508:閉じられた本
「ここは……?
通っていた高校……?」
私は全身を巡る痛みに耐えながら、周囲を見渡す。
痛みで思考が上手くまとまらない。
畜生、あの異邦人、よくもやってくれたな。
ヨシツグを移し替えるためだけの生贄の分際で、神であるアタシに反抗するなど、あってはならない事だ。
ヨシツグの精神を移し替えたら思う存分嬲ってやろう。
今から楽しみだ。
「ググッ……、だが、ここからはどうやって抜け出したものか……。」
認めたくはないが、奴の言う通りこの蛇の毒はアタシにかなりの影響を及ぼしている。
今でも痛みで思考がまとまらない。
魔法を使う事も、神の力を使う事もままならない程だ。
だが、確かここは一度抜け出している。
周りを見ても、忌々しい記憶が蘇ってくる。
私は見た目が他の人間よりも整っていた。
それだけで、奴等は勝手に私との間に線を引き、近寄らなかった。
勝手に距離を置かれ、勝手に嫉妬し、離れていく。
それは能動的ではないにせよ、体験しているアタシからすれば村八分のイジメに他ならなかった。
そんな中、唯一私に別け隔てなく声をかけてくれたのがアイツ、一・吉二だった。
家が隣だからと、小さい頃から一緒にいてくれたアイツ。
私の世界は、いつしかアイツだけになっていった。
アイツに好きな人が出来ればあらゆる知恵を使って引き摺り落とし、アイツを好きになるヤツがいれば徹底的にヨシツグが嫌いになるような情報を流し続けた。
他の女を見たヨシツグにも、罰を与えた。
ある時やり過ぎて、ヨシツグが出血したことがあった。
手首から滴るそれを見て、私が最初に思ったのは不快感。
“ヨシツグの中に、アタシ以外のモノが入っている”
そう思うと、耐えられなかった。
その日から、私の血肉を入れた食事をヨシツグに食べさせ、虐めて血を抜く。
いつかヨシツグの体内は私で満たされ、1つになる。
そう、信じていたはずだった。
ある日、夜の校舎を舞台にヨシツグとゲームをした。
“御巡様ごっこ”
よくある学校に伝わる怪談話をヒントに、鬼である私から逃げるゲーム。
校舎をでたら、もっと酷い事をすると脅せば、ヨシツグは抵抗しなかった。
散々追い詰め、逃げ回るヨシツグを見て、私の中で何かが満たされそうだった。
なのにアイツ。
“もう嫌だ”とか言って、屋上から飛び降りるなんて。
私も迷わず後を追った。
ヨシツグのいない世界に、別に興味など無かったからだ。
そうしてあの、不思議な空間で年老いた老人に出会い。
ヨシツグが“私のいない世界に転生した”と聞いた時に、あの老人を襲って私も同じ世界に転生した。
それなのに……。
何かの物音が聞こえ、私は思考を中断する。
どこだ?
この世界にいるなら、ソイツを捕らえよう。
あの異邦人が言っていたように、確かに死んで時間が経っていた者は生き返らない。
それは神になったヨシツグも同じ。
でも、ヨシツグは私が来るまでの間に“記憶や記録の転送”という技術を見つけ出していた。
ヨシツグは“私が追ってくる”事も、想像していたらしい。
それをかわすために、自分の複製を造ろうとしていたのだ。
あぁ、やっぱりヨシツグは私の事を理解してくれていた!
愛を感じながら、私は物音のする方へ進む。
体中が痛み、早く歩けないのがもどかしい。
捕まえ、私の記憶を流し込んで、この腐り続ける肉体を移し替えてやる。
ガンガンと痛みで鳴り響く頭を押さえながら、私は夜の校内を歩き回る。
どこだ?どこにいる?
上から聞こえた筈の物音が、今度は下の階から聞こえた。
ちょこまかと動き回りやがって。
それでも後少し、後少しと思いながら、何やらボソボソと話し声が聞こえる部屋に近付く。
話し声!
それなら、複数人いるのか。
何人か失敗しても、替えがきくのは良い事だ。
「……アタシが子供の頃に……怪談に出て……、“オメグリサマ”だと……。」
微かに聞こえてくる声に、私は懐かしさすら感じる。
私の声だ!
あそこにいるのは私だ、私の体なら簡単にこの意識や記憶を移せるだろう。
「開けて!開けて!」
部屋に入れない事に焦り、透明な壁をバンバンと叩く。
視界が歪んでいるが、部屋の中にはぼんやりと輝く光がいくつか見える。
その中には、とても私の波長に合う光がある。
アレがきっと私だ。
そう認識してしまうと、中で他の光がグニャグニャと動くのが気色悪い。
この壁が何とか出来れば……そこで私は、透明な壁がガラスで、引き戸式の扉が下についている事に気付く。
いけない、痛みで混乱しているのか、当たり前の事すら思い出せなくなっていく。
扉を開こうとした時、先に中の光が開けてくれた。
礼を言おうとしたら、何か全身が焼けるような液体を吹きかけられる。
痛い、痛い。
たまらず私はその場から逃げ出す。
どこか、どこかで体を休めなければ。
そういエば、ワタシは、ナゼアソコにいタンだ?
記憶が、私の記録が崩れていく。
「……なるほどねぇ。
そういう因果に落ちちまったか。」
俺は読みかけのその本を、一番下の棚に置く。
もうこれ以上は読む必要がないだろう。
本の背表紙、それまで“ミナン・ヨシカワの一生”と書かれていた本は文字を変え、“Connection to Death”というタイトルに変わる。
<これで、亜神ミナンは“御巡様”として、あの本の世界に定義されました。
接続できない死を求め、徘徊する墜ちた神として、あの本の中で永遠に彷徨う事でしょう。
この本の中に永遠に閉じ込める事、それこそがニノマエ氏の仕掛けようとした毒、の様です。>
やれやれ、結局俺は、ニノマエの復讐の片棒を担がされた、って事か。
<これに協力する事が、この世界を書き換える権限を入手するための条件でしたので。
そも、勢大が悪いのです。
この世界に侵入した瞬間、不正能力の“魅了”にかけられた事が発端です。>
んな理不尽な。
マキーナから話を聞けば、俺はどうやらこの世界に転送された瞬間、“ニノマエの残滓”というヤツに魅了をかけられ、幻覚を見せられていたらしい。
流石は神の力だ。
マキーナも、基本的な優先権限は俺にある。
俺の身体に異常があればマキーナが権限を行使できるが、今回は見た目通り肉体には異常が起きていない。
その空白を突かれてマキーナを乗っ取られそうになっていた、のが、この世界に来た時に起きた事らしい。
<流石は神の力、なのでしょうか。
死して尚、ニノマエは自身を記録化し、亜神ミナンへの対抗策を講じていました。
本当に危なかった。
アナタが最後まで彼の言葉を信じていたなら、私の権限は完全に奪われていたでしょう。
……何故、彼の言葉を嘘だと認識できたのですか?>
世界との接続を切る作業の最中、マキーナがふと疑問を漏らす。
俺は作業を終えると、気色の悪い室内を見渡す。
ニノマエのヤツに復讐してやろうと思ったが、対象がいねぇならしようもないし、それに“俺”の意識を転送した魔導人形の記憶が消えただけなら、怒る必要もない。
それに、責め苦は散々ミナンのやつから受けただろうしな。
「そりゃオメェ、“神は名を持たない”からな。
自ら名乗った時点で、“コイツは本当の神じゃねぇな”と理解できたさ。」
<……そんなモノですか。>
どこか呆れたようなマキーナの言葉と同時に、俺の全身が淡い光に包まれる。
転送される直前、チラリと本棚に並ぶ2冊の本を見る。
さぁ、俺は俺の旅を続けるか。
流行り病にかかってしまいまして、こちら書くのがピタリと止まっております。
大変恐れ入りますが、次話からの幕間劇「旅の途中⑧」は9/3の日曜午前2時にアップ、とさせてください。
まだまだ暑い日が続きます。
皆様もご体調には充分御注意くださいませ。




