548:看破
「……それでね、私達には昔から、“真名”を付ける風習があるでしょう?
こういう世界だし、“名を呼ばれて決闘”なんてされて、大切なアーサーが怪我でもしたら大変だし。
あぁ、そうね、うん、確かに昔、あの子は水路の板にはまって抜け出せなくなってたわよね、それで……。」
薬によって少しだけ安定したからなのか、彼女の話は止まらない。
1つの話題を話しているかと思えば別の話題へと移り、かと思えば突然見えない誰かと会話しているのか、虚空を見つめて頷き、また別の話を始める。
正直、聞いていても話に一貫性は無く、ほぼ理解出来ない言葉の羅列のようにすら感じられる。
ただ、途中で気になる単語があった。
「……なぁ、“真名”に“名を呼ばれて決闘”って、いったい何の事を言ってるんだ?」
「あ?オマエそんな事も知らねぇのかよ?
今でこそあの中央の機械があるから決闘は誰でも強制になるけどよ、昔はそんなモノは無いだろ?
それでも逃がしたくねぇ相手と決闘するために神様が残した奇跡として、“指名決闘”が存在するんじゃねぇか。
それ以来、指名決闘を簡単に食らわない為に子供には真名をつけて名前を偽装する、っていう風習は、当たり前の事だろうが。」
いや知らんがな。
この異世界限定のローカルルールなんざ、俺が知るわけねぇだろうが。
そっとペレアスに聞いたら、“わかっている者同士の会話”のような回答だったのでちょっとだけ怒りたくもなったが、この辺は言い争っても仕方無い事だろう。
それこそまさしく、言葉通りの意味でも“住む世界が違う”ってヤツだ。
俺の常識も、元の世界の常識だ。
なら、この世界独自の常識だって存在するだろう。
異世界を渡り歩いていると、こういう事はよくある。
相手の立場に立って考えたり、相手の目線を理解しなければやっていけない。
根気強く小声でペレアスに聞き続け、大体の事は解った。
決闘が宣言された時に発生するバリアの様なフィールドに、あの謎のオッサンの声。
あれ等は人工的なモノだったらしい。
どうやら最初にこの世界に来た時、人間狩りに襲われる前に探索していて見かけたあの妙な壺のようなもの、アレが中継機のような役割を果たし、何処でも決闘が発生するとバリアとアナウンスが生じるのは、アレのせいだというのだ。
しかも、あの最初の街でも解る通りアレはどんな状況でも稼働する、一種の超技術だと言うのだ。
ただ大昔の、当然そんな技術がなかった頃は、“対戦相手の名前を呼ぶ”事で、“神の力”が発生し、それこそ決着がつくまで逃れられぬ、本当の決闘になるという事だ。
(名前で呼び合う、か。)
そう考えた時に、ふと思い付いた事がある。
何故この女性が、こんなにも大事にされているのか、そしてこういう風に隔離されているのか。
「な、何だよ?俺の顔に何か付いてるのか?」
ペレアスを改めて見る。
何故、こいつ等はこんな風に命がけでこの女性を守っているのだろう。
てっきり、誰かから金を渡されて守っているのかと思った。
だがそれでは、説明のつかない事が多い。
金をもらって仕事をする傭兵の場合、正直なところ命までは差し出さない。
仕事の上で命を落とす事になっても“仕方無い”と割り切る事は多いが、“命を落とす前提の契約”など、よっぽどの事が無ければ普通は結ばない。
それをするヤツの場合、大抵はその時が来れば裏切る。
ただ、こいつ等は“助けられた”と言っていた。
つまりは金でなく縁や義理。
そちらの類で行動している場合が多い。
「……ニムエさん、お子さんの、真名を教えちゃくれないか?」
ペレアスが驚いた顔で俺を見る。
眼の前の女性も、壁にもたれかかり膝を抱えたままの姿勢は変わらないが、ずっと喋っていた言葉が止まる。
「テメェ!何言ってやがる!?
さっきも言っただろう!!
真名ってのはな、簡単に他人に教えちゃ……!?」
ペレアスがすぐに俺の胸ぐらを掴み、捻り上げる。
力で抵抗する事は容易い。
ペレアスを叩き伏せる事は簡単だ。
だが、今必要なのはそれじゃない。
「……教えたら、あの子を殺すの?」
宵闇の底、汚泥の沼の底から、こちらを覗き込むような昏い2つの光。
その昏さに、ペレアスも思わず手を緩める。
「……そうだ。」
本当に、僅かな時間が恐ろしく長く感じるくらいには、言うべきか迷った。
ここで、“もしかしたらそうなるかも知れないけど教えてほしい”だとか、“極力殺さないように頑張る”などといった言葉で煙に巻く事は出来たと思う。
何ならそちらの方が穏便で、上手く事が運んだかも知れない。
それでも、俺にはこういう回答しか出来ない。
相手は転生者だ。
“殺さず”等と、始めから手を抜いて勝てるはずがない。
運が良ければ殺さずに済むかも、等という生易しい感情でもいけない。
“必ず殺す、死んでも殺す”
この覚悟を持たねば、転生者とは渡り歩けない。
そうして始めて、五分或いはやや劣勢くらいなのだ。
「……良いわよ、教えてあげる。
でも多くの人に聞かせられないから、アナタ出て行って。」
視線だけで、ペレアスを指す。
言われたペレアスは何かを口の中で呟き、俺を睨みつけると俺を掴んでいた手を離し、そのまま外に出ていく。
「大きな声も出したくないわ、こちらに来て頂戴。」
不意打ちに気を付けつつ、彼女に近付く。
くるんだ毛布の下からナイフでも振りかざしてくるのではないか、或いは指で眼球を狙ってくるのではないか。
そんな警戒が俺の中にはあった。
ただ、彼女は姿勢を崩さない。
そのまま近付くと、少しだけ目に生気が宿るのが見えた。
「不思議ね、こうして間近で見ると、全然あの子に似ていないはずなのに、どこか同じ空気を感じるわ。」
「……それは多分、彼と俺が、“同じ世界”の出身だからだろう。
一応、聞いておくんだが。
俺はアンタの息子さんを、その、“前世の因果”から解き放とうと思っている。
結果、生きているのか死んでいるのかはその時にならないと解らない。
それでも、良いんだな?」
その言葉が理解できたとは思わないが、目の前の彼女は穏やかに微笑むと静かに頷く。
自身に理解できない事でも、我が子を想う母の笑顔。
“これが母親の強さ、ってヤツなんだろうか”
そう思うほどに、慈愛に溢れた笑顔だった。
「あの子の本当の名はね……。」
その後も少しだけ、これまでの事を話してやった。
話を終えた辺りで“少し疲れた”と言うので、そのまま家を出る。
家を出ると、ペレアス達が武器を構えて立っていた。
「ニムエさんは納得したかも知れねぇが、俺達は違う。
あの人には坊っちゃんが必要だ。
彼はきっと迎えに帰って来る。
それまであの人を守るのが俺たちの役目だ。
だから、お前に坊っちゃんはやらせねぇ。」
俺は、小さくため息をつく。
「マキーナ、殺しそうになったら止めてくれ。」
<戦闘モード、起動します。>
俺の全身が、静かに光り出していた。




