623:崩壊
「ここは?」
元の青年の姿に戻り、周囲を見渡す彼。
俺の姿を見てぎょっとしていたが、特に何もしてこないと見るとすぐに落ち着きを取り戻す。
『随分冷静だな?
俺がアンタに何か酷い事をするかも知れねぇのに。』
「いや、それならボクをこうして元に戻したりしなかったはずだ。
先程までの、自我の無い方のボクの方が君達“組織”には都合がいいはずだからね。」
そう言いながら彼は、心底疲れ切ったように力なく笑う。
安楽椅子に大きく寄りかかりながら、“それで、次はどんな事をさせられるんだい?”と、もはや他人事のように自分の運命を受け入れている。
『……別に、何かをしてもらおうと……。
いや、そうだな。
……とりあえずアンタ転生者だろ?
その力が流出しているこの状況をどうにかしたいんだが、どうすれば止まる?』
「……今度の悪魔はおかしな事を言うね?
君は何ていう悪魔なんだ?
そんな外見をしているのに秩序側なのか?それとも混沌側の気まぐれか?」
ここまで言われて、俺自身がやっと思い出した。
俺は今変身している。
変身している俺の姿は、髑髏の仮面をつけて軽鎧を身に着けているような姿だ。
それを見て悪魔と勘違いしてもおかしくはない。
マキーナに確認しても、この場所なら別に変身解除しても問題はなさそうだ。
俺はヘルメット部分を解除すると、彼の前に顔をさらす。
「おう、変身後の姿を忘れていたぜ。
これなら少しは話しやすいか?
色々と勘違いしているみてぇだが、まず俺はアンタの想像する“組織”とやらは無関係だ。
俺は“異邦人”。
アンタに似ているが、俺は転生ではなく、この世界に流れてきた世界の異物、だよ。」
そうして、俺はここにいる理由を話す。
不慮の事故で死ぬ寸前であること。
元の世界に帰るためには、世界のエネルギーを集めなければならないこと。
あの神を自称する存在の危険性、転生者のからくり。
大体どの異世界でも話していた事だ、だいぶ慣れた。
彼は、最初に俺を見た時はひどく驚いていたが、俺の話を聞いているうちにうつむき、肩を小刻みに震わせ始める。
「……という所だ。
まぁ、なんだ、そんなに気を落とすなよ、お前だって……。」
「……フフフ、ククク、ハァッハッハッハ!!
何て事だ、ボクは何のために転生したんだ!!
確かに僕はあのまばゆい光の玉に願った!!
“神も悪魔も従えて、永遠に幸せな人生を生きたい”と!!
だが結果はどうだ!?
神にも悪魔にも使われる道具として、何もない魂の牢獄に、永遠に囚われているだけじゃないか!!」
その両目からは、ただただ涙が流れ続けている。
精神世界だからか、感情を隠しておくことが出来ないからかもしれない。
この空間、彼の精神の底の底、深層心理が具現化した世界なのだとしたら、恐らくここでの彼は嘘をつけない。
悲しみを全身で表し、怒り、そして嘆く。
一通り暴れて落ち着いたのか、ようやく平静を取り戻して俺に向き直る。
「なぁ田園さん、お願いがあるんだが、ボクを殺してくれないだろうか?」
爽やかな表情で、まるで“ちょっとそこのコップを取ってくれないか”というような気軽さで。
彼は自らの消滅を俺に頼んできた。
「……まぁ落ち着けよ、俺の目的である“あの存在との接続”を切れば、多少は俺も手伝える。
そうなれば、現状をどうにか……。」
「ボクは!そんな事を頼んでいない!!」
剥き出しの感情で、彼は俺の言葉を遮る。
その時俺は、クロガネの言葉を思い出していた。
“表層の心は死んでいる”
彼も、それを感じ取っているのだろう。
少しの間、にらみ合う俺と彼。
必死に頭を巡らせるが、対応策は考え付かない。
(マキーナ、何とかならないのか?)
<現状では、私は彼と同じ結論にたどり着きます。
今世の生還は“確実に不可能”と判断いたします。>
頼みの綱のマキーナも匙を投げるレベルという事か。
肉体は水晶体に閉じ込められており、細胞レベルでは既に損傷している。
賢者の石化するにあたり、“組織”とやらは彼の心を徹底的に折っている。
かろうじて残った、いや、“組織”があえて残した魂の残滓、“深層心理”はここに閉じ込められている。
ダメだ、どうにもならねぇ。
既に彼は、“生きながらにして死んでいる”というような生易しい状態じゃない。
“とうに死んでいるのに死ねない”という、どうしようもない袋小路に入っている。
「……わかった、俺からアンタに提示できる道は3つ。
1つは元の世界に帰る、1つは記憶はそのままに転生する、そして最後の1つは……。」
「最後の奴で頼む。
あぁ、君に権限を渡すよ、いくらでも渡す。」
またも俺を遮るように言葉を発する彼。
彼の言葉に反応し、俺の目の前にはこの異世界のステータス画面が表示される。
もはや、1分1秒でも惜しいといった様子だ。
「……わかった。
アンタはここで死ぬ。
今世の記憶も、あの存在からもらった不正能力も引き継がれない。
いつか生まれる、どこかの誰かとして人生を歩む事になるだろう。」
俺の言葉に、彼はようやく安心したような笑顔をむける。
「それは素晴らしい!!
転生してわかったよ。
人は、いやボクには“己の器を超えた欲望”なんて不要だった!!
自分の器よりも大きすぎる欲望や力は、結局こうして誰かに利用されて終わるだけだ。
ボクは、ボクはボクはボボボボクククははわはわは……。」
ヤマナミは唐突に声を張り上げると叫びだし、そして最後は壊れたレコードのように意味不明な言葉を叫ぶ。
<勢大、急いでください。
安心してしまったのか、ヤマナミの自我が限界を向かえつつあります。
このままでは、崩壊した彼の精神に取り残される事もあり得ます。>
馬鹿野郎、そういう事はもっと早くに言えよ!
俺は急いで髑髏の仮面を装備しなおすと、あの存在との接続を切る。
<緊急転送しますか?>
『いや、最後に一言くらいは挨拶しておきたい。
脱出するぞマキーナ!!』
足元の浅い泉の水が波立ち、先ほどまでの透明な水がじわじわと黒く濁っていく。
俺は檻を抜け、中央のらせん階段へと走る。
らせん階段を駆け上りながら檻にチラと目をやると、真っ黒に染まった彼が狂ったように踊っていた。
楽しそうに踊りながら、徐々に体が崩れていく。
確かに、この記憶を引き継がなくてよかったのかも知れない。
そんな事を思いながら、俺は彼の世界から抜け出すべく駆け抜けていった。




