629:真相解明
“新進気鋭の商人夫婦、白昼堂々何者かに暗殺される!”
“商会の危機、事件の裏に貴族の影!?”
“謎の魔法!魔力の流れは感知されず!”
大手の新聞は、概ねそのような内容で記事が踊っている。
ゴシップ紙のいくつかで“この暗殺は魔法ではない”や“未知の新技術?異世界からの刺各!?”などと、ヒヤリとするタイトルが掲載されていたが、その内容は異星人の侵略といった、的外れなモノだった。
読み終えたいくつもの新聞を丁寧に折りたたみ、私はコーヒーを啜る。
計画は上手くいった。
外部の、それも素性の知れないアイツを使う事にはいくつかの不安はあったが、万が一の時は彼女が全てを片付ける手筈だった。
もうこれで邪魔な者はいない。
ようやく私の時代が来るのかと思うと、人知れず口元に笑みが浮かぶ。
「御当主様、先日の、割符を持った男が面会を希望しております。」
使用人が来たので、慌てて平静を装う。
この時、私の頭に最初に浮かんだのは“そんなはずはない”という感情だ。
まさか彼女が裏切った?
しかし報告では……。
「御当主様?いかが致しますか?
先日のご指示通り、裏庭にまた通しておりますが……。」
失敗した。
もう来ることは無いだろうと、“私が渡した赤い庭師の割符を持つ者が来たら、最優先で通せ”という指示を撤回するのを忘れていた。
通す前なら不在と言えば誤魔化せたかも知れないが、通してしまったなら今更不在と言った所で暴れられる可能性もある。
仕方無しに、私は腰を上げる。
「よい、私が対応する。
他の者も前回の通り近寄らない様に。」
ため息交じりに、クローゼットからソレを取り出す。
やはりどんなに綿密な計算をしても、予定外は起きるものだ。
「これはこれは、依頼を成功していただき、ありがとうございます。
いつ来るか解らなかったため、今、残りの金子を用意させておりますので。
少しお時間を頂けますかな?」
老紳士が笑顔で近寄り、コーヒーを準備すると目の前の男に差し出し、そして自分も向かいの椅子に座る。
日はまだ高く上がる前、暑さが広がる前の、心地よい涼やかな風がこの庭に流れる。
だが、そんな穏やかな空気には似つかわしくない、前回あった時とは違う雰囲気を目の前の男から感じていた。
前回、この男からは底知れぬ深い闇と、それでいて柔らかな印象を感じていた。
例えば突然殴りかかったとしても、この男は苦も無く受け流すかいなして、こちらを簡単に制圧するだろう、と言った印象だ。
だが、今目の前に立つこの男からは刺すような鋭利な意志を感じている。
まるで別人だ。
老紳士は聞こえないように呟く。
こちらの仕掛けた罠を見破っていたとしても、こういう反応にはならないだろう、という妙な信用もあった。
自分の観察眼には自信があるつもりだったが、どうやら外れたらしい、という事だろうか。
「……本依頼はそちらの計画通り、という事ですね。
私は面倒を好みません。
先に推論をお伝えするなら、恐らくはアナタが当主であり、転生者でしょう?
私の要望は2つ、依頼達成の報酬と、そしてアナタから“田園勢大に管理権限を一時移譲する”という言葉です。」
「……君は……“誰”だ?」
目の前の粗野な風貌の男からは、想像もつかない口調。
それに、どこか女性言葉のようでもある。
あまりにも似つかわしくないと、老紳士は眉を少し動かす。
「無用な討論は不要。
……ですが、理解が及ばないのであれば説明致します。
まず初めに。
この家には確かに“子息”、息子がおりますが、それは30代を超えている事を追加調査で確認しました。
また新しい商会の夫婦、というのは実際はこの商会の元当主であり、名を捨て新しく商会を立ち上げただけ、という情報も確認しました。
そしてその中で、息子の風貌がアナタと酷似しているとも。
市政では有名です、アナタが使用人の格好をして娼館通いをしていると。
もう少し変装には気を使う事をお勧めします。
いえ、それもアナタの自己顕示欲、からでしょうか?
使用人を装い、“あの遊び人が実は…”という古い時代劇の様な演出でしょうか?」
老紳士は顔を真っ赤にしながら、椅子から勢いよく立ち上がる。
その手には太めの杖が握られている。
握る手が、微かに震えていた。
「き、君は何を言っているのかな?
私はただの使用人だよ?
まぁ、お忍びの町歩きは少々お恥ずかしい話ではあるが、こちらの御当主様や、ましてや御子息だなどど……。」
「余計な問答は結構です。
アナタが転生者だと疑ったのは2つ。
1つは盗まれたチューブタイヤの技術、そしてもう1つはこのコーヒーです。」
前回の時とは違い、美しい所作でカップを持ち上げ、そして目を閉じ香りを嗅ぐ。
その仕草もあまりに似つかわしくない女性的な仕草だ。
「勢大が……いえ、私が言った“モカコーヒー”とは、元の世界のイエメンにあるモカ港から出荷されるコーヒー豆の事。
そこでは後年エチオピア産の豆も出荷されており、モカコーヒーにはイエメン産とエチオピア産の2種類があると言われております。」
「……それが?何だというのだ?」
目の前の男は、椅子に座ったままではあるが、体全体をこちらに向ける。
「この世界に“イエメン”などという国も無ければ、“モカ港”などという港もありません。
では、アナタは何故それ等を“当たり前の知識”としているのですか?」
老紳士は素早く右手を杖に伸ばす。
だがその時、くぐもった様な、何かが弾ける様な金属音が聞こえると、老紳士は左手に杖の柄を持ち、右手で杖の握り手を持ったまま動かなくなる。
「勢大が言ったはずです。
“そんな仕込みでは俺には勝てない”と。
私からも同じ言葉を差し上げると共に、補足します。
“仕込みとは、こう使う”のです。」
老紳士がよく見れば、目の前の男の靴の先に穴が空いている。
自分の右足の太ももに突き立った針を見て、そこから射出された物、しかも毒が塗られたものだと瞬時に理解する。
「御当主様!?」
一人のメイドが、慌てたように駆け出してくる。
“よせ”と言葉にしようにも、体が痺れて口も動かない。
「私はこれを待っていました。
“呪い”を解くには、術者の記憶を読み取る方が簡単ですので。」
まるで獣の様に素早く飛び出すと、魔法を打とうと構えていたメイドを簡単に組み伏せ、そして頭に手を伸ばす。
メイドは何かの衝撃を受けたように悲鳴を漏らすと、白目をむいて動かなくなる。
「……っ!?おぉ!?ここはどこだ!?」
<勢大、おかえりなさい。
バイタルは正常、精神に不調はありますか?>
マキーナの声が聞こえるが、正直それどころではない。
さっきまで無限に増える蟻地獄と血塗れのコインを渡す老婆とを相手に、延々と風景を変える迷宮を渡り歩いていたと思ったら、突然穏やかな庭園に出現して、しかもメイドさんを組み伏せて頭を鷲掴みしているのだ。
これで驚かない方がおかしいだろう。
<……という訳で、愚かな勢大はまんまと敵魔法使いの幻惑を受けて精神世界に閉じ込められ、活動を停止していた訳です。>
マキーナから、小言混じりのこれまでをざっと聞かされる。
いや、俺も迂闊だったけどさぁ、あの割符が標的の目印とか、メイドさんがあの護衛していた魔法使いで、完全な内通者だったとか、解らんやん?
<しかし、あの老使用人が転生者では?と最初会った時から疑っていたのは勢大でしたよね?
何故ですか?>
俺は顎を掻きながら、空を見上げる。
「いや、確証は無かったがな。
ただ何となく、使用人にしては浮世離れし過ぎてるな、と、そう思ったんだ。
金の価値も、身なりも、仕込みの武器も、かな。
勘だよ勘。
それを試すためにも、モカコーヒーの名前を出したんだが……。」
そのひっかけを後で勿体つけてドヤ顔して披露しようとしたのに、一番美味しい所をマキーナに、しかも雑に取られるとは。
<ともあれ、権限の移譲は済みましたし、無事にこの世界から離れられるのですから、今回は私をもう少し褒めても良いと申請いたします。>
「……その申請は保留だ。」
こうして、また次の世界に向かう。
あの時俺が見た幻覚。
アレは、果てしないこの旅への疲労だったのだろうか。
あの老婆が渡そうとした血塗れの硬貨は、俺の罪の意識への現れだったのか。
いや、そんなことは無い、そう自分に言い聞かせ、俺はまた、旅を始める。




