507:本の世界
「あっ……あぇっ!?
なん、何だこれ……は……?
痛……痛ギギギギァアアア!!」
違和感を感じ動きを止めていたミナンは、すぐに悲鳴を上げながら周囲をのた打ち回る。
見れば皮膚のあちこちか黒く変色し、ボコボコと泡のように吹き出物が発生しては弾け、周囲に悪臭を振り撒いていた。
「……名は体を表す、って言葉があるように、その“名”に実態が引っ張られる事もあるんだ。」
「ギィエェエェ!!そ、それが何だってんだよ、このクソ野郎!!」
のた打ち、苦しみながら、俺が何を言っているのかと疑問符を浮かべ悪態をつくミナン。
俺は暴れまわるミナンの範囲から少し離れた所でしゃがみ込み、見下ろす。
「お前に突き刺したその武器な、闇の庭のあの迷宮で拾った、希少種多頭蛇のドロップ品だ。
マキーナが調べたら、その名を“ヒュドラ・ニードル”って言うらしい。」
「この私が!毒蛇の針ごときでぇぇぇ!!」
苦しみ、のた打ち回るミナンにタバコの煙を吹きかける。
俺の煙、いや、吹きかけた息が肌に当たっただけでも、ミナンは苦しみ逃げるように地面を転がる。
「いやいや、“ヒュドラ”ってのはな、転生前の世界でもただの毒蛇なんかじゃねぇんだよ。
英雄の師匠、ケイローンですら治療法が見つけられずにその不死を返上してでも死を願い、更には古今無双の英雄ヘーラクレースでさえも命を落とすことになった神話の毒蛇だ。
オマエごとき紛い物の神に、その毒性を打破する方法はねぇよ。」
俺の言葉に、ミナンは目が落ちてしまうのではないかと言うくらい見開き、驚愕の表情に変わる。
そうして今度は上手く動かない手足をバタつかせ、必死に地面を這って俺から逃げようとし始める。
……そんな事をしても、何も意味がないというのに。
<セー、ダイ、コレは壊れていませんヨネ?>
こっちもこっちで、這って俺のところまでやってきたツインテパッピルが地面から俺を見上げる。
その背中には、腰のベルトに挟まっている無傷の一冊の本。
あの爆発でも、見事に守り通してくれたようだ。
「あぁ、良くやってくれたよツインテちゃん、あー、いや、ツインテパッピルちゃん、か。」
俺の言葉に、彼女は嬉しそうに微笑む。
顔にヒビが入っており、右目はむき出しの内部部品が見えていたが、それでも彼女は美しかった。
俺は本を手に取ると、その背表紙を見つめる。
「……ミナン・ヨシカワの一生、か。」
全体が赤黒いハードカバーのその本は、あまり趣味が良いとは言えない金の箔押しでそう銘打たれていた。
俺はその本の表紙を、なおも這いずり遠ざかろうとするミナンに向ける。
「悪いが、オマエの一生なんてものには何の興味もない。
だが、闇の世界で俺自身の本を見た時から、こう言うもんなんじゃねぇかなとは想像してたんだわ。」
不思議と、本をかざした瞬間から、ミナンはどんなに這いずっても前に進まず、それどころか徐々に俺の方へと引き寄せられている。
「や……止めろ!ワタシにその本を見せるな!!
い、嫌だ!!戻りたくない!!
助けて、助けてヨシツグ!!」
腐汁を撒き散らし、泣き叫び、助けを懇願しながら、ミナンは本に吸い込まれていく。
完全に吸い込まれた時、バキリと音がして空間にヒビが入りだす。
ヒビは次々に広がっていき、遂には空も大地も完全に割れ、砕けていった。
「……なん、何なのだこの場所は?」
ポーションを使い傷をとりあえず回復させたのか、ジャックが剣を杖代わりに使いながらヨロヨロとこちらに近付いてくる。
「……言いたかねぇが、まぁつまりは、“ミナンとニノマエの愛の部屋”ってヤツなんだろうさ。」
古い城の一室のような、古めかしくも豪勢な造り。
床には一面のふかふかの絨毯が敷かれており、壁や柱は暗めの木を使っているのか、落ち着く色合いだ。
調度品としてなのか実用なのかは解らないが、机や椅子、その上に乗っているペンや小物も、アンティークとして非常に価値がありそうだ。
天蓋付きの大きめのベッドは、しばらく使われてなかったからかやや変色しているが、それも味がある。
ただ、それ以外は見たことがあるモノやないモノも含めて、血錆がこびりついた数々の拷問器具が並べられていた。
“拷問趣味の変態貴族の部屋”という趣きだろうか。
正直、あまり長居したいと思えない。
そうしてぐるりと部屋を見渡すと、小さな本棚に気付いた。
中に入っている本は数冊しか無いが、どれも状態は良い。
本棚に並ぶいくつかの本を見てみると、“光の庭”や“闇の庭”という文字が見える。
「……セーダイ殿、もしやこれが、“我等の世界”ということだろうか?」
「……まぁ、そうだよ。
ジャック、お前はな、本の世界の住人でありながら、書き手の世界にまで来る事が出来た、本当の英雄、ってヤツなんだろうさ。」
ジャックは酷く複雑な表情をしていた。
ただ、同時に何か納得したような表情でもあった。
「……道理で。
あの“闇の庭”と書かれている本から、酷く懐かしく、そして帰りたい衝動に駆られていたのだ。
やはり俺は、あそこが俺のいる場所、という事か。」
<ワタシは、“光の庭”と書かれている本に、非常に懐かしさを覚えていマス。……デス!>
ツインテパッピルちゃんも回復し始めたのか、損傷した四肢が少しずつ逆再生のように組み上がり始めている。
「……2人共、本当に助かった。
だが、あの本の結末を俺達は知らないように、お前等の人生はこれからも続く、と思う。
願わくば、これから幸せな生涯をおくれるように、と、俺は祈っているよ。」
こういう時、もう少し気の利いた言葉が言えればといつも思う。
だが、そんな生き方はしてこなかった俺には、これが精一杯の手向けの言葉だ。
それでも、そんな俺の事を、ジャックもツインテパッピルちゃんも、解ってはくれたようだ。
2人が、穏やかな笑顔を見せてくれる。
「セーダイ殿、闇の庭で人々が発展して行くのはこれからだ。
本当ならセーダイ殿と共に歩みたかったが、それも叶わぬ夢である事も理解しているつもりだ。
……良い旅を。」
<セーダイはワタシを娶り光の庭をもり立てるという使命がありますが、魔導人形の時間は人のそれよりも遥かに長いデス。
少しくらいの浮気旅行は、認めてやるデス!
……こ、コラ、何を言い出すのでスカ!
セーダイ、ツインテちゃんの言葉は無視して下サイ。
ワタシも、セーダイの旅が幸せなものである事を祈っておりマス。>
一人コントのようなツインテちゃんとパッピルのやり取りに、俺とジャックは顔を見合わせて笑う。
そうして、2人は本に手をかざすと、静かに吸い込まれていった。
「……お前等こそ、達者でな。」
二つの世界が、せめて行き来しやすいようにと隣同士になるように並べて一番上の棚におく。
そうして、手に持っていたミナンの本は、悪さが出来ないようにと一番下の棚に置こうとして、ふと気になって本を開く。
本の中は文字がミミズのようにのたうち回っていたが、やがて読めるようになっていった。




