625:カフェテラスにて
「……君が、噂の?」
白髪ではあるがポマードで撫でつけられたかの様に七三分けで整った髪の毛、着ているスーツも高級そうだが、それでいて嫌味がない。
ひと目で金持ちの老紳士と解る位には身なりの整った男が、俺の目の前の席に座る。
カフェの軒先に広げられたパラソルとテーブル席、そして石畳とレンガの町並み。
まるで映画の中のような風景だが、俺には全く似合っていない。
「自分の噂話を調べる趣味は無くてね。
俺がなんて呼ばれているか知らないし、あまり興味もない。
だから、アンタが探している人物とは違う人間かもしれないな。」
俺は目を通していた新聞を折りたたむと、ウンザリした様に老紳士を見る。
俺の発言が面白かったのか、老紳士はニッコリと笑う。
目の奥は笑っていない、あまり好きではないタイプの笑いだ。
俺達の間にある微妙な空気を察したのか、ウェイトレスが慎重にオーダーを聞きに来る。
老紳士は、俺と同じコーヒーを頼むと、話は終わりだとばかりにウェイトレスから俺に向き直る。
逃げる様に店内に戻ったウェイトレスは、すぐにコーヒーを持ってくると立ち去っていった。
「香りは良いが、味は最低だな。
良ければ君を私の屋敷に招待したい。
もう少しマシなコーヒーを出す事が出来るだろう。」
「そりゃどうも。
だが、ママから“知らないおじさんについて行ってはいけませんよ”と教わっていてね。
残念ながらそのお誘いには乗れそうにないな。」
老紳士はまたニッコリとあの笑みを浮かべると、コーヒーをもう一口すする。
そうしてまた微妙な表情を少しだけ浮かべるが、すぐに真面目な顔に戻ると懐から数枚の写真を取り出し、テーブルに広げる。
「噂は聞いているよ、“東洋人の凄腕殺し屋がいる”とね。
その男は納得のいく依頼なら1アンソー銅貨でも受けるが、納得がいかなければラレ金貨をいくら提示しても動かない、とね。」
「それはそうだろう?
そんなに金を積めるのなら、“自分でやった方が手っ取り早い”からな。」
どうにもマズい状況なのだが、俺はこの世界で“殺し屋”と認識されてしまっていた。
ある程度文明レベルが高かったので、いつも通りスラムを探して適当なチンピラをのし、裏社会で身分をある程度確保して、とやるつもりだったのだが、それをやろうとした時に、運悪くこの街で巨大なマフィア同士が抗争していた。
それを結果として両方壊滅させてしまい、後に残ったのは俺だけ、という状況だった。
現在は、二大巨頭だったマフィアが共倒れした事により、中規模なマフィアが台頭しており、互いの縄張り争いで混沌としてきているのだ。
「まいったね、どうしてこう……ってか、転生者はどこにいるんだよ。」
「ん?何か言ったかね?」
“別になんでも”と、俺はしらを切る。
危ない危ない、つい口に出てしまっていたようだ。
俺は興味なさそうにもう一度新聞に手を伸ばすと、老紳士が椅子に立てかけていた杖に手を伸ばす。
「止めときなよ、別にアンタにどうこうする気はまだ無いし、そんな仕込みの獲物じゃ俺はとれない。」
それまで穏やかそうな雰囲気の老紳士が、急に気配を変える。
だが、少し俺と睨み合うと、“ホッ”と笑い、空気が元に戻っていく。
「これは予想以上に難しい相手と見える。
ならば、ちゃんと真実を話し、それで納得してもらえるように務めるかの。
今回君に頼みたい事はな……。」
観念したのか、それとも今までの事が全て俺を試したのかは解らない。
だが、老紳士は俺への警戒を解くと、周囲を気にしながら改めて要件を話し出す。
テーブルの上に広げられた2枚の写真。
そこそこ歳のいった小太りの男と、やはり似たような年齢に見える、シワが目立つ女性の写真だ。
「その二人は、私が仕える主の屋敷から、ある技術を盗み出し、それを元に商売を拡大している不届き者でね。
主は放っておけと言っていたものの、私を含め屋敷の中の者達は彼等を許す事が出来ていなくてね。
彼等から、我々から盗んだ技術を回収してくれればそれでいいし、もしも不可能ならその時は……。」
「……わからんな。
何故その“技術”とやらにこだわる?
屋敷の、お前の主人は“捨て置け”と言っているんだろう?」
徴発でもなんでもなく、本当にただそう思ったから、という程度の疑問。
しかしその疑問を投げかけると、本当に一瞬だが老紳士の顔が険しいものに変わり、こめかみに青筋が浮かぶのが見えた。
ただ、俺が観察しているのを知ると、すぐに平静さを取り戻す。
「あぁ、失礼。
君の言う通りだ。
旦那様はそれを“些事”と捨て置いている。
ただあれは坊っちゃんの、いや御子息が発明された、“今まで見たことも無い画期的な技術”でね。
それを使い、奴等は利益を得ようとしているのだ。
私は、あの若い御子息の慧眼を信じたい。
これからは、あぁいった柔軟な発想を持つ若者が活躍するべきだ。」
少しだけ、興味を持った。
“今まで見たこともない画期的な技術”
それはもしかしたら、転生者によくある“現代社会の知識”を使った知識不正能力的なものでは無いだろうか。
コイツの屋敷の御子息とやらが、もしかしたら転生者かも知れない。
「……それが本当なら、少し興味はあるな。」
「おぉ、では!!」
先程までの目の奥が笑っていない笑顔ではない、本当の喜悦の顔を老紳士は見せる。
「まだ、アンタが本当にその屋敷に勤めているかも解らないからな。
申し訳無いがすぐには回答できない。」
「なら、この割符を渡す。
これは庭師として出入りする者に渡す割符だ。
一度屋敷に来て、この話が真実だと確認してほしい。
屋敷で働く者には根回しをしておく。
一度話を聞いてほしい。」
俺は解ったと回答すると、老紳士はすぐにここの代金と割符、そしてそれとは別に銀貨を数枚ほど置く。
「……別に、まだ受けると決めた訳じゃないぜ?」
俺の言葉に、今度こそ穏やかな雰囲気で老紳士は笑う。
「なに、足代と言うやつだよ。
来てもらうにも、多少はかかるだろうからな。」
流石に良い身なりをしているだけはある。
受けようと受けまいと、複数枚の銀貨を置けるのは大したものだ。
そうして老紳士は立ち去ろうとしたが、ふと何かを思い出したように振り返る。
「あぁ、もし来てくれるなら、その時はちゃんとしたコーヒーを出させてくれ。
君が飲んでいるのがただの黒いお湯だと理解してもらいたい。」
“知ってるよ”と思いながらも、複雑な表情で俺は黒いお湯を飲み干していた。




