688:交渉
「はぁー、……んで、猪くらいの大きさの黒い物体が動いていた、と。」
「え、えぇ、そうなんですわ。
村の若いのがそれを見かけて慌てて逃げて帰ってきたと言う訳でして、へぇ。
本当に魔物の類だったらこんな小さな村、一匹でも全滅やんかと、街の方まで出かけて役場の方にお願いした訳でして、へぇ。」
歌姫と合流した後、俺達はこの村の村長の家で状況を確認していた。
この村……村としての名前も無く、住民からはただ“セコの隣の村”という名前で呼ばれているとい。
その情報からもわかる様に、本当に何もないド田舎の村だ。
自然が多く、セコ側の土地以外は三方を山と森林に囲まれており、この中に魔物が潜伏しているとしたら、探すのはかなり骨だろうなとぼんやり考えていた。
「なるほどねぇ。
まぁ事情はわかったんですがね、それで報酬の方はいかほどで?」
俺の言葉に少しばかり村長は動揺する。
何となく、次に出てくる言葉は解るような気がしていた。
「あのぅ、それがその……、お国からの税の取り立ても最近は厳しくて、その、道中ご覧になられたと思いますが、こういうへんぴな村だと……。」
「前置きは良いから、報酬は?」
それなりに殺意を乗せて、フランクな言葉遣いでニコリと村長に笑いかける。
こうやってアレヤコレヤと会話を引き延ばし、同情を誘ったり頭を疲れさせて妥協に持っていく方法は先に封じておく。
「そ、そのぅ、現金での収入が殆ど無いので、村で捕まえた獣の干し肉と芋くらいなら……。」
「話にならねぇよ。」
静かに、しかし冷たい表情と殺意を表に出して吐き捨てる。
わかりやすく怯える村長と、お茶を飲もうとしていた動きを止めて“え?”という表情の歌姫。
何故コイツがこんな表情をするのだと気にはなったが、今は村長だ。
「魔物の退治は命がけだ。
相場は一人当たり銀貨100から120枚相当、それも純度が低いディセン銀貨じゃねぇ、バリウ銀貨での話だ。
もちろん、同等の価値のラレ金貨1枚でも良いぜ?そっちの方が持ち運びには便利だからな。
だが、この価値に見合うくらいの干し肉と芋ってなると、荷車が相当必要になるレベルだ。
それに、仮にそれを用意されても、俺達としても売りさばかなきゃいけない事を考えると相当な手間だ。
出来れば金で受け取りたいね。」
「そ、そんな……、野獣退治は銀貨2〜3枚相当だって役所の人は……!?」
やっぱりだ。
金がない事を見越して、ギルドの受付で押し問答する事を嫌って現地での交渉としやがったな。
しかも多分、“この辺りに魔物なんていないだろう”という適当な判断も混ざっている。
村の青年が見た、という程度の話だと思い、ロクに調査員も出してやいないのだろう。
だからこその“詳細不明”なのだ。
<実に解りやすい“いけにえ”ですね。
今回の被害の結果次第で次の方針を立てる、という所でしょうか。>
マキーナの言う通りだろう。
見かけたモノが野獣ならよし、本当に魔獣だとしたら、言ってはなんだが冒険者1人と売れない歌姫1人の被害で済む。
その結果報告を受けてから、改めてどれ程の被害なのかの見当を付ける。
(なるほどなぁ、そりゃキルッフも“生きて帰ったら1杯やろう”と言うはずだわな。)
妙な納得。
そして俺の感覚が、これは多分野獣の類ではないだろうと告げている。
「えー、オッサン、厳しすぎない?
あ、厳しすぎるんじゃないかしら?
まだ本当に魔物かも解っていない訳ですし。
実際に確認してから、改めて報酬の話をしても良いんじゃないッスか……かしら?」
「駄目だな。
今回俺達は“魔物の調査、退治”の名目で依頼を受けて来ている。
こちらもそれ相応の準備と覚悟できているんだ。
結果として魔物ではなくてただの獣だったとしても、用意した装備の経費だってかかっている。
それに、これを許せば“大きな事を言って結果が大した事がなければ減額できる”っていう前例になっちまう。
“前はやってくれたのに”みたいな事には、悪いが俺はしたくねぇ。」
まぁ、実際の所は現地で値下げしまくってたりする実情もあるがな。
この辺は緩い繋がりというか、冒険者側も金銭感覚がなかったりするので、依頼者側が“今回この程度だったんだからこれくらいにマケてよ”と言うと、割とすんなりOKしてしまうような文化もあったりする。
ただ、そう言うのは鹿を狩ろうとしたら兎しか捕れなかった、みたいな、何と言うか“似たような範囲内での話”の時によく起きる事だ。
魔物と思ったら野獣でした、とか、その逆に野獣と思ったら魔物でしたという場合にまで類推させるのは非常によろしくない。
……まぁ、今の後者の例えだったら冒険者も一目散で逃げるだろうがな。
「そ、そ、そ、それは、その……、そうなんですが、へぇ。」
村長はずっと顔の汗を拭いながらしどろもどろの言い訳をしている。
とはいえ、ある程度では妥協はするつもりだ。
しょせん名も無い小さな村だ。
まともに払える報酬など持ってやしないだろう。
ただ、味をしめないようにキツく対応する必要があるからやっているだけだ。
「ほへぇ……。」
歌姫がマヌケなため息を漏らしながら、感心したのか尊敬の眼差しで俺を見上げている。
それなりに愛嬌のある、垢抜けていない田舎の美人、というところだろうか。
その眼差しを感じながらも、俺は村長と報酬の件を詰めていく。
まぁ、ある程度は希望に沿った報酬は受け取れそうで安心した。
「にしてもオッサン、凄かったッスね!
ああいう交渉術って、どこで身につけるんスか!?」
村長の家を出て歌姫と2人、とりあえずは村の青年が魔物を見たという場所に向かっている時、意を決したように歌姫が俺に話しかけてくる。
「お前、さっきの村長の所と口調が変わってるぞ?」
「良いじゃないスか!アタシ、あんまり堅苦しい言葉使うの苦手で……。
よく事務所からも怒られてるんスけどね!」
でへへー、と笑いながら頭を掻いているその姿には、“歌姫”という言葉から感じる威厳もオーラも何も感じない。
ただの三下口調の若いガキ……いや村娘だ。
「お前見てると、だろうなぁと思うわ。
おっと、そういや自己紹介がまだだったな。
俺はセーダイだ、セーダイ・タゾノ。
セーダイと呼んでくれ。」
「え?オッサンも家名持ちなんスか!?
とてもそうは見えな……あ、何でもないッス!
アタシはユイ、ユイ・ピラー・ニウって言うッス。
可愛らしく“ユイちゃん”って呼んで良いッスよ!」
軽く握手しつつ名乗りながら、俺はしまったと感じていた。
この世界でも名字に当たるものを持っているのはお貴族様だけだったか。
何とごまかすか、平静を装いながら頭をフル回転させるのだった。




