605:力のぶつかり合い
<アナザーブースト、残り28分です。>
全力で丘を駆け降りる。
魔法によるブースト。
俺の全身全霊の全力、ブーストモードと呼ぶそれとは別物の加速感。
空気抵抗をモノともしないのに、機動力はブーストモードのそれにかなり近い。
(不思議な感じだ……、周囲が普通の時間の流れなのに、俺の動きはブーストモードみてぇだな。)
<これが魔法と言うことなのでしょうか?
周辺の空間に物理的に干渉しているはずなのに加速出来ているこの現象は、私では再現不能です。
正直な感触を言うならば、バランスを取るのも一苦労ですよ。>
マキーナの言葉で、この行為がどれほど凄いものなのかを改めて感じさせる。
俺のブーストモードは、言ってしまえば“ただ単に知覚を鋭敏にしただけ”に過ぎない。
いや、それでも十分に不可能な事なのだが、物理的に、理論的には再現できなくもない。
“殆ど止まったような位に知覚を圧縮し、心臓を加速させて全身への血液や脳内の電気信号を加速させ、そして結果的に肉体の動きを異常加速する”ただそれだけだ。
そこには視界に映る光の屈折率の影響で世界から青色が消えたり、空気が見えない壁となって行動を阻害してくるだのと、厄介な事が多い。
ただそれも、この世界に来る事になったきっかけ、強化し過ぎたこの体なら不可能を可能にしてしまっていた。
ただ、人間の肉体の限界なのか、脳内の電気信号まで加速させるにはかなりの集中力がいる。
あまり多くの事を考える余裕はない。
少しでも考えが乱されれば、そこでブーストは終わる。
その為、基本はマキーナで変身している時くらいしかこれは使えない。
マキーナが俺の知覚の補助をし、平常時と変わらないように調整をし続けているのだ。
そのため、マキーナの補助限界が大体現実時間の3秒程度、停止した時間で言うなら体感30分程度、というところなのだ。
それ以上続ければ、マキーナ自身が負荷に耐えられずに自壊してしまう。
……まぁ、他にも“体内に収まってはいない男の弱点”が、変身前だと空気抵抗で千切れそうに痛いというのも、変身していない時には使わない理由でもあるが。
いやマジで痛えのよ。
いや、そんな事は今はどうでもいい。
俺のブーストモードは物理的な要因が大きいのだが、先程のシルキーにかけられた“身体強化”の魔法。
これはもう、先程まで説明した物理法則から完全に離れている。
まず周囲は“限りなく時間が止まったような空間”ではない。
普通に時間が流れているし、視界に映る世界も真っ赤になっている訳ではない。
俺も神経を集中させてはいないし、マキーナもそれの補助は行っていない。
空気の壁というか抵抗も全く無い。
それなのに、俺の動きはブーストモードの時と同じ様に素早く動いていて、しかも疲労感は殆ど無い。
まるで、“始めからそうであった”かのような体の動きを見せている。
『……ホント、魔法ってのは何でもありだな。』
<そうかも知れませんが、そうでない部分もあります。
物理法則を捻じ曲げ、“欲しい結果”だけを示している様なモノですが、それでも確実に宿っている魔力らしきモノは今も刻々と消費されています。
この魔力を対価として、現実世界における物理法則をねじ曲げているのではないか、と、推測されます。>
魔力が具体的にどんなモノかは知らないが、それでも凄いと思う。
逆に言えば、何かの物質なのか力なのか、そういうモノを対価にさえすれば、現実をねじ曲げられるのだ。
そりゃ、この分野が研究されるのも頷ける。
<楽しい考察のお時間はここまでの様です。
見えました。>
マキーナが俺の視界に1つのマーカーを表示する。
ロックしたそこに映るのは、例の着流しを着た外国人。
自らを“ストレングス”と名乗った、“組織”とやらの人間だ。
「おやぁ?奇妙な格好の悪魔デスねぇ?
私の使役している悪魔に、貴方のようナ存在は記憶にありまセンから、クロガネ辺りの差し金デしょうカ?」
『残念、悪魔じゃあねぇんだなこれが。
まぁ何でも良いからよ、お前さん、ちっと死んでくれや。』
この、アナザーブーストモードとやらが消えるまで残り時間は25分。
あまり悠長な事はしていられない。
すぐさま踏み込むと、右の拳をストレングスの顔面に叩き込む。
綺麗に決まったと思えたその拳は、すんでの所でどこからか取り出していた刀の柄頭で受け止められる。
「舐めるんじゃねぇよ小僧!
この俺様がたたっ斬ってやらぁ!」
『へっ、どうしたよ?
妙なイントネーションが消えてるぜ?』
俺の一撃に驚いたのか、或いはただの威勢か、どちらにせよ先程までの余裕の表情は消え眉間に皺を寄せ、敵意を剥き出しにして怒りをあらわにする。
(マキーナ、武器を出せ。)
<……お忘れですか勢大?
貴方はクロガネ氏に刀を貸し出しています。
つまり、武器はいつも通りのモノしかありません。>
しまった、と、つい呟いてしまう。
幸いにして、ストレングスには聞こえていなかったようだ。
そして正直、変身している事で仮面をつけていて良かったと思った。
仮面をしていなければ、焦った表情が丸わかりだっただろう。
まさか格好つけてクロガネに刀を貸した事が、こんな風に影響するとは思わなかった。
とはいえ、無い物を悔やんでも仕方がない。
“今ある手札が最強の手札”
そう思って立ち向かうしかない。
いつもそうしてきたんだ。
そう考えながら、俺は拳を握り込む。
この手甲も、まっすぐ刀を受けるのでなければ何合かは保つ。
相手をよく見ろ、自分の出来る事をやるしかないんだ。
深く息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
『どうした?エセ外国人?
来ねぇんなら、こっちから行くぜ?』
俺はあくまでも余裕を崩さず、ストレングスを挑発する。
ストレングスはしかし冷静に、同じ様に息を吸い込んで吐くと、刀を両手に持ち、ピタリと正眼の構えで止まる。
「良ぃ〜いでしょう、お前ごとき小虫が何か出来る訳でもなし……。
フフフ、どこからでもかかってきなさーい。」
ストレングスはニヤリと笑うと、腰を落としながら刀を鞘に戻し、その握り手を緩める。
抜刀術の構え。
やれやれ、これはあまり気を抜いてはいられないようだな。
俺はそんな事を思いながら、すり足でジリジリと近付いていく。




