585:血塗れの狂霊
丸盾と長剣を構えた血塗れの大男、ラームジェルグが咆哮し、間合いを詰めるとこちらに剣を振り下ろす。
解りやすい大振り。
剣術も何もあったものではない。
体を半身にしてかわすと、そのままステップで距離を詰める。
<……!?いけない!勢大!!>
マキーナの警告よりも早く、大男は振り下ろした長剣の軌道を変え、横薙ぎに振るう。
ステップで踏み込む、という事は、ほんの一瞬でも両足が地から離れるということに他ならない。
俺の体が浮いている一瞬。
その、瞬きよりも短い時間を、コイツは合わせてきやがった。
それも、剣術ではない。
ただの膂力で、だ。
『……!!』
強引に、左足で地を蹴る。
ヤツに近付くのではなく、剣の軌道に沿って外側へ。
手甲と肩の鎧で剣を受け、振るわれる勢いに任せる。
力に抵抗するのではなく、剣の軌跡が流れる方へ。
鎧から激しい火花が飛ぶが、切断されるまでは行かず吹き飛ばされるだけで済む。
いや、飛ばされるだけ、とは言うが、それは横に吹き飛ばされ、公園の遊具にぶつかり止まるまで進むほどの威力。
遊具はひしゃげたが、幸いにしてそれがクッションになってくれたようで、俺にそこまでのダメージは無い。
ただただ、猛烈な嘔吐感が襲ってきているだけだ。
『……ま、全く、これだから人間の形をした化け物は苦手なんだ。』
<あまり勢大から得意な相手を聞いた事はありませんね。
しかしご注意を。
先程剣が触れた部位から、状態異常を引き起こす何かが侵食しかけました。>
マキーナの小さな皮肉と共に、その効果が視界に一覧として表示される。
極端な肉体的疲労、睡眠障害、免疫低下、幻聴、幻覚等、これら全てが同時に発生し、肉体も精神も蝕んでいく。
そうして徐々に衰弱して死に至らしめるという、いわゆる“呪いによる死”と認識される事になるだろう。
『なんでぇ、ネタが割れれば呪いなんかじゃなくて、ただの状態異常の複合効果、ってヤツじゃねぇか。』
<しかし、対策が解らない一般的な人間には、これは呪いと同じでしょう。
ともあれ、例の複製“退魔の銀”を設定してあります。
多少の防御効果はありますが、あまり過信はしないようにお願いします。>
こういう時、無手の格闘術は便利だと思う。
武器格闘術ではヤツに効果のある武器と、ヤツの攻撃威力を減衰させる防具の2つは不可欠だ。
だが、俺のような無手格闘の場合は防具のみで事足りる。
防具がそのまま、相手への攻撃手段となるからだ。
『ご忠告どうも。
それなら、こちらもそろそろ反撃のターンと行こうか。』
無造作にラームジェルグに対して歩き出す。
それを侮辱と受け取ったのか、更に大きな雄叫びを上げると剣を振りかぶり、そして先程よりも早い速度で振り下ろす。
『いい線いってるぜ、ただ、まだ遅いな。』
手甲部分、裏拳の要領で剣の腹を叩く。
拳が振り抜かれ、剣は当たった所から甲高い音を立てて2つに割れる。
『やっぱ戦で量産されたような急造品は脆いなぁ。
随分簡単に真っ二つになりやがる。』
軽口を叩きながら拳を降ると、ちゃんと徴発と受け取ってくれたらしい。
ラームジェルグは自らの体に突き立っている剣を抜き、すぐにそれを振り下ろす。
だが、それ等も全て、振り下ろしと同時に剣を叩き割る。
体から剣を抜き取っては割られ、抜き取っては割られと繰り返し、遂には最後の剣も叩き割る。
『さて、どうするね?
お見受けしたところ、もうストックは無いようだが?』
“このまま降参でもしてくれれば楽なんだがな”
とは思うが、ラームジェルグも無策ではないらしい。
右手を横に伸ばすと、剣を握るかのような動作をする。
それに合わせるように、全身から吹き出している血が右手に集まっていく。
『血で作った剣とはまぁ、中々イカス趣味してるじゃねぇか。』
先程までの長剣と同じような長さになったところで、また馬鹿の一つ覚えのように振りかぶり、剣を振り下ろす。
『だから何度やっても……何っ!?』
血でできた剣、それの横腹に正確に裏拳を叩き込む。
確かに先程までのなまくらよりは強度が上がっているが、それでも割れない訳では無い。
叩き割った血の剣は先程までの金属と違い、まるでガラスの様に無数の破片になって飛び散る。
だが、ラームジェルグの体から吹き出た血が一瞬のうちに腕を伝い、剣を形成する。
更に、飛び散った破片は空中ですぐに液体となり、地面に落ちた後でまたラームジェルグに吸収されている。
振り抜いた拳。
復元した剣。
速度変わらず。
『こなくそ!!』
刃が肩口に触れた瞬間、俺は地に伏せるように沈み込みながら前転する。
肩の鎧から激しい火花が飛び散りながら、それを頬で受けながらも相手の懐にもぐりこみ、反動を利用して両足でラームジェルグの顎を狙い、飛ぶように蹴り上げる。
『へっ、超なんとか弾!ってな。
おー痛ぇ……。』
仰向けに倒れたラームジェルグに追撃しようと構えたときに、違和感を感じる。
『……ん!?右腕が……?』
防具を貫通し、肩口を薄く斬られてはいたが異常はないはず、と思っていたが、右腕がダラリと垂れ下がっていて言う事を聞かない。
いつもなら一瞬で治せるはずなのに。
<現状、痛みを最小限に抑える事が限界です。
ラームジェルグの“呪い”の効果を抑えつけるので限界となり、回復が進行しません。>
戦闘行動中では、ここらが限界ということか。
右腕が使えないのは痛いが、それでもまだ戦えない訳じゃない。
『マキーナ、右腕を固定しろ。邪魔だ。』
自分の体であっても、コントロールが効かずに振り回してしまうようでは予定が狂う。
マキーナは鎧の関節を動かし、背中側に回すとホールドする。
それと同時に、ラームジェルグが立ち上がり、また血の剣を振り上げて構える。
追撃出来なかったのはちょっと勿体無いが、それでも動きに追随しない右手も後々危険だ。
ここはトレードオフしたと思うしかないな。
『オラどうした?
かかってこいよハイランダー!
それとも、武器を持ってないワタクシめから行って差し上げましょうか?』
俺の煽りに、血塗れの大男は雄叫びで答える。
これまでにない最速の踏み込み。
最速の振り下ろし。
だからこそ、ようやくそれは完成する。
最速で踏み込み、左手の甲で剣を握る手に合わせ、軌道を変える。
軌道を変えつつ引いた左手の掌を、ラームジェルグに向ける。
『白蓮拳・改、ってな。』
引いた腕から発射される掌底は、確実にラームジェルグの顎を捉える。
通常の戦いでも、脳が揺さぶられて気絶するか脳しんとうを起こす打撃だが、俺の全力だ。
ゴキゴキと何かが折れる鈍い音が連続でして、ラームジェルグの顎と頭頂部が逆さまになる。
そしてそのまま、糸が切れたように膝からドサリと落ち、倒れる。
『……クソッ、手間かけさせやがって。』
吐く息と共に、周囲の空間が元に戻っていくのを感じていた。




