609:変わらぬ覚悟
「先生、簡単なもんしかございませんがお食事と、お洋服も乾いたようでお持ちしましたけんど。」
老婆が戻ってきて、お膳に乗せた食事と、そして俺の服を持ってきてくれる。
お膳の上には湯気を立てる白米と味噌汁、それにメザシと漬物という、出て来ると何故か心が落ち着く、そんなメニューだ。
「あ、あぁこれはこれは。
何から何まで申し訳無いです。
……その、今更ですがここは?」
折角だからと食事をいただきつつ、改めて、老婆から現状を教えてもらう。
だが、老婆から話を聞こうとしつつも味噌汁を一口含むと、思考が吹き飛ぶ。
いや味噌汁のしょっぱさが今はありがたい。
熱と塩分が体内に広がっていく。
それだけでない。
米も噛むほどに甘く、メザシの焼き加減も完璧だ。
魚臭さも漬物でさっぱりし、いくらでも箸が進む。
かき込むように箸を動かしている内に、モノの数分でお膳の上の食料は消えていた。
「カッカッカ、先生は健啖家でらっしゃいますなぁ。
そも、あれだけの戦いをした後なら、確かに腹も空いていましょうか。」
老婆は豪快に笑うと、お茶を差し出してくれる。
照れながらも湯呑みを受け取ると、一口。
食料が胃に落ち、栄養が全身を巡る。
そして熱いお茶が、ダメ押しにと胃を暖める。
そうしてようやくひと心地ついた俺は、老婆の言葉に耳を傾ける。
どうやら、あの後倒れていた俺をクロガネ達が見つけ、ここに運んだらしい。
運ばれた俺は衣服が血塗れだったそうだが、肉体的には以上はなく、そのままここに寝かせていた、との事だ。
「それは……その、ご迷惑と失礼をおかけしました。
ええと、その、失礼ついでに伺うんですが、あの二人と、それからお孫さん達は……?」
「そうですのぅ……。
お伝えしてもええんじゃけんど、先生はどうされます?」
老婆は、自身もお茶を飲みながら、何でもない世間話かのように俺に話を振る。
話を振られながらも、老婆が一瞬だけ放った殺気に気付いていた。
“返答次第ではここで始末する”
そういう類いの、明確な威圧だ。
「……私はね。」
その威圧を受け流し、静かにお茶を飲みながら老婆を見る。
人の良さそうな、名家のおばあちゃん。
その見た目とは裏腹に、先程飛ばして来た殺気は武人のそれと同じだ。
この老婆、中々に“遣う”らしい。
「私はね、咲玉学園の教師です。
生徒が危ない目に合うのを、むざむざ見過ごす訳にはまいりません。
……と、言えば、きっと貴女は今すぐにでも私に一撃を加え、昏倒させるのでしょうね。」
老婆が少し座り直す。
正座のままではあるが、あれもれっきとした構えだな、と推測する。
「私の素性は、恐らくあの口の軽いクロガネ氏辺りが喋っているでしょう。
私は“異邦人”、別にここでの争い事に加担する気はない。
貴女方の使命や、“組織”と自らを嘯く連中の目的など知った事ではない。」
老婆は穏やかな表情のままだ。
それでも、俺と老婆の間の空気は温度を下げ、そして歪んだかのような錯覚すら感じる。
「ただ、そこに“転生者”が絡んでくると話は別だ。
私の目的は“転生者と、神を自称する存在との縁を切る”ただそれだけなんです。
突拍子もない話に聞こえるかも知れませんが、転生者は世界の力を浪費する。
浪費散財の果てに、世界は崩壊を始める。
私はそれを防ぎつつ、転生者から余分なエネルギーを回収する。
それを目的に、この世界に転移しています。」
いや、正確には違うか、と、心の中で呟く。
俺はあの神を自称する少年から、“転生者を救ってほしい”と言われただけか。
それでも、救うの意味が恐らくは抹殺だろうという事や、俺が転移した先の転生者や世界が過去全て、あの少年に対して叛意を持っていた“反逆者予備軍”だった事も、事前にはっきりと言われた訳じゃない。
ならば、俺は俺のやり方で転生者を救うだけだ。
その転生者がこのまま転生先の異世界で暮らしたいなら応援する。
元に戻りたいなら世界の力を少し使って元の世界に戻してやる。
そして、死を望むなら、それを与える事も、だ。
神でなくても、神の如き力を持っている転生者の同意があるなら、それ等はどれも難しい事じゃない。
それよりも、不正能力の対価を隠して取り立てている、このシステムを止めることの方がよっぽど難しい。
何せ転生者を見つけるところから始めなきゃいけないからな。
「今回、ようやく転生者らしき人物の目星がついたんです。
ところがソイツは、“組織”を名乗る奴の話では何かの生贄?材料?にされるとか。
それであるならば、私はそれを止めに行かなければならない。
そうして転生者に、“お前はどうしたい?”と、問わなければならない。
そして、残念な事にお孫さん達は今最も私の目的地に近い所にいるようでしてね。
目的は違っても、過程が同じなら手助けは出来るかも知れない。
だから教えてくれませんか?
今、彼等がどこにいるかを。」
老婆はただ、穏やかな顔をしながらお茶をすする。
沈黙の時間。
こういう時、沈黙に耐えられずに追加で言葉を発するのは良くない。
交渉においてそれは、ある種の敗北だ。
“俺の話すターンは終わった、次はアンタだ”と、強い心で待たねばならない。
「……はぁ、よござんしょ。
先生の言葉、確かに殆ど理解できませんがね。
ただ、先生の目的も、言うてみれば“ヤマナミを無傷で確保”する事でっしゃろ?
なら、先生がどこまで出来るか見させてもらいましょ。」
老婆はため息を付くと、お膳を片付け始める。
“少しお待ちなはれ”と言うと、膳を持ち何処かに消える。
<勢大、今のうちに着替えた方がいいのでは?>
マキーナに言われ、浴衣1枚だった事を思い出す。
よかった、普段の中であぐらをかいていたが、布団がかかっていたので見えてない!セーフ!!
あっぶねー、さっきまでのカッコつけてた台詞とか、全部丸出しで言ってたら相当危ない奴だったじゃねぇか。
慌ててスーツに着替えると、マキーナを手に取る。
ジャケットの内ポケットにしまうと、老婆がちょうど戻ってきていた。
「これが、あの子等にも渡した、遠坂神社地下殿の地図じゃ。
ここの中心、そこがコノハナサクヤの遺品があると言われておる。」
見てすぐに気付く。
これは完全に迷宮のマップだ。
恐らく中央というのは、迷宮核がある所だろう。
俺は老婆に礼を言うと、トオノ家を飛び出す。
外に出ると暗雲が立ち込めており、昼のはずなのに薄暗い。
まるで、これからのこの世界の行く末を暗示しているかのようだった。




