684:環境
「……あの、アンタが、その、“賢者サマ”、なのか?」
思わず言葉に詰まる。
でかいベットに横たわる巨体。
アザラシ……いやトドと言った方がいいか。
或いはクジラ……いや、思わず現実逃避してしまったが、そうではない。
怠惰の限りを尽くしたようなブヨブヨの肥満体がそこに寝ているのだ。
これではまるで賢者というよりは太り過ぎの病人と言った方がいいだろう。
「そうよ、アナタ、見ない顔ね?
最近ここに越してきたのかしら?
アナタ人族ね?
見てみればアナタ、そこそこ平凡な顔つきをしているけど、まだ美形の方に入るわ。
それじゃダメ、世の中の“顔面が不幸な方々”からの不満が出るわ。
アナタの顔付きはアジア系だから別に良いけど、それでもやっぱり多様性の前には邪魔な存在ね。」
何を言っているかさっぱり解らないが、ともかく俺の容姿が気に食わないらしい。
ただ、何を言われても別に怖くはない。
何せ相手は寝たきりの病人だ。
その威勢の良さと相まって、思わず鼻で笑ってしまう。
「アナタ!今私を笑ったわね!?
私こそがこの世界で多様な価値を広める賢人、この世界でこそ多様性を広めるために上に遣わされた上位存在であるというのに!!」
突然異常な重圧を感じて身構える。
あの重そうな体がフワリと浮き上がり、よく見れば右手にはいつの間にか杖のようなモノまで持っている。
「……愚かなアナタに、私が真の目覚めを与えてあげましょう。
この愚かなる愚者に真の叡智を!!
“覚醒する世界”!!」
<勢大、予想通り精神汚染系です。
想定通り、100%無効化出来ております。
ちなみにこの効果を解析した結果、この賢者の思考を植え付けられ、尚且つ容姿も細胞レベルで書き換えられるようです。>
マキーナの解析を聞いて、“なるほど”と思う。
あのエルフ族の容姿が変わり、熱弁を振るうようになったのはこれが原因か。
対象を丸ごと“書き換える”というこの技は確かに不正能力レベルでなければ不可能だし、何より先ほどの会話で俺の事を“アジア系”と言っていた。
もちろんこの異世界に“アジア”なる大陸も種族も人種もいない。
つまりはコイツが転生者という事で間違いないだろう。
「そんな!?私、神の御業が効かない!?
まさかアナタも転生者だというの!?」
ペ、ペルソヌ?リンカー……何?
<“転生者”と言っています。>
あ、マキーナが翻訳してくれて助かった。
まさかこんな所で言語の壁を久々に感じるとは思わなかったわ。
「……あー、俺は転生者じゃねぇよ。
俺はこの世界に立ち寄っただけの“異邦人”って言葉の方があっているらしくてね。
別にお前さんに危害を加える気もなければ邪魔しようって訳でもない。
ただちょっと、この世界がこのまま進むと崩壊するから、それを正常な流れにさせてもらって、そんでここからおさらばさせてもらうだけだって。」
「嘘を言うんじゃないわよ!!
私はこの世界に降り立つ前、天にまします高貴なる御方から、神の御業を授けられたのよ!!
そして、元の世界では成し遂げられなかった“真なる目覚め”を、この世界にあまねく広めるために遣わされたの!!
そして、高貴なる御方はこうも言われたわ!!
“そなたの願いが次の世界では広まるように、いつか同じ様な力を持つ悪魔が現れたとしても、打ち勝つ心の強さを持つように”と!!
つまり、アナタこそが予言の悪魔と言う事よ!!」
野郎、こうなる事を先回りして読んでやがったな。
流石にこうも異世界を食い荒らしていれば、こちらの行動にも気付き始めてたって事か。
<つまり、この転生者は勢大が異邦人となってから転生してきた、と言うことでしょうか?
それにしては時間の進みがおかしいような気がしますが?>
俺だって、様々な世界で無数の時間を過ごしている。
最長では数百年くらいいた事もあったか。
もう、正常な時間の感覚も解らなくなっている。
これで元の世界に帰ったら数千年、いや数億年後の地球で、見たこともない生物が溢れかえっていたらどれほど絶望するか、と、何度も考えた程だ。
それでも、俺は俺がこうなるきっかけ、あのホームでの転落事故の瞬間に戻る、その一心でここまで来ているのだ。
当然、あの神を自称する少年にもその注文は付けるつもりだからな。
だからこそ、こうして時間をかけてでも異世界を巡り続けているのだ。
「……やれやれ、交渉決裂か。
マキーナ、通常モードに変身しろ。」
<通常モード、起動します。>
全身に光の線が走り、次々と体を黒いラバーのような素材が覆い、銀色の鎧が出現する。
最後に髑髏の様な仮面が頭を覆い、変身が完了する。
俺の姿を見た転生者は、宙に浮かびながらも怯えた表情を見せる。
「ヒ、ヒィィィィ!!
あ、悪魔!私達の教えを邪魔する悪魔よ!ここから立ち去れ!!」
賢者は思わず十字を切る。
もうその教えを広めている世界はコイツにとって前世の話だろうに、染み付いた癖は抜けないらしい。
『お前の身勝手な考えで、神を冒涜するな。
お前の思想を広めるのはお前の勝手だ。
お前の言い分も解る。
だが、他人を強制的に塗り替え、自らに従わせる事の何が多様な価値だ。
全ての人間を同じモノに塗り替えて、何が多様性だ。
違う考えを持つ相手と対話せず、尊重せず、自らの考えを押し付けるお前の思考こそ、単なる独裁ではないか。
それがお前の神の教えと言うなら、お前の身勝手を許すのがお前の神だとするなら、俺は悪魔で結構だ。』
殺意を全開にし、そして指を鳴らす。
指を鳴らすことには何の効果もない、ただの見せかけだ。
ただ、それでもこの怯えきった賢者殿には相当に効果があったらしい。
恐怖により集中が切れたのか、宙に浮かんでいられなくなりそのままベッドに落ち、そしてベッドの弾力に弾かれて床に落ちる。
しかも、落ちた拍子に手に持っていた杖が体の下敷きになり、折れてしまっていた。
もう、ここまでくるとコントの領域だ。
俺は笑わないように必死に我慢し、感情が落ち着いてから少しずつ歩み寄る。
一歩、また一歩と近付くと、賢者の股間からは湯気のたつ水たまりができていた。
『オイオイ、賢者なんだろうお前?
もう少ししっかりしろよ。
何、悪魔の契約って訳じゃねぇ。
神様の見落としを、ちょっと手助けしてやろうってだけだ。
……俺の希望、聞いてくれるよなぁ?』
賢者はただ怯えながら首を物凄い速さで縦に振る。
……やれやれ、こういう奴は久々に見たな。
俺は権限を一時的に移譲させ、あの存在との接続を切っていく。
その際、マキーナから言われてあることを思いつく。
『さて、言う事を聞いてくれたアンタに俺からのプレゼントだ。
そうなったお前が、意見をどういう風に変えるのか興味が……いや、別にねぇわ。
まぁ、達者で生きるこった。』
それだけ言うと、俺は光に包まれる。
後少し、後少しでこの旅も終わる。
あの少年は、どんな顔をして俺を迎え入れるだろうか。
「き、消えた……。」
目の前で光に包まれた髑髏仮面が消えると、私は安堵のため息をつく。
何と言う恐ろしい悪魔!!
あぁ、しかし主よ、私は決して悪魔に身を捧げた訳ではございません!!
私の心は最後まで、あなたと共にありました!!
そう心で弁解し、あのメイドが戻ってくる前に漏らしてしまった服を着替えようと立ち上がる。
「あら、体が……軽い?」
視線を下げて手足を見下ろしてみると、ほっそりとした手と足、そして胴体が視界に入る。
慌てて鏡に走ると、見た事も無い美人が写っていた。
「え?これ、……私?」
あまりの美人さに、言葉を失う。
今まで、ブサイクと蔑まれてきた私に、初めて訪れた転機。
この姿なら、色々な男を、いや、この国の王子だって手玉に取れるかもしれない。
「……え、この国ブサイクばっかりじゃん。
やば、また作り変えないと。」
私のこの美貌に合わせるなら、やっぱりブサイクよりイケメンの方が良いに決まってる。
私は、あの異邦人と名乗っていた神に感謝し、膝をついて祈るのだった。
次のアップロードですが、26日(土)の午前3時頃になると思います。
スパンが開いて申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします。




