523:“赤”の生活
[起床しなさい!起床しなさい!]
周囲の二段ベッドから、ノソノソと起きる衣擦れの音が聞こえる。
そうして目を覚ますと、皆急いで洗面所に向かう。
食料配給と食事の時間は短い。
少しでも早く食堂に向かわなければ、朝食は抜きになってしまう。
俺も急いで顔を洗い、身支度を整えて食堂に向かう。
既に食堂は長蛇の列だが、スムーズに配給は行われるため待つ時間は短い。
とはいえ、食事というのも良く解らないペースト状の何かを丼に盛られるだけだが。
<いつも思うのですが、これは食料の形をした栄養剤ですね。
いえ、食料の形をしているか、という所にも疑問が残りますが。
それでも勢大、これを何十年も、いえ、もしかしたら何度かでも摂取し続ければ、いずれは体の何処かに不調は出ると思われます。>
(こんなモンは動物の餌以下だ、と、はっきり言ったらどうだマキーナ?)
いつものようにマキーナの小言に耳を傾けながら、味もわからないこの謎のペーストを口に入れつつ周囲を見渡す。
誰も彼もが死んだような表情で、一言も喋らずに食事をしている。
スプーンと食器のぶつかる音だけがアチコチから響いていた。
あの市民ランクが決定された日から、既に数週間が経とうとしている。
最低の市民ランク、赤の待遇は、どうやらこんなもんらしい。
数十人での集団生活で、朝食が終われば後は労働が待っている。
労働は夜までぶっ通しで行われ、そこから晩飯にこれと同じモノ。
そうして後は風呂に入って寝るだけだ。
簡単に書いたが、食事と入浴、睡眠以外はほぼ労働と、軍隊や囚人よりも酷い生活と言えるだろう。
最初は抵抗しようと試みた奴もいたが、そういう奴等はもれなく警備用の魔導人形に制圧され、命を落とすか“再教育”を施されて戻ってきた。
“再教育”から戻ってきた奴等は、目がヤバい感じにキマっていて、この“中央”での自分達の待遇の素晴らしさを周囲に熱弁するくらい、人格が変わっていた。
魔法による洗脳か、拷問による洗脳か、或いはその両方か。
まぁ、何にせよ“人格が書き換わるくらいの何か”をされる事は間違いない。
「よし、1班から3班は街の清掃だ。
4班から6班は家畜場へ行け。
7班から10班は近隣の探索となる。
30分後、各自集合場所に集まるように。」
全体朝礼で今日の割り振りが伝えられると、準備の時間だ。
他にも作業はいくつかあるが、俺達に割り振られたのはこの3つだったのだろう。
ちなみに俺がいるのは3班だから、この中では割と当たりの部類だ。
街の清掃はその名の通り、黄色以上の市民が住まうエリアの清掃だ。
ゴミを回収し、街路を清掃し、そして下水道を洗浄する。
比較的危険が少なく、肉体的にも負担が少ない作業だ。
それと比較すると、家畜場はこれの次くらいには危険があるだろう。
家畜とはいえ、人工的に養殖している魔物が相手なのだ。
気を抜けば大怪我、下手したら命を落としかけない。
家畜場を清掃し、魔物の体を拭き、餌をやるそれら全ての行為が、命がけなのだ。
そして最後、最も危険なのは近隣の捜索だろう。
これはまぁ、言うまでもないかも知れない。
周辺を探索するという事は、野良の魔物だけでなく盗賊やそれらが仕掛けた罠、或いは旧文明の機械類の暴走や建物の崩落など、数え上げればキリがない。
俺は少しだけ今日の作業の割り振り先に安堵しつつ、作業着へと着替える。
もちろん、作業着も真っ赤だ。
まぁ、真っ赤と言うには少しだけ色褪せているが。
「よし、身分証を出せ。」
俺達は施設の出入り口から外に出るため、左手の甲を差し出す。
旧文明の名残らしく、身分証関連は手の甲に見えないバーコードのようなものが印字されるらしい。
らしいというのも、アンダーウェアモードなので俺の皮膚までは届いていない。
俺の皮膚の上に展開しているマキーナに、身分証が印字されている、という方が正しいだろう。
なので、印字の時には焼かれる痛みを味わうらしいのだが、俺は何も感じていなかった。
たまに赤同士で話す機会があるが、出てくるのは大抵この時の焼かれる痛みの話。
なので俺は、この痛みの話の時には混ざらないように意図的に避けていたほどだ。
身分証をスキャンされ、許可が降りる。
そのまま俺達は古びた軽トラックの荷台に乗せられ街の中央に運ばれていく。
運ばれたまま風景をぼんやりと眺める。
黄色の服を着た市民が、忙しそうに街を歩いていく。
服の色と俺達を冷たい目で見ること以外、そこには元の世界の通勤風景らしきものが目に映る。
(……部分的には、平和を保っている、って所なんだろうなぁ。)
意外な事だが、人間は混沌のままではいられない。
現在の文明が大崩壊した後の世界やら、ゾンビハザードの世界もいくつか体験してきた。
その経験から理解した事なのだが、人間は必ず平穏と秩序を求める。
争乱よりも平穏を、血と暴力よりも対話と安寧を。
初めは地獄のような奪い合いをしていても、安定するどこかの段階で、必ずそれは現れるのだ。
無論、“永遠に争っていたい”という少数のイカれた思考を持つヤツは確かにいる。
だが、それは本当に少数だ。
それに、そういう思考を持つヤツは必ず“暗殺”される。
食事中、排泄中、入浴中、性交中、睡眠中。
全ての時間を警戒し続けることなど出来ない。
或いは仮にそれ等を凌いだとしても、食事や水に毒を仕込まれれば、全てを回避し続けるのはほぼ不可能だ。
元の世界でも、混乱期の王族は大抵毒殺されている。
だからこそ、こうして権力者から提供される“安寧”は、抗いがたい魔力を持つ。
市民クラスが赤の奴等はもちろんの事、黄色の人々も不平や不満が満ちているだろう。
だが、誰もこの“安寧”は壊せない。
「着いたぞ、降りろ。」
ボンヤリと風景を眺める時間は終わりを告げる。
やれやれと重い腰を上げ、清掃用具を受け取り街の清掃を始める。
見れば、違う施設に入っていると思しき別の班の人間が、黄色市民の出したゴミ袋を回収している姿が見える。
集積所はそんなに無いため、ゴミ袋が山のように積まれている。
[こちら、中央幸福管理委員会です。
エージェントに通達、+¥&5%#&&¥"-せよ。]
街中に備え付けられているスピーカーらしきモノから、唐突に大音量の音声が流れる。
魔法的なモノなのか、音に歪みはないのだがアチコチから聞こえるのと妙に早口のため、殆ど聞き取ることが出来ないレベルだ。
<どうやらエージェント宛に、“本部第三会議室に集結せよ”という内容のメッセージだったようですね。>
マキーナが今の放送を解析してくれたようだ。
何かの通達のようだが、俺にはサッパリ解らない。
「おぅテメェ!今の通信が聞き取れたかって聞いたんだよ!」
ガラの悪そうな緑服の男が、他の班の赤服に絡んでいる。
別に放っておいてもいいが、見た以上は声をかけたほうがいいか。
俺は後で懲罰があることを覚悟して、掃除をしているふりをしながらそちらに近付いて行った。




