586:聞き覚えのある名前
「あれぇ?田園先生、その腕、どうしたんですか?」
同僚の教師が、学園に戻ってきた俺を見ると目を丸くする。
「あ、えぇ、ちょっと戻ってくる最中、よそ見してたら肩をぶつけちゃいまして。
いやぁ、歳取るとすぐに痛むから大変ですよ。」
適当な愛想笑いでごまかす。
あの血塗れの大男を倒した後で回復に努めようと思ったが、時間も無かったのでそのまま学園に直行してきたのだ。
右腕は変わらず動かなかったので、適当な布で肩から吊っていたのだ。
そんな姿でいれば目立っても仕方がない。
こういう時は変に隠そうとせず、堂々としている方がいい。
案の定、同僚はそれ以上聞いてくることはなく、“お大事に”と一声かけると、学生の部活動の様子を見に席を立つ。
「あぁそうだ、田園先生。
学園長から、戻ったら執務室に来るようにと言われてたんでした。」
同僚の教師は思い出したようにそれを伝えると、そのまま職員室を出る。
荷物を置き、とりあえず学園長の執務室に向かおうとしたときにポケットでスマホが震える。
(ん?ヨシジ君か。)
てっきり学生達の誰かの、帰宅を知らせる連絡かと思ったが、画面に表示された文字はヨシジ君の名前。
[あー、センセー。
俺達さ、ちょっと太宮にある、太宮氷川っていう神社行ってくるからさ、別に危なくねぇから。
それだけ、じゃあな。]
こちらの返事を聞くこともなく、一方的に話すと通話が切れる。
本当に少しだけ呆気にとられるが、すぐに笑いが出てくる。
(フフ……、何だかんだ言ったところで、根は真っ直ぐな子供なんだなぁ。)
反抗的で悪ぶっていても、俺との約束を律儀に守り、向かう前に一報入れてくれるのだ。
かつて持っていて、そしていつしか失っていた純粋な何か、を見た気持ちだった。
(マキーナ、太宮氷川神社の所在地、それと何でもいいからそれについての情報、後は類似の施設がどれくらいあるか、そのへん調べてくれ。)
<承知しました。少しお待ちを。>
まぁこれから学園長とのご対面だ、時間はあるからゆっくり急いでくれ。
「失礼します、田園です。」
学園長がいる執務室をノックして声を掛ける。
中から“どうぞ〜”という軽い声が聞こえたので左手で苦戦しながら扉を開ける。
本当にどうでもいいが、こういう時“やっぱり色んな物が右利き用に出来てるんだなぁ”と、変な事を気付かされる。
「やーやー、君が田園君かぁー、はじめましてですねぇ、私がこの学園の学園長をしている、徳川ですよ。」
俺を迎え入れた人物。
何かのスポーツでもしていたのかその体型は筋肉質で、しかしその真っ白な髪とヒゲが年齢を感じさせる、一言で言うならナイスミドルの老人、というところだろうか。
ただ、老いを感じさせない健康さというか、元気さを感じさせる。
そんな人物だった。
見た目の割に若く、体幹もしっかりしていて筋肉もある。
これは、存外にただ者ではないな。
ここに呼んだのも、もしかしたら俺の何かを確かめるためか、或いはマキーナの事でも感づいたか……?
俺は僅かに頭の中で警戒度を上げつつ、目の前の男の様子を伺う。
「あ、こちらで先々月からお世話になっています、田園と申します。」
「あー、そんなかしこまらなくても良いですよ、私も“雇われ”でしてね、本来の学園長というか、理事長が別にいますんで。」
肩透かしを食らったように、何だか妙に重々しさも無ければ威厳も感じさせない口調だ。
もしかしたらこれも演技か?と思って警戒していたら、どうも様子が違う。
“本当にアルバイトとして名義を貸している”だけらしく、表向きは彼が代表として振る舞っているが、実際の実務は別の人間がやっているというのだ。
よく問題にならないな、そんなんで。
「まぁ、政財界に顔が利く人らしいから、そういうもんかなぁ、と思って私もお手伝いさせて貰ってるんですよ。
日中ここにいるだけで、それこそ寝てても給料が出るんでね、ありがたい事ですよ。」
よく見れば学園長室には筋トレマシーンも置いてある。
ただ、暇を持て余して体を鍛えている人だったのか……。
「……いや、そ、それならなんで私をここに呼んだんですか?
何というか、その、あまり意味が……。」
ハッキリ言えば全く意味がない。
ここでこうしている事自体、単純に時間の無駄だ。
「いや、私もそう思うんですがね、これもその、理事長様からのご命令でして。
えーと、後30分くらいここに居てもらってもいいですか?」
言っている意味が全く解らないので説明を求めると、どうやら“事情聴取をしている”という体で俺をここに拘束しておいてほしい、という連絡があったそうなのだ。
「いやー、他の先生や学生さん、それに親御さん達の目もありますからねぇ。
まぁそう言うのも必要かなと。
アレですよ、ここで田園さんは学園長にみっちり絞られた、みたいな事にしておけば、世間的にも“なぁなぁにしてない”って勘違いしてくれますし。」
「いや、でも大体の人からは実情がこうだって、バレてるんじゃないですか?」
毎回トラブルがある度にこうして呼び出したは良いが、学園長室で駄弁ってるだけなら教師に舐められる、というべきか、綱紀は緩みそうなものだが……?
「あ、それも大丈夫ですよ。
普段は用意された台本を下に、私もちゃんと怒る演技しますし。
こんな事は今回が初めてですよ。
“拘束さえすれば、いつも通りにしてていい”なんて。
田園さんには別にネタバラシをしても構わない、なんて、これまでに無い破格の指示ですからね。
あれですか?田園さん、理事長とお知り合いなんですか?」
「いや、お知り合いも何も、ここの理事長さんがどんな名前かも知らなくてですね。
あの、よければ何て言う方かお教え頂いても?」
俺の問いかけに、学園長は目を白黒させる。
完全に知り合いか何かだと思いこんでいたら、“全く知らない、縁もゆかりも無い他人”と言われたのだ。
それは確かに驚くのも無理はないか。
俺でも同じような反応をするだろう。
「えぇ……。
本当に知らないんですか……?
“竜胆 順太郎”という方ですよ?
理事長は田園さんの事よく知ってる風だったのに……。」
その名に、背筋に冷たいものが走る。
いや、ただの偶然か?
では何故向こうは俺の名前を知っている?
異世界の中で時たま聞く名前。
竜胆と黒鉄。
大抵はその世界の、転生者にまつわる話の根幹にいる奴等だ。
面倒な予感がしてくる。




