558:邂逅
「あー、兄さん、俺は別にそこまで懐事情が寂しいって訳じゃなくてね。
別にアンタに奢ってもらわなくても、普通に飲めるんだわ。
それに、“見ず知らずの人からモノを受け取っちゃいけません”って、ママに言われているもんでね。」
誰だか解らないが、この手の輩は最初の一杯を奢る事でこちらに恩を着せ、その後奢った以上の何かをかすめ取っていく、そういう手合いが多い。
俺は注文を取りに来た店員に、つまみと蒸留酒を頼む。
すぐに琥珀色の液体が入ったグラスが目の前に置かれ、それを手に取った時にフードの男が隣に座る。
しつこい奴だな、と思いながら無視しようと思ったその時に、フードの男は口を開く。
「それは失礼を。
でも、今日は“僕”にとっても良い日なので、やっぱり一杯奢らせて頂きますよ。」
口元に持ってきていたグラスが止まる。
最初に話しかけてきていた時に発した声とは違う、若い男の声。
そして“僕”という一人称。
「ご注文は?」
「ギムレットは作れるかな?
出来るならそれを二つ。」
男は注文を取りに来た店員にそういうと、カウンターに硬貨を転がす。
店員も“出来ますよ”というと、すぐに奥に引っ込む。
周囲の音が消え、酒場の雰囲気喧騒がどこか遠くに感じられた。
今、この場にいるのは俺と彼の二人だけ、そう思える空間だった。
「……“どうやって?“と聞くべきだろうな、最初に言うべき言葉としては。」
俺は口元に持ってきていたグラスをカウンターに置くと、グラスの中で揺れる琥珀色の液体を見ながら呟く。
フードの男は肩をすくめて見せた。
「昔言ったじゃないですか、“僕にはプレイヤーに向かうダメージを一度だけ無効化出来るカードがある”と。」
そういえば、そんな話を聞いた気がする。
あれは“彼”だけが中央から単独で逃げてきた、と言っていた時だったか。
「そうか……、それを使ったのか。
だが、それが本当だとすると……。
お前、最初に逃げてきたと言った時も、本当にそれを使ってたって事か?」
考えたくない事だった。
それはつまり、彼も巻き込まれるほどの攻撃を受けたという事。
巻き込まれた誰かも一緒にいた、という事だ。
「だから言ったじゃないですか。
“皆で逃げてきて、僕だけが生き残った”と。
皆が悲鳴をあげながらバラバラになっていく様子は、セーダイさんにも見せたかったですよ。
追手には僕の正体は伝えてなかったんで、いやぁ、実にスリルある追いかけっこでした。」
何でもない様に、楽しげに。
彼は当時の思い出を語る。
「……キルッフは、そっち側だったのか?」
「まさか!
そんなワケ無いじゃないですか!
こういうのは秘密を知る人間が多くなると、興ざめするモノです。
あそこで事情を知るものなど、誰もいませんでしたよ。」
カクテルが待ちきれないという雰囲気で、カウンターのコースターを手で弄びながら彼は笑う。
その言葉に、少しだけ感じる安堵と、強い嫌悪。
「……つまりお前は、“一緒に逃げよう”とその場で仲間を集い、次々と仲間が殺されていくのを見続け、そうして一人あの場にたどり着いていた、と。」
「そうですよ。」
飲んでもいないのに、腹の中が怒りで燃えるように熱い。
ゆっくりと吐く息すらも、周囲に燃え移りそうだ。
ただ。
ただ、そうであっても、俺の頭の中は氷のように冷え切っていた。
正直に言えば、出来るならすぐにでも立ち上がってコイツの胸倉を掴み、その頭を殴りつけて吹き飛ばしてしまいたい。
決闘者は防御が云々は、マキーナが世界のルールを書き換えた今であれば無効化されている。
そうする事も、もはや不可能ではない。
でもそれは俺の感情だ。
この世界の意志じゃない。
俺は異邦人。
俺は俺の目的のためにここに勝手に入り込んでいる。
ここで俺の正義を振りかざしたところで、それは俺の自己満足に他ならない。
「心底ムカつく野郎だな、おめぇは。」
「おや、殺さないのですか?
てっきり殴り飛ばされて殺されるものかと思っていましたよ。」
せめてもの留飲を下げるため、心に浮かぶ言葉を吐き出す。
やれやれ、この程度の言葉しか浮かばない俺は、やはりまだまだガキなのだろう。
もう少し大人になっていれば、もっと機知と皮肉にあふれた言葉が伝えられたのだろうか?
俺のそんな考えとは裏腹に、彼はどこまでも軽く、むしろ俺が不快を口にした事で調子が出てきたのか、こちらを煽る口ぶりだ。
だが、俺はそんな彼の言動を無視して目の前のグラスを少し持ち上げる。
持ち上げたグラスをかすかに揺らし、中に入っている琥珀色の液体を弄ぶ。
窓から差し込む光を浴びて、琥珀色の液体はキラキラと色を変化させ、複雑な影をカウンターに写す。
美しい琥珀色の輝きと、カウンターに描かれる複雑な文様の影。
「お前がそれを求めるなら、そうしてやろう。
だが、それ以外で俺がそれをする理由が無い。」
ため息と共に、俺は疲れを感じながら言葉を吐き出す。
彼は、そんな俺が少し気に入らないようだ。
「何故です?
僕はあなたを殺そうとして、そしてあなたは僕を仕留め損ねている。
今なら、あの時の続きが出来ますよ?
理由としてはそれだけでも十分でしょう?
あぁ、後はそうだ、僕は仲間達の仇ですよ?
“報復するは我にあり”なんて言葉もあるじゃないですか。
ホラ、今がチャンスですよ?」
上半身をこちらに向け、両手を開いて隙をさらけ出す彼。
俺はそれを横目でちらと見ると、またグラスを揺らす。
「……お前は、この世界で俺の前に立ちふさがった奴の中でお前だけは唯一、俺に刃を向けなかったからな。」
俺に刃を向けたなら、それはもうどこまで行っても俺の敵だ。
どちらかが降伏して服従するか、どちらかの死か。
そのどちらかしか道は無い。
だが、刃を向けていない場合は?
詭弁であり、気まぐれであることもわかっている。
異邦人だから、という理由もあるかもしれない。
自分でも本当の心はよくわからない。
「え?え?何で赦すんです?
だって、世界は敵か味方かしかいないじゃないですか。
だから僕は対戦相手を倒し続けて。
よりリアルを感じられる、命のやり取りを始めたんです。
ゲームには勝つか負けるか、それだけしかないんですよ?
“赦す”なんて、あるわけないじゃないですか。」
彼はどこか焦ったように早口にまくしたてる。
その言葉を聞いていて俺は、心のどこかで憐れみすら感じていた。




