと、ぎこちないながらも先程聞いた歌と同じ歌を歌い始める。
「う、うぉぉぉ!行くぞぉ!!」
プロデューサーのオッサンの周囲がぼんやりと光り、加護が発生したのがわかる。
そうして、威勢のいい掛け声とは裏腹ではあるが、ソロリソロリとオッサンが橋を渡りだす。
(……なるほど、周囲からはあぁいう風に加護の有無が解るんだなぁ。
……いや、しかしそうなると最初の公爵殿には、体を包む光が見えなかったような……?
何かからくりでもあるのかな?)
<参考になるかは解りませんが、目の前のプロデューサー氏に覆われている魔力の光、スタンド公爵にかけられたものよりかは威力の強いモノであると計測しました。>
ティキーと言われた女の子の方が魔力が強いのか?
いや、だとしたらあの公爵殿が放置しているとは思えない。
何かがあるんだろうな。
「おっと、まぁそんな事より進まねぇとな。」
俺は最初の一歩を踏み出す。
ユイが慌てて歌い出し始めるが、特に気にせず歩を進める。
この程度の突風、俺の身体能力の前では正直そよ風と変わらない。
まぁ、転生者のようなソフト面での不正能力とは違う、物理的なハード面での不正能力に見えなくもないな、と1人自嘲しながら。




