611:すべてを見たる人
俺は用心深くその“物体”に近付く。
よく見ても、やはり四肢の千切れた体になってしまったギルガメッシュその人だ。
光の結晶化が発生していない所を見ると、彼は召喚された悪魔、或いはそれに属した存在ではない、という事か。
「……んぁ……?何だ、そこにいるのは誰だ……。
いや、見た事の……、ある顔、だな……。
……あぁそうか、あの時の……愚か者か。」
『おやすみ前に悪いな王様。
まだ意識はあるなら、ここで何が起きてるのか、教えて貰ってもいいかい?』
俺はギルガメッシュを見下ろすと声をかける。
“不敬な……”と彼は呟いていたが、諦めたように片頬を歪めると冷めた笑顔を見せる。
「……そこの社の入口から、中に下りる事が出来よう。
先に教えておく。
コノハナサクヤ、アレの復活を止めねば、お前の望みはかなわない。」
俺は口笛を吹く。
流石は古代メソポタミア文明において“すべてを見たる人”として叙事詩が描かれた人物だ。
どうやら既に俺がここに来た目的も理解しているらしい。
なら、最初に会った時に全てを教えてくれても良いものを。
その事を告げると、喉から空気の漏れる音が数度鳴る。
どうやら笑ったらしい。
「……無茶を言うな。
未来とは、膨大に折り重なる絹糸の一糸。
……それら全てを説明していたなら、一生をかけても終わらぬわ。
それに……、“お前がここに来ない未来”も、当然あったからな。」
少し驚いたが、何となく納得する。
俺が言葉を発する前に答えた所を見ると、このやり取りもおそらく“いくつもある未来”で、俺が問うた事なのだろう。
それは、多分ここにたどり着いた俺が必ずしていた質問、というところだろうか。
そしてはっきりと言葉にはしていないが、つまりはどこかの段階で“俺が死んでしまう未来”もあった訳だ。
未来はどう転ぶかわからない。
下手に未来の可能性の1つを教えてしまった結果、過信から未来が書き換わるという事も起こりうるわけだ。
確かにそれならば、他人に未来は教えられない。
「……もうこの体も長くは保たんから、あれこれ言われる前に言っておく。
お前の想像するように、ヤマナミとやらが転生者だ。
アレの表層自我はとうに破壊されており、今やただのエネルギーの塊と変わりはない。
それも、一見すると無尽蔵にエネルギーを生み出す、賢者の石とでもいったところか。
ヤマナミを破壊すれば、世界は解放される。
ここを管理する神とやらに多少の借りを作ることになるだろうが、それでも再建可能だ。」
俺はギルガメッシュから神社に視線を移す。
確かここに来たときは昼間だったはずだ。
この山を登っている時もそう。
だが、神社のあるこの山頂はいきなり夜になったかのように暗い。
しかも、太陽の位置には更に真っ暗な穴のような球体が浮かび、何とも上手く言えないのだが、暗い光を放っている。
『お断りだ。
俺は転生者を殺しに来たわけじゃない。
俺が殺すとしたら、それはこのクソくだらねぇ理不尽を押し付ける、この異世界そのものだ。』
「フ、フフ、面白い事を言うものだ。
どの世界でも、この世は理不尽の塊だぞ?
俺とて、理不尽を体験して夢破れた身だ。」
確か、ギルガメッシュ叙事詩だと彼はエンキドゥという親友の死を目の当たりにして死の恐怖を感じ、不死の薬を求めた。
ただ結局不死の霊薬は手に入らず、代わりに入手した若返りの薬も、泉で水浴びをしている間に蛇に取られ、遂には自らの定命の運命を受け入れたはず。
つまり目の前のこの男も、死という理不尽に抗い、そして敗れた訳だ。
『……それでも、抗える内は抗わねぇとな。
アンタだってそうだろう?
抗った結果は望むモノにこそならなかったが、その抗う意志は大切なものだろうさ。
少なくとも、ただ座して運命を受け入れた訳じゃない。
誰だってそうだ。
皆、いつも何かと戦っている。
済ました顔で運命を受け入れるなんざ、人間には出来やしねぇよ。』
ギルガメッシュはまた笑う。
今度は先程までの皮肉げな笑いではない。
人間味のある、優しい笑顔だった。
「ク、クカカ、これだから人間は面白い。
ならば行け、人間。
お前の運命とやらにも、抗ってみせよ。」
“言われなくても、そのつもりだ”
そう俺が呟き終わる前に、ギルガメッシュは灰となって風に舞う。
最後はどこか、満足げな表情だった。
<彼は“分霊”だったようですね。
召喚されたわけではない、オリジナルがここに残した影のようなモノ、と思われます。>
なるほど、だから消え方が違ったのか。
だが、いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。
俺は歩みを進めると、神社の扉を開ける。
扉の先は完全に真っ暗で、何一つ見えない。
恐らくこれは視覚的な影などではなく、転送装置のような暗闇なのだろう。
『やれやれ、今回は地下に行ったり電子の世界に行ったりと、何だかうす暗いところばかりだな。』
<……全ての事象は、もしかしたら繋がっているのかも知れませんね。
今にして思えば、あの電子の世界での工場のようなところ。
あそこが何だったのか、結局のところ解明出来ておりません。
あれはもしかしたら、この世界と異界を繋げる何かの施設だったのかも知れません。>
俺の視界にマキーナの推測結果が表示される。
『……あんまり、楽しい結果じゃねぇな。』
電子の世界、咲玉市のネットワーク上に異界を作り、咲玉市そのものを黄泉の国への入口とする。
古代メソポタミア文明では地面の下、地下は冥界と考えられていた。
この国でも、神代の時代には地下は黄泉の国、黄泉平坂があるとされていた。
ただ、当たり前だが穴を掘ったら冥界に行けるわけじゃない。
そこでふと思う。
地上から地下という次元を掘ることで、冥界に達するのだとしたら。
次元を掘ると言うことがどういう事か解らないが、ただ何度もネットワークやら何やらで地盤を緩ませていたとしたら。
そして、大きな引き金となる次元に干渉できる存在がいれば。
次元に干渉できるほどの、それこそ神の如き力を持った存在……、転生者か。
更に、その能力を意のままに自由に使う存在……、コノハナサクヤか。
“この世界の主人公は、どうやっても俺達じゃないんだよ”
クロガネの言葉を思い出し、俺はため息を付く。
どう足掻いたって、そこにたどり着くことになりそうだ。
『腹が立つな、何もかも。』
良いように使われる転生者も。
世界をひっくり返そうとする“組織”とやらも。
そんな状況を解決するために、あの子達に頼らなければならない俺達にも。
俺は怒りを押さえて扉の向こう、暗い闇に飛び込んで行った。




