612:冥界行脚
何もない暗闇を、ゆっくり、ゆっくりと落ちていくように感じる。
“ゆりかご”と表示されていた悪魔の集合体、そのゆりかごの頂点にある神社の扉から、俺は真っ暗な闇に飛び込んだはずだ。
それでも、今の状況がサッパリと掴めない。
体感的には、とうに麓の地面にまでたどり着いていてもおかしくない時間を降下し続けている。
これでは、そのうちブラジルにまでたどり着いちまいそうだ。
『マキーナ、これ、今はどういう状況なんだ?』
<相対的な対象物が無いため体感が狂っているかもしれませんが、現在勢大は、凡そ時速200キロメートルの速度で落下し続けています。
それも、もう既に15分も降下し続けている、ですが。>
オイオイ、それじゃ俺は地面についたら犬神さん家の人みたいに地面にぶっ刺さるか、それともど根性をみせるカエルみたいに、ペッタンコになって地面に貼りついちまうんじゃないか?
<それは少し面白そうですね、実験してみますか?
と、申し上げたいところですが、その場合勢大の回復が間に合わなくなりますので、それはまた別の機会にお願いします。
出来ればあの、“ギャグ世界”とやらで。>
マキーナにしてはユーモアあふれる返しだ。
ここの少し前に、ギャグ漫画空間みたいな世界も体験していた。
アレは、長くいると常人なら気が狂っちまうだろう。
『そりゃ遠慮しとく。
なんならもう二度と、ギャグ漫画世界には行きたくねぇな。
それよりも、お前がそれだけ余裕って事は、ある程度策があるって事だよな?』
マキーナが言うには、この世界はエーテルの代わりに魔力がまだ多少は満ちている世界らしい。
その魔力をこれまでの戦いから吸収しているらしく、一瞬だけ“魔力炉によるブースター”を作製して落下速度を相殺するので問題ない、らしい。
相殺時の衝撃も、魔力なら問題なく吸収できるそうだ。
これが、エーテルと魔力の差か、と思う。
時間を止めた移動に関してもそうだ。
俺の時間停止、まぁ実際は超加速たが、それは物理法則の影響を受ける。
しかし魔法によるそれは、影響を受けない。
不思議なもんだなと思いながら、それでも今はその恩恵をありがたく受け取っておくべきだな、と考えつつ足元のはるか先を見つめる。
『ん?マキーナ、何か見えてきたな?』
暗闇でボンヤリとはしているが、赤黒い大地らしきものと、何か豆粒のようなものが目に入る。
<どうやら地の底、その地面が見えてきたようです。
……更に運の良い事に、これから着陸しようとする場所には学生達がいるようですね。
何かと戦っています。>
マキーナに言われ、慌てて落下しながら姿勢を変え、はるか先の地面を凝視する。
ご丁寧に、視界の一部をマキーナが拡大してくれ、別ウィンドウに表示される。
『……デケェな?何だあれ?』
巨大な人間?ではないか、人間の上半身のようなものが地中から出ているのだが、その両腕は龍の頭のようだ。
そして頭がある位置には土偶というのだろうか?
何か幅の広い壺のようなものが乗っている化け物が、あの子達5人と、……それに竜胆とクロガネの2人が立ち向かっている。
<解析しました。
あの大型の悪魔はアプスー。
シュメール神話に出てくる全ての地下の海、淡水の神の様です。>
『ははっ、遂に神様まで出てきやがったか!!
マキーナ、ブースターは無しだ!このまま突っ込む!!』
“言うと思いました”と、マキーナは呆れる。
俺は頭を下に、急降下の体勢をとると右拳を固める。
<……次に言う事はわかっていますので、先に展開いたします。
ブースターユニット展開、加速点火、実施いたします。>
わかってるじゃねぇか、と笑うと、グンと加速する。
幸いにして魔力的な加速である以上、物理法則は影響しない。
血が後ろにたまり、視力が失われるホワイトアウトも起きる事なくアプスーの右腕、動きを止めている竜の頭に狙いを定める。
このまま本体を狙ってもいいが、それがどんな影響を及ぼすか解らない。
なら、相手の戦闘能力を削ぐ事にこの一撃を使う。
『くぅらぁえぇぇぇ!!』
流れ落ちる流星のように地に落ち、その途中にある竜の頭を打ち砕く。
<ブースターユニット格納、バイタル正常、他身体的損傷はありません。
理論上でしか安全ではありませんでしたが、無事で何よりです。>
こいつめ、サラッと危ねぇ事言いやがって。
「……な、おっさん、もう動けるのかよ?」
クロガネが呆れたように刀を肩に担ぐ。
そうだ、その刀返せお前。
「田園殿、気を抜くな!!
ヤツはまだ健在だ。
コイツは実質水だから、何をやってもすぐに復元を始める!!」
竜胆が叫ぶ。
その言葉に振り返ると、アプスーへと飛び散った液体が蠢いて戻っていく。
アレが集まりきったら元に戻るわけか。
『教えろ、コイツは倒して問題ないのか?』
「え?あ、いや、そうだな、俺達は倒して先へ進まなければならない。」
珍しく、竜胆が焦ったような、驚いたような声をあげる。
何だ、倒していいなら最初から胴体を狙っておくべきだった。
まぁ、状況がわからなかったから仕方無いか。
チラと子供達を見れば、少しだけ疲れた表情をしている。
ここまで来るのに、随分と戦っていたのかもしれない。
『そうか、なら話は早い。』
俺は振り返り、アプスーへと歩みを進める。
もう1つの竜の頭、左手に該当するそれが、俺を噛み殺そうと大口を開けて襲い来る。
『雑だな、まぁ図体がデカけりゃそういう攻撃になっちまうか。』
一瞬だけブーストモードで加速し、竜をかわしアプスーの懐に入る。
短く息を吐く。
左の掌底をアプスーの胴体に当てると、右の掌底を重ねるようにして打ち込む。
『お前、ツイてなかったな。
体内が液体ってんなら、人間も変わらねぇ。
革袋に詰まった血か、水の塊かって違いはあるだろうがよ。』
それだけいうと、俺はまたブーストモードを使い、かつて学生時代に教わった鎧通しを駆使した殺人奥義“乱れ菊波紋十三撃”を放つ。
アプスーは少しだけ、不器用に踊るように動いたかと思うと、表面が次々と割れていき、内部の液体が漏れ出し、そして地面へと染みていった。
『さて、このデカブツを倒して終わり、って訳じゃないんだろう?
早く目的を教えろ。
こんな事、とっとと終わらせてやる。』
俺を見る7人の目が、なぜだか少しだけ呆れているようだった。




