694:緊張と警戒
「……お前、もしかして知ってたんじゃないか?
いや、こうなるように仕向けたんじゃないか?」
“担当歌姫”と会うという当日、先方の事務所に向かう道すがら、俺はマキーナに問いかける。
<仰る事の意味が理解しかねます。
私は常に勢大の最善になる道を検証し続けています。>
「嘘つけ。
多分あれか、俺が寝てる時の馬車の中、あの時に何か入れ知恵したんだろ?」
夢うつつの中ではあったが、ユイとマキーナが話し込んでいた事を俺は覚えている。
あの時妙にユイが上機嫌だと思っていたが、もしかしたらこうなるような道標をマキーナから提示されたから喜んでいたのではないか?
<仮に勢大の推測が正しいとして、何も問題は無いように思えますが?
あのユイという少女は現時点で一番転生者候補に近いでしょう。
本人が転生者という事を隠しているのか、それとも本当に前世の記憶が何らかの理由で無いのかは解りません。
しかし、ならば尚の事あそこで離れてしまえば、縁が切れたも同然です。
転生者捜索を優先するのなら、縁を繋いでおいた方が得策と思えますが?>
反論が出来なくて言葉に詰まる。
マキーナの言う通りなのだろうが、こういうのは理屈ではない。
自分の預かり知らぬところで自分の行く先が決まる、ままならぬ事象への小さな反抗心の様なモノだ。
大人になればそれを仕方ないと諦め顔で受け入れる、子供なら嫌々と駄々をこねる。
ただそれだけの事なのだろう。
今の俺は何者でもない“異邦人”だ。
少しくらい駄々をこねても許されるだろう、と、自分に言い聞かせる。
「しかし、“プロデューサー”ねぇ。」
まるで元の世界の単語みたいだ、と、俺はため息をつくと空を見上げる。
こんな時でも、どんな世界でも、抜けるような青空は綺麗だった。
「ハイ!ワンツー、ワンツー!
ホラそこ!足を上げる動きはもっとシャープに!!
そんなんじゃ戦場で優雅に見えないわよ!!」
「違う違う!喉からではなく、もっとお腹から声を出すように!!」
思わず、圧倒されてしまう。
歌姫ギルド、というものがあると聞いていたが、これは想像していなかった。
四方を高い壁に囲まれ、入口には守衛が見張っている。
その守衛に“不審者ではないか”と疑われてしまっていたが、何とか誤解を解くことは出来た。
あ、いや、そういう話ではない。
中に入ると、広い敷地に学校の校舎のような棟とアパートのような宿舎。
そして広いグラウンドでは、等間隔に整列した女の子が教師の号令で一生懸命に踊っていたり、発声練習をしている風景が広がっていた。
別に実物とやらを元の世界でも見た訳では無いが、これではまるで、アイドルの養成所のようだ、と思うような光景だった。
「おや、あなたはどちら様ですか?
この敷地には外部の方はあまりお入れしないようにしているのですが?」
思わず見入っていると、後ろから声をかけられる。
慌てて振り向くと、着ているものが明らかに一般市民のそれとは違う上質な布で出来た服を着た、落ち着いた婦人が優しく微笑んでいる。
ただ、顔は笑っているが目の奥には静かな光が宿り、受け答えを間違えれば次の瞬間には叩きのめされそうな雰囲気をまとっている。
「あ、いや、これは失礼。
冒険者ギルドからやってきました、セーダイ・タゾノと申します。
こちらに所属している歌姫の、えーと、プロデューサーになるように伺っております。」
俺を見る目の前の女性から、微かにあった剣呑な空気も消える。
「アラ、あなたでしたの。
これは失礼を。
私の名はソフィア、ソフィア・セイント・サヴィトリ。
とうぞソフィアとお呼びくださいませ。」
今度こそ本当に笑顔になると、先導して俺を校舎のような建物の中に案内してくれる。
その仕草一つ一つが、優雅な印象を受ける。
(セイント……もしかして、コイツが噂の“聖女”ってやつか?)
<その可能性が高そうです。
魔力の値が近くにいる歌姫達よりも頭一つ飛び抜けております。>
マキーナも、少し前の世界から相手の魔力量を計測できるようになっていた。
まぁ残念ながらその値がどれくらい凄いものなのかは、魔力を持たない俺にはイメージし辛いものではあるが。
とはいえ、目の前の御婦人が見た目ほどか弱くもないどころか、この歌姫ギルド内でほぼ最強格と解ればそれでいい。
先程感じた感覚に間違いはなかった、って事でもある訳だしな。
「これはありがとうございます、ソフィアさん。
……いや、ソフィア様、とお呼びした方が?」
「アラ、そのようにかしこまられてしまうと困ってしまいますね。
様などお付けにならなくても結構ですよ。」
“そりゃ助かりますよ、あんまり上品な育ちはしてないものでね”と、多少は軽口を叩いておく。
多分俺を呼んだのはユイなのだろうが、その目論見が成功するにせよ失敗するにせよ、“冒険者をプロデューサーにする”という前例の中で、あまりキレイなモノばかりを残したくはない。
冒険者とは、結局のところ荒くれ者の集まりだ。
社会性をギリギリ残してはいるから冒険者になっただけで、一歩間違えれば法の範囲外に所属するような奴になっていてもおかしくない奴ばかりだ。
先ほどの練習風景を見ていて特にそう思う。
ここにいる子達は、夢に向かっていて皆綺麗だ。
見た目が、というわけではない。
その心根が、というべきだろうか。
ともかく、そんな純粋な彼女達を、進んで荒くれ者の贄として焚べてやる必要はない。
「彼女のレッスンが終わるまで少し時間があります。
それまで、お茶にしましょう。」
ソフィアが案内してくれた先は、豪華な応接室、というより来賓室の様な部屋だ。
毛足の長い、鮮やかな赤い色の絨毯にアンティークなテーブルと椅子。
入口近くに待機しているメイド達も、粗末な私服ではなく落ち着いた色のエプロンドレスで統一されている。
部屋に飾られている調度品も、ひと目見て高価だと解る。
「恐縮ですね、朝から飲まず食わずで駆けつけたもので。」
俺の言葉に、クスリと笑うと“では簡単なものでよければお出ししますね”と言うとメイドの一人に目配せをしている。
まぁ一応のマナーかなぁ、と思った俺は、椅子の1つを引くとソフィアを座らせ、そして向かいの椅子に腰掛ける。
すぐにお茶のセットと、トーストとバターのセットが並べられる。
トーストの程よい焦げ目のついた焼き具合といい、まるでどこかのホテルの朝食のようだと遠い目をする。
「大したものはご用意できませんが、よろしければどうぞ。」
ほんの数分の出来事なのだろうが、俺はすでに気疲れを感じていた。




