569:山積みの問題
「あぁ、あなたが推薦のあった田園さん?」
禿頭に小太りの中年男性が、ハンカチで汗を拭きながら穏やかそうに笑う。
「あ、はい、私が田園ですが……推薦?」
何の事か解らず思わず聞き返してしまったが、それを聞いて中年男性は少しだけ不思議そうな顔をする。
だがすぐに何かを思いついて納得したように微笑みながら、頷いている。
「いやぁ、ご自身でご自身を推薦する様な人ならどんな人だろうと思っておりましたが、見た雰囲気も大丈夫そうだし、それにどうやらご自身じゃなくて教育委員会からの推薦っぽいですし、それなら大丈夫か。
あぁ、田園さん、改めましてよろしくお願いします。
私はこの“咲玉学園”で教頭をしております、乾と申します。
条件等はこちらの書類に……。」
契約書類等をパラパラとめくられながら説明されるが、何を言っているかはほとんど解らない。
俺はそこに機械的にサインしていくだけだ。
(マキーナ、これお前が手配したのか?)
<取得した情報からの最善の手段をとったまでです。
ある程度発展して定着している文明社会では、住居や収入源の“設定”が無いと、非常に行動制限が強いですから。>
まぁ、理解は出来るのだが、学校教師と言えばあまり時間的に余裕のある労働環境とは聞かない。
しかもここ、咲玉学園は高校らしい。
大学受験を考慮しなければいけない高校生を相手にするなど、自由に動くにはちょっと面倒な労働環境に見えるが……。
(まぁ、仕方ねぇ、職と住居さえ安定すれば、正規の方法で転居や転職も出来る、か。)
まだここでの転生者が何をしているか、どういう人物かもわからない。
とはいえ、この世界がどういう世界なのかも解っていない以上、ある程度歴史などが調べられるここは、見方を変えれば良い環境か。
「……以上ですが、何かご質問は?」
「あ、えーと、私は早速クラスを持つ感じで間違いないんですよね?」
俺の質問に、乾教頭は少しだけ口ごもる。
何かを一生懸命考えたように見え、結論づいたのかうつむいた眼をあげて俺の目を見る。
「まぁ、すぐにわかる事だとは思いますが、今回田園さんにお任せするクラスなんですがね。
前任の……、五頭先生という方だったのですが……。
あ、当校は新入生向けのオリエンテーションの一環で、入学後すぐにクラス毎の……林間学校と言って、まぁ合宿みたいなものに行くんですが、割とそれぞれ行き先が違っておりまして。
それでですね……。」
教頭の、いや先生という職業は話が長くなってしまうものなのだろうか?
蛇のように曲がりくねる長い話を要約すれば、どうやら俺の前任、“五頭”という人物らしいが、その彼は行方不明になってしまった、という事らしい。
彼のクラスの行き先は山間にある古い集落、そこで歴史を学ぶはずだったらしい。
そこでの林間学校という名のクラス全員の合宿中に、彼らが滞在していた民宿の一部を含んで不運にも山が崩れてしまった、との事だ。
ただ、幸いにしてなのか何なのか、生徒は事前に脱出しており、先生だけが行方不明になった、という。
少し前まで帰ってきた彼等をメディアは追いかけまわしたが、今は落ち着いた、という事らしい。
「私共としてもね、あまり考えたくはないんですが、ねぇ、ほら。」
教頭は、暗に含んで色々と教えてくれた。
生徒が偶然脱出していた裏に、数名の生徒の扇動があったという事。
学園として、或いはこの教頭としては、もしかしたらその数名の生徒が教師の事を……、と推測している事。
そして、その証拠を日常の授業や生活指導等から、俺に調べてほしいという事。
やれやれ、と天を仰ぐ。
適当に教師をやって、うまく時間を作って転生者を探そうとしていた矢先にこれだ。
何か危険な問題のあるクラスに、おまけに密偵まがいの事をやれと来たもんだ。
「それでですね、その、当時他の生徒を扇動した生徒と言うのが……。」
「……あの?田園先生?」
名前を呼ばれ、我に返る。
見れば長いポニーテールの女の子が、不満そうな表情でこちらを見ている。
「あ、あぁ、聞いているよ、えぇと、モリヤさん、だったっけか。
生徒の夜間外出は僕等も危惧していてね。
職員会議でも議題になっているから、またその話を議題に上げておくよ。」
目の前の少女は“ホントに、お願いしますよ”と釘を差し、長いポニーテールを翻すと悠々とその場を後にする。
モリヤ、確か名前はタマキだったか。
勝気な少女で、クラスのリーダー的な存在。
……例の、扇動していたという生徒の一人だ。
例の林間学校の後、彼女は頻繁に学校の図書室に通う姿を目撃されている。
どうやら最近は夜に出歩く生徒が増えており、様々な事件に巻き込まれている事に興味を持っているようだ。
(……何か、彼女の興味を引くような事でもあるのか、それとも高い正義感からか。)
廊下の窓から下を見れば、校舎裏の雑木林で誰かが動いている気配を感じる。
ボサボサ髪の男子学生が一人、木から吊り下げた的に向かって何かを投げつけているようだ。
(ナイフでも持ち込まれてたら面倒だな。)
一瞬キラリと光る銀色が見え、投げナイフだったら面倒だと思いながら下に降りる。
雑木林まで来ると、ボサボサ髪の男子学生は木陰で本を読んでいる。
中々に感が鋭いらしい。
俺が近づいたことに気付き、すぐに誤魔化したらしい。
「あー、えぇと、カシワくん、だったか、ここで何かしてたか?」
「……別に。
本読んでるだけだよ。」
“そうかい”と言いながら、俺は木に吊るされた的に近付く。
上から見ていなければ、的の在り処がパッと見ではわからない、良い位置に吊るしてある。
的に刺さっているのはただのダーツの矢、なのだが、全体が銀色で随分と高価な作りをしている。
<このダーツの矢から、“神聖儀式”効果を確認。
影魔物等に使用しても、効果を発揮します。>
マキーナの鑑定に、マジマジと手の中のダーツの矢を見る。
それと同時に、“ここは異世界”と、改めて思い知らされる。
元の世界にはこんなモノは無い。
いや、あるかも知れないが、少なくともただの学生が持ち歩けるシロモノじゃあない。
カシワ ヨシジ。
彼もまた、林間学校で扇動したと目されている学生の一人だ。
「これ、お前のか?」
「あぁ?知らねぇよ。」
ダーツの矢を持って彼に見せるが、彼はチラと一瞥しただけでまた本に視線を戻す。
彼は、林間学校前はやや反抗的な態度は目立つが、それ以外は目立たぬ、大人しい性格だったと聞く。
中学時代は別の区域で、どうやらイジメが原因でこちらに引っ越してきたと聞く。
「そうか、もしこれで遊んでいるヤツがいたら呼んでくれ。
人に当たったら危ないからな。」
特に振り返ることなく、背後の的にダーツの矢を放る。
良い音がして、的を叩き割る音が聞こえた。
目の前の生徒は驚愕の表情をしていたが、特に言うべきことはない。
俺はため息とともに、静かにその場を離れた。




