695:希望の象徴
「時に、セーダイさんのご家名はタゾノ?と申されたかしら?
失礼ながら私、タゾノ家というご家名に聞き覚えがありませんでして。
どちらの御出身なのかしら?」
緊張が覆うティータイム。
ソフィア氏は穏やかに、しかしその目の奥には静かな光を宿しながら俺に問うてくる。
「いや、こちらの国の家名ほど重要なものではございませんので。
私のいた所では、庶民でも家名を持っているような、ありふれたものなんですよ。」
ハハハ、と笑いながら、自分がこの国ではないところから来たような空気を出しておく。
まぁ事実この国どころか、この世界じゃないところから来ているのだ。
もしも真偽を測るような魔法なりなんなりを使われていたとしても、これが嘘だとは測れないはずだ。
「……左様でしたか。
私もこう見えて若い頃は世界中あちこちを飛び回ったものですが、やはり世界は広いですね。
家名が一般的な国があったとは知りませんでした。
また一つ、勉強になりましたわ。」
空虚な笑いが室内に響く。
いやぁ、この空気はキツイ。
何とかならないものだろうか、と、そう考えていた時に、助け舟がようやっと登場する。
「し、失礼します!!
ゆ、ユイ・ピラー・ニウ再訓練生!到着いたしました!!」
隙を見せられない、ジリジリと精神力が削られていくようなソフィア氏との歓談の最中、入口の扉が叩かれ、扉の向こうからでもよく通る声が聞こえてくる。
ん?再訓練生?
俺はその単語に首をひねりながらも、ソフィア氏に目を向ける。
「やっと到着したようですわね。
ユイさん、お入りなさい。」
大きな声という訳ではなくむしろ心地良い音色にすら聞こえるが、やはりよく通る声でソフィア氏が返答すると、おずおずと言う感じでゆっくりと入り口の扉が開く。
「ご、ご機嫌麗しゅうソフィア学長さま!!
ユイ再訓練生、こちらに……って、セーダイさん!!
やっと来てくれたのね!!」
ユイは俺を見るなり、捨てられていた子犬のような目をしながら両手を握りしめて俺を見る。
まるで、俺が救いに来た王子様のような雰囲気だ。
「いや、やっと来てくれたというが、俺はお前に呼ばれ……。」
「もー!遅いよー!!
マキーナさんも“セーダイが次に報酬を受け取る時には間に合うでしょう”って言ってたのに、申請してからずいぶん時間がかかってるじゃんかー!!」
いや知らんがな。
というかマキーナ、お前やっぱり何か入れ知恵してるじゃねぇか。
だが、今のユイの発言でおおよそ想像がついた。
俺をプロデューサーとやらに仕立て上げるのに必要な申請を急ぎ整えたは良いが、俺が意外に質素な生活をしていたせいで報酬の前払い分だけでのんびり生活していたから、ユイの予定よりは随分遅れて俺が登場した訳だ。
そしてその事を怒っているらしい。
「いやお前、俺は平穏に生きてただけだ。
しかもお前等、何か変な申請をして余計な事しやがって!おかげで報酬を受け取る条件として妙な役職任されたじゃねぇか!!」
「ゴホン、……お二人共、仲がよろしくて良いですわね。」
俺とユイは言い合っていた事を忘れ、……いや、どこで言い合っていたかを思い出し、青ざめた顔でお互いソフィア氏の方を向く。
俺とユイの視線の先、そこには笑顔を崩してはいないソフィア氏がいる。
ただその背景には、物理的には存在しないが目に見える様なほどの、真っ黒な暗雲が立ち込めている。
その完全に圧倒される笑顔の前に、俺は久々に恐怖を感じているほどだ。
「あの、これは、その、なんというか……。」
ヘビに睨まれたカエル、肉食獣の前に差し出されたウサギ。
そんなイメージを持てるくらいには怯えて上手く言葉を出せないでいるユイをソフィアは見つめ、そして最後には深いため息をつく。
「あなたという人は本当にもう……。
冒険者組合と歌姫組合の古い約定を利用した、今は殆ど覚えている人もいないような申請だと思いましたが、やはりそういう事でしたか。
失礼ながら、あなたにこんなことを思いつけるだろうか、と疑問に思っていました。
ですが、こう言う事だったのですね。」
ソフィア氏は1人納得した後、呆れたような表情で俺を見る。
「セーダイさん、これまでお話させていただいた結果、そこまで悪い方とは思えませんでした。
あなたであるならば、この子を任せても良いとは思っております。」
俺としてはあまり理解出来ない話だったが、この空気が変わるなら何でもいいか、と、訳知り顔でゆっくりと頷く。
まぁ何かのテストはされているだろうと思っていたが、ここでの話全てが試験のようなものだったらしい。
「今、民衆には明かされてはいませんが、魔物の王の復活の予兆がこの国のいたるところで観測されています。
しかし、歌姫はかつての意義を失い、冒険者と歌姫のバディ制はいつしか歌姫を囲う貴族のモノと成り果てております。
だからこそ、私も冒険者ギルド長も、あなた方には期待をしております。」
「ん?魔物の王?」
真剣な口調で語るソフィア氏の話の中で、聞き逃がせない単語があった。
魔物の王の復活の予兆など、これまで冒険者ギルド側で聞いたことなど全く無い。
「あの、公表されていない事を今俺達が聞いてしまって問題ないのでしょうか……?」
思わず敬語になってしまう。
この国を揺るがしかねないでかい話なんじゃないか?
そういう危険な空気を感じ始めていた。
だが俺の言葉にソフィア氏は、今度こそ本当にニッコリと笑う。
「ええ、今外に出てそれを大声で叫んだところで、誰も本気にはしないでしょう。
むしろ、セーダイさんを憐れむ人が出てくるとさえ予想します。
ただ、これらは事実です。
遅くとも数年内には、魔物の王が復活するでしょう。
そうなれば自衛能力を失いかけているこの国は、かつての戦いよりも悲惨な結末を迎えます。
だからこそ、あなた方の存在が有用なのだと、世間に、この国の貴族に思わせねばなりません。
期待していますよ。」
ただ報酬をもらいがてらにユイの身請けにでもなるのかと思っていたが、予想よりも大ごとになっていた。
ソフィア氏の言い方から推測するに、ここで逃げ出す事も出来るだろう。
ただそれは、俺の矜持が許してくれそうにはない。
「ただし、ユイさん!」
俺の表情を読み取ったソフィア氏は、優しい笑顔を見せる。
ただ、次の瞬間にはユイに厳しい表情を向けていた。
「あなたは今のままではあまりに厳しい。
私から、そんなあなたに少しでも強くなる特訓を受けてもらいます。
もちろん、“プロデューサー”も一緒にですよ!!」
油断した!!
ユイに厳しい表情を向け、厳しい事を言っていたと思ったら巻き込まれていた。
泣きそうだったユイも、俺と一緒とわかった途端に笑顔を見せる。
やれやれ、この世界も最低だ。




