59:変わる世界
「サラ様。」
リリィが珍しく、本気で怒った顔をしていた。
パッと見は平静な顔。
しかしその凜とした佇まいは、何処か気品ある白百合を連想させる。
「貴女が体験したという、虐められているリリィはどこにいますか?」
サラ嬢の感情が揺れるのが、見て取れる。
「サラ様のそのご記憶が、どれほど壮絶なのかは私は解りません。
でも、それが今の貴女の優しさに繫がっているなら、私は、貴女の記憶にある世界を再現されなかった事を、貴女に感謝するべきでしょうか?」
まるで、叱られ、今にも泣き出しそうな子供のように見える。
徐々に俯くサラ嬢に言葉は無く、表情も沈んでいく。
色々なことがサラ嬢の中で渦巻いているのだろう。
気配から、何となくそんな事を感じ取っていた。
「……でも、やっぱり悲しいです。」
サラ嬢が顔を上げる。
“軽蔑された”という思いからだろうか?
その顔は、今にも泣き出しそうだ。
リリィはゆっくりと立ち上がると、サラ嬢の元に行き膝を突く。
震えるサラ嬢の手を、両手で優しく包み込んでいた。
「私は、今の私は、入学式で迷う私を助けてくれた、いつも優しく微笑んで声をかけてくれた、貴女を尊敬しております。
私にも、帝国貴族の末端として、役目がありました。
でもその重荷の半分は、お父さんが取り除いてくれました。」
そう言ってリリィはこちらを見て微笑む。
今は俺が話すべきじゃない。
コーヒーの香りを愉しむ為に目を閉じる。
片頬が上がってしまうのはご愛敬だ。
「もう半分の重荷は、貴女の笑顔が取り除いてくれたんですよ。」
リリィがサラ嬢の目をのぞき込み、優しく笑う。
「私は今の貴女を見ています。
私が悲しいのは、貴女が記憶に囚われて、“今の私”を見てくれないことです。」
サラ嬢の仮面が割れる。
子供のように嗚咽を上げて泣くサラ嬢を、リリィが優しく抱擁していた。
記憶の追体験とは言え、所詮はゲームだ。
モブもいなければNPCもいない。
大事なのは、今をどう生きるかだ。
記憶の牢獄に囚われたお姫様を救い出したのは、苛烈な人生を歩むもう一人のお姫様か。
そう言う話があったっておかしくは無い。
人生には、筋書きがないのだから。
「さて、アンタの人生の、多分今が本当のスタートラインに立ったわけだ、おめでとう。
でも、話はそれだけじゃあるまい?」
泣き止むのを待って、そう声をかける。
リリィからは“お父さん!空気を読んで下さい!”と怒られたが、それは勘弁して欲しい。
親父とは、いつだって“若者の盛り上がりに水を差す”ものなのだから。
「フフ、やっぱりリリィが羨ましいわ。
勢大さんに私のお父さん役もやってもらおうかしら。」
「ダメです!あげません!
それに、お父さんはいつも見えないところでぐーたらしてて、怠け者です!
サラ様には釣り合いません!」
本人の前で言うんじゃありません。
お父さんちょっと凹んじゃうぞ。
そんな俺達のやり取りを見てクスクスと笑うサラ嬢に、リリィは何故か満足げだ。
何故かニヤニヤしながら半目でこちらを見てくる。
「やっぱりサラ様の笑顔は可愛いですね、何でしたっけ?“咲き誇る薔薇のようだ”でしたっけ?おとーさん?」
お前聞いてたのかよ……。
真っ赤になるサラ嬢に、天を仰ぐ俺。
いかん、何か必殺技を……。
「ハイハイ、この話一旦止め!この話止めよう!」
両手のひらを前に出し、極力真顔を作りながら空気を変える。
とてもじゃないがまともに話を聞き出す事が出来ん!
リリィ、やはり恐ろしい子……。
「コホン、失礼しました。
勿論それだけではありません。
この後起こる、疫病イベント……いえ、起こるであろう災厄の話です。」
概ねは、事前に手紙で貰った通りだ。
公爵家の力を借りず、王都だけで何とかする道と、公爵家の力を借りて何とかする道。
どちらにもデメリットが存在する。
そこで、サラ嬢は前々から第二王子達の力を借り、王都のスラム街に対して“再開発計画”を実行していた。
つまり、先に備えることで王都だけで何とかする道にしつつ、公爵家の力を借りるにせよ最低限にする、という折衷案の形にしたわけだ。
しかし、流石国政の中枢にいる者達の跡取りだ。
年齢に関係なく、国を動かす事が出来るとはな。
結果だけを見るなら、これらは大きく成功した。
国による公共事業としての発令をジョン第二王子が交渉し、予算と信頼できる中間業者の手配を経済宰相の息子アークが手配し、足りない工事機材を魔導宰相の息子ハミルトンが準備し、工事中の警備を騎士団長の息子アルフレッドが根回ししていた。
サラ嬢を中心に、まさしく不可能を可能にして見せたのだ。
結果、工事人員としてスラムの人間が職にありつけ、金が入る。
金の匂いがすれば商人が黙ってない。
人が集まり、商店が並び、そして住宅が建ち始める。
スラム街は、かつての淀んだ街並みから、清潔な街並みへと変貌したのだ。
慣れた大人達がやっていたなら、誤魔化しによる中抜きや手抜きが出たかも知れないが、彼等は人生初めての一大事業に、一生懸命だった。
結果、理想的な公共事業になったようだ。
ここまで聞いていると、やはり疫病が蔓延しそうにない。
「実は、最近になって思い出したんですが、そう言えば追加のダウンロードコンテンツがあったんです。」
サラ嬢は結構な爆弾を投下した。
聞けば、例のゲームはオンライン対応であり、追加で短編集等が出ていたらしい。
それは割と世界観を無視したモノもあり、中でもおふざけシナリオとして“ロズノワル・マスト・ダイ”という、この時期を舞台にしたパニックホラーモノの物語があるそうだ。
「そこでは悪の令嬢サラ・ロズノワルが禁忌の粉を手に入れ、スラムを中心にばら撒いて住民が魔物化し、王都がパニックになるというifの短編シナリオでして。」
運営遊んでるなぁ。
でもなんか流行らなさそうなシナリオだなぁ。
「そこで主人公のリリィが、選んだ男性パートナーと一緒に王都から脱出するまでを描いた物語でした。」
ここまでならただの夢物語だが、サラ嬢は執事に小瓶を持ってこさせ、テーブルの上に置く。
「これがその、禁忌の粉です。」
一瞬動きが止まる。
ヒヤリとした感覚が全身を走る。
「正確には、極少量の禁忌の粉が溶けた液体となります。
旧スラムの労働街を中心に、強壮薬として販売しているのを発見しました。
恐らくシナリオと同じなら、これを多量に摂取するか、暗殺魔導師の起爆結界が要因となって、魔物化が発生すると思います。
……現在魔導学院の力を借りて成分を解析中ですが、恐らくは。」
どうやらサラ嬢は、視察に行った旧スラムの開発地区でこれを見つけ、そして短編シナリオの事を思い出したらしい。
「シナリオでは5人の帝国暗殺魔導師が潜入し、ある日の夕方にスラム街を中心とした魔方陣を起動します。
あっという間に住民が魔物化し、それの鎮圧に向かった王子達と、光魔法の使い手と言うことで招集されたリリィのパニックホラー劇という感じなのですが……。」
言葉は最後まで聞こえてこなかった。
今日、キンデリックの元に訪れたとき、彼は何と言っていた?
外を見ると、太陽は沈みきる直前で、世界は真っ赤な夕焼けに染まっていた。
ロズノワル家の従者が慌ただしく部屋に飛び込み、サラ嬢に何かを言付けする。
驚き、青い顔になったサラ嬢を見て、俺は始まりを理解する。
「……旧スラムで、暴動騒ぎが起きたようです。」




