687:歌姫
俺が手に取った依頼表の内容は下水道の清掃。
いわゆるドブさらいだ。
何度も剥がされた跡があるところを見ると、多くの冒険者が手にとっては戻したか、或いは毎回同じ依頼だから使い回されているか、だろう。
まぁこの手の依頼は、どの世界観であろうと新人冒険者の定番だ。
収入はそれなりに良い方だが衛生面は非常に悪い。
下手に病気を貰ってしまえばその治療費でマイナスになるという、無事に戻ってくれる事が前提となる依頼、と言うヤツだ。
大抵は新人がこれで装備を更新するんだといやいやうけて、下水道にいるスライムや巨大ネズミ辺りから傷を受けて入院、というコースになる。
かといって装備を万全にして依頼を受けても赤字になるという、何とも絶妙な依頼だ。
(まぁ俺はマキーナのアンダーウェアモードがあるから、逆に言えば割のいい仕事になるんだけどな。)
とはいえ汚水の臭いと汚物がまとわりついている下水道になど、好んで入りたくはないが。
そうして最初の依頼を受け、翌日からは朝イチで肉体労働にありつき、せっせと依頼をこなしているうちに、段々と面倒になってくる。
ひと月も経てば“今日もまたアレか”という気持ちが強くなり、少し休みを取るかと宿で寝ていた訳だ。
「どうせ依頼なんか、今の時間から行った所でまたドブさらいだ。
それよりも、たまにはこうして寝て体力を回復させていた方が有意義じゃねぇか?」
<勢大がこの世界で永住するならそれでも構いませんが。
下水道の清掃か工事の石材運搬をする日々が気に入ったのなら止めませんが?>
やれやれ、とため息をついて起きると体を伸ばす。
全く、誰が好き好んでこんな世界にいたいと思うか。
「とはいえ、たまには違った仕事もしてみたいもんだがな……。」
そうボヤいた俺が、本当にこれまでに無い仕事をする事になるとは思ってもいなかった。
「……これは、……何で残ってるんだ?」
のんびりと冒険者ギルドに向かい、依頼が貼り出されている掲示板を見ると、真新しい依頼票が貼りっぱなしになっていた。
手にとってそれを見てみると、依頼票には“歌姫の護衛”という見出しがついていた。
この世界だと、歌姫の護衛とは相当の名誉業務であり、真っ先に受けるとパンフレットで見た。
それが、こんな殆どの冒険者が出払った後の掲示板に残っている事が不思議だった。
「おぅ兄ちゃん、その依頼受けようってのか?」
後ろから声をかけられ、ふと振り返る。
見ると細身だが引き締まった肉体だとすぐに解る、ソフトモヒカンで精悍な顔つきの青年が俺を怖い顔で睨んでいた。
「え?あ、あぁ、これ、歌姫の護衛ってあったもんで、初めて見たなぁと思いまして。
あの、……これ、お受けする予定でした?」
別に冒険者同士でイザコザを起こすつもりは無い。
受けたい奴は沢山いるだろうし、そんなに名誉にもこだわりはない。
コイツが受けたいと言うなら、別に譲ってやっても構わないという気持ちだった。
だが、目の前の男はしばらく睨んだ後、俺の肩を腕を回し、周りが聞き取りづらいような小声で話しかけてくる。
「……いや、悪い事言わないからその依頼辞めといた方がいいぞ?
それ、歌姫は歌姫でも、少し前にデビューしたのにさっぱり売れてないヤツだからよ。
現地で苦労するか、下手したら死んじまうぞお前。」
言われて、俺は改めて依頼票に目を通す。
“歌姫の護衛”
4年前にデビューした歌姫を護衛し、セコの街周辺の村に出現した魔獣?の討伐
依頼料:現地交渉
期日:急ぎ
そんな文字が俺の目に映る。
「お前さん、最近登録したヤツだろ?
こういうな、対象の魔獣が何なのかも特定できてない、しかも依頼料が現地交渉とか、どうせ大した額にならねぇから。
更によ、普通歌姫ってのはデビューして1〜2年もすればある程度の規模になっててよ、こんな地方の巡業なんてやってねぇから。
絶対何か問題がある、ヤバい歌姫だからな。
そんなんに命かけてられねぇだろ?」
ソフトモヒカンのこの男の話を聞くと、何も知らない俺がこんな危険な依頼を受けるのを可哀想に思って、ただ言い方によっては面倒事になるなと思い、一生懸命考えてから俺に話しかけたそうだ。
見た目に反して普通に良い奴過ぎてウケる。
……いや、ウケるとか言っている場合じゃないな。
ただ、手に持ったこの依頼をどうするかと考える。
このままこの男の言う通り受けない方が良いのだろうが、話を聞くとちょっとその歌姫とやらを見てみたくはある。
どうしたものかと悩んでいると、俺達を見かけた職員が笑顔で近寄ってきた。
「やや、これはこれは、新人なのに精力的に活動しているセーダイさんじゃないですか!お、その手に持っているのは歌姫の護衛依頼じゃないですか!!
流石、名誉あるお仕事が見えたらすぐに手に取るとは、最近では中々みない見上げた志ですねぇ!!
ささ、すぐに受け付けますのでこちらに!!」
あれよあれよという間に、ソフトモヒカンの男から引き剥がされて受付に立たされ、そして俺が持つ依頼票を引ったくるように奪うと申請処理を素早く始めだす。
呆気にとられて見ていると、ソフトモヒカンの男が“あーあ”という顔をしながら頭を掻いている。
「こうなっちゃ俺からは何も言えねぇや。
ま、生きて帰ってきたら1杯奢ってやるよ。
えぇと、セーダイだったか。
俺はキルッフだ、頑張れよ。」
握手をすると、キルッフはまた先程までのような険しい顔つきでギルドを出て行く。
その後ろ姿を見送りながら、“あぁ、やっぱりな”と俺は思っていた。
全く、アイツはどの世界でも世話焼きだなぁ、と、少し嬉しくなりながら。
「……で、アンタがその、歌姫って奴なのか?」
結局、あの後俺は普通に依頼を受けていた。
まぁちょっとだけ歌姫と呼ばれる存在を見てみたかったのが大きい。
ただ理由はそれだけではなく、下手に普通の冒険者が依頼を受けて命を落とす事になるよりは、“異邦人”であり異世界の能力を使える俺が受けた方が、安全性も高いと考えた結果だ。
そうして依頼を受け、魔導人形が操る魔導馬車を乗り継ぎ指定の村の入り口まで来た所、フードを目深に被った小柄な魔導師の様な人物が立っているのが見え、声を掛けてみた。
「は、はい!きょ、本日はよろしくお願いいたします!!」
あまり顔が見えないが、ガチガチに緊張してるのは空気でわかる。
これは、あまり良くない流れだなと感じずにはいられなかった。




